異世界魔王は猫になっても無双する

七四六明

異世界魔王は猫になっても無双する

 十五歳の新月の夜。

 少年は床に描く。


 五重の真円。一番外側を突く六芒星。中心には、自身の証たる数敵の血。

 注がれた魔力に呼応して、描かれた魔法陣が赤く輝く。


「我が名はクロム! 汝この呼び掛けに応え、我が手足、我が五感となりて、我と永遠の盟約を交わさん!」


 吹き抜ける風。

 ランタンの火は消え、窓から差し込む月明かりの下、陣の中から現れる。


【召喚に応じ参上した……して、其方は何者か】

「僕は……」


 それから数ヶ月後。

 クロムの姿は、今年入学した学校にあった。

 足元に、小さな黒猫をお供に連れて。


【良い天気だニャア】

「また勝手に昼寝しに行っちゃダメだよ、ヤマト」


 古き時代の戦士や騎士を模した人型。

 獣や龍などの動物。水や火の精霊など、様々な種類があるものの、ただの猫と見間違う見た目の召喚獣は、ヤマトだけだった。

 喋る事しか違いのない、ただの猫。そんな召喚獣、右を見ても左を見てもヤマトしかいない。


「よぉクロムぅ。相変わらず暗い顔してんなぁ」

「ハイドくん……」


 絡んで来た青年はハイド。

 同学年で同じ教室なのだが、猫の召喚獣は見た事がないと、入学以来ずっと弄って来る。


 彼の召喚獣はリザードマン。

 直訳すると蜥蜴人間だが、硬い鱗と鋭い牙、爪を持っていて、地域によってはドラゴニュートなんて呼ばれるくらいの高位な存在だ。


「まだその猫連れてるのかよ。いい加減契約解いたら? 一回だけならやり直せるんだしさぁ」

「でも、せっかく僕の声に応えてくれたんだし……」

【ま、こいつには魔王わがはいが付いていないとな】

【ハ。てめぇみたいなのが何の役に立つんだ? 薬草採取も護衛も、何も出来ねぇじゃねぇか】


 リザードマンまでこの言いよう。

 クロムは泣きそうになるが、ヤマトを抱き上げ、抱き締めて走り去る。

 逃げた逃げたと笑うハイドらから逃げて、着いた場所は教室ではなく、図書室だった。


【大丈夫か、クロム】

「ごめんね、ヤマト……言い返せなくて」

【何、あんな戯言気にする事はニャい。弱い奴ほどよく吠える。魔王わがはいからしてみれば、あんなのただの負け惜しみニャり】


 弱気なクロムと違って、ヤマトはいつも強気だ。


 クロムは今日までずっと励まされて来た。

 魔法での戦闘は苦手なままだが、医学や薬学等を学ぶための野外研究フィールドワークにも協力して貰って、学内では十指に入る成績で入学できた。


 ヤマトはもう、ただの護衛やお供ではない。クロムにとって、大事な友達なのだ。だから今から契約を切って、新しい召喚獣だなんて考えられなかった。


「ヤマトぉ」

【ウム。もっとゴロゴロするが良い】

「何だぁ、また逃げて来たのか?」

「先生」


 クラスの担任とはハイドらとの事もあって、入学早々色々とお世話になっていた。

 担任の召喚獣も図書館の受付をしているので、もう顔馴染みだ。


「確かに、ただの猫が召喚獣なんて聞いた事がないがな。ただ、何だって例外はある。もしかしたらそいつにだって、他にはない何かがあるかもしれないぜ?」

【当たり前だ。魔王わがはいは異世界では魔王だったのだからな】

「ヤマトが魔王……」

【クロム! 今とても失礼な想像をしていただろ!】

「そ、そんな事ないよ」


 猫の集会みたいなのを想像した、とは言えなかった。


「ま、ハイドはおまえの成績を妬んでいるだけだろうさ。俺も目を光らせておくから、感情を逆撫でない程度に、適当に相手してやり過ごせ」

「そんな……」

「そんなんでいいんだよ。おまえの成績は努力の証だ。それにケチを付けられる筋合いなんて、ないだろ?」

【安心しろ。いざとニャったら、魔王わがはいがやっつけてやる】


 しかしクロムがヤマトを連れている限り、また、才能を発揮する限り、彼らのイジメは終わる事を知らない。

 担任が何度か仲裁に入ってくれても言葉の暴力は止まらず、遂に中間テストの結果発表の日、幾度も仲裁されて不完全燃焼だったものが、爆発した。


「ふざけるな! クロムてめぇ、何でいつもおまえが一位なんだよ!」

「そんな事、言われたって……」


 テストの結果は明らか。

 クロムがクラスでトップ。それにハイドが続く。しかしハイドにはそれが何より気に入らず、受け入れ難い事実だった。


「てめぇはただの猫しか召喚出来ない落ちこぼれ! 魔法だって碌に使えないのに、何で成績だけはいいんだ! 何か不正でもしてるんじゃねぇのか?! あ?!」

「してないよ。僕は、ただ……」

「口答えすんじゃねぇ!」


 階段から突き飛ばされ、落とされる。

 間一髪で担任が受け止めてくれたので大事には至らなかったが、担任の顔つきが鋭くなったのと同様、冗談でしたでは済まされない状況だった。

 が、ハイドは悪びれるどころか開き直って。


「そうだ! おまえは一人じゃ弱いんだ! 真正面からぶっ潰してやるよ! てめぇも、てめぇのその大事な猫も!」

「ハイドてめぇ!」

【良いぞ】


 担任の仲裁より早く、クロムの影から這い出るようにして出て来たヤマトが答える。

 突き飛ばされた瞬間に何処にいたのか、クロム以外の誰もヤマトの存在に気付けなかった。


【その決闘、受けてやる】

「……はは。言ったな? 後悔すんじゃねぇぞ! てめぇの五体、ズタズタに引き裂いてやるからな! 行くぞザック!」


 担任に下ろして貰ったクロムは、その場で腰が抜けて膝間づく。

 今更になって怖くなり、恐怖からポロポロと涙を零す顔を、ヤマトは異色の双眸で見上げていた。


【無事で良かった、クロム】

「でも、決闘だなんて……僕、どうしたら……」

【案ずるな。クロムは何もしなくていい。あの程度、魔王わがはいだけで充分だ】

「でも――!」

【それにな、クロム……魔王わがはいにもな? 度し難い事はあるのだよ】


 一時間後。

 学園内、運動競技場。


「は! 逃げずに来たか! 決闘のルールは知ってるな!? 相手の戦意を喪失させるか、戦闘不能にすれば勝ち。つまり……

「おいおい……」

「何もそこまで……」


 周囲から声は聞こえるが、止める者は誰もいない。

 全員、野次馬根性さえあったものの、わざわざ面倒事に介入したがる気力は持ち合わせていなかった。


「さぁ、別れの挨拶は済ませてあるか? クロムぅ」

【その言葉、そっくり返すぞ。別れは済ませているのだろうな、ザックとやら】

【てめぇ。俺が負けるとでも言いてぇのか】

【言いたいのではない。言ったのニャ】

【ほざけぇ!】


 リザードマンは戦闘特化の召喚獣だ。

 普通に考えて、ただの猫が勝てる訳がない。


「ヤマト!」

「死ね! 死ね! やっちまぇ!」


 リザードマンの顔が跳ねる。

 打ち上げられて上を向いたかと思えば、右に左に打ち込まれて、腹に一撃を受けるとハイドの側を横切って、壁に叩き付けられるまで吹き飛んだ。


「は?」

「や、ヤマト……?」

【猫の肉球パンチで伸びる蜥蜴風情が、頭が高いぞ】

「ざ、ザック! 何をやってやがる! 早くこいつを殺せ!」


 壁から剥がれ落ちて着地。

 怒りを湛えた龍種の鋭い眼光を光らせ、より鋭く尖らせた爪と牙で、それこそ蜥蜴のように、這いながら襲い来た。


 が、ヤマトの肉球パンチが大きく口を開けた顔の頬を穿つ。

 二度、三度と自分も跳び上がりながら下顎を打ち上げ、上半身が持ち上がると、股下を抜けて尻尾を捕まえて引いて倒し、鼻先を尻尾でくすぐっておちょくってやって、跳ね上がって向かって来た腕を弾いて、膝、胸と跳び上がり、再び顎を殴り飛ばして牙を砕いた。


 あまりにも一方的過ぎる展開に、ハイドは顔を真っ青にしている。

 対してクロムは、わずかな安堵から胸を撫で下ろしていた。


 ヤマトがある程度強い事は、クロムは実は知っていた。


 薬草採取の時に山の獣から助けてくれた事もあるし、家に侵入して来た強盗を退治して貰った事もある。

 まさかリザードマンまで相手出来るとはさすがに思っていなかったけれど、今まで借り続けていた猫の手の強さを、クロムは知っていた。


「何で、何でリザードマンが、こんな……」

【だから言ったであろう。魔王わがはいは異世界より、クロムの声を聞き届け、召喚に応じた魔王ニャり】

【がぁぁっ――!!!】


 平静を欠いたザックは、覆い被さるようにして襲い来る。

 が、平静を欠いた召喚獣など、ただの獣と何の違いがあるだろう。


【愚かニャり】


 風を切り裂き、空を絶つ。

 肉球の柔さなどまるで感じさせぬ猫肉球パンチの応酬が、ザックの顔を上下左右に打ちのめす。

 鱗は罅割れ、牙は砕け、辛うじて繰り出した爪は腕ごと折られ、百の殴打を受けたザックは顔を丸々と腫れさせて背中から倒れ伏した。


「こ、こ、のぉぉっ!」

【まだ、ヤるか? 


 魔法を繰り出そうとしていたハイドは硬直。

 ヤマトの背後に漆黒の影を見て、影が光らせる双眸を前に、ザックを置いて逃げ出した。


【フン。妬み僻むだけの奴が、我が主の眼前を阻むなど浅はかな事をするからニャ】

「ヤマト!」


 顔を洗っていたヤマトを抱き上げ、抱き締める。

 頬擦りされるヤマトは嬉しそうに、初めて猫らしい声で鳴いた。


「大丈夫? 怪我してない?」

魔王わがはいを何だと思っている。こんな蜥蜴、相手にもならニャいのニャ】

「ありがとう、ヤマト……今日は晩御飯、うんと奮発するからね!」

【ウム。魔王わがはいはチュールとやらも結構好きだが、期待しているゾ】


 その日以降、クロムをイジメる相手はいなくなった。

 ヤマトをただの猫と言う者もいなくなった。


 しかしこの決闘を気に、血に飢えたような猛者達との戦いに巻き込まれていく運命を、二人はまだ知らない。

 猫の手を借りた結果、二人の日常は殺伐としたものへとなっていくのであった。

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