『プラチナの季節』読書感想文

飯田太朗

大きくならなくていい、自分になれ。

 私が本作を読んで学んだことが掲題である。

『プラチナの季節』はある季節にのみ起こる虫の大量発生についての報告書……と思いきや違う。まずは著者の略歴について紹介しよう。

 著者、亜未田久志氏は幼少期にテレビで見た、「ハッキンコガネがカメラの金属を食する」シーンを見て「自分もカメラになってハッキンコガネに食されたい」と思うようになった。虫が好きでカメラも好きだった亜未田氏にとって「カメラになり、虫に食われる」というのは最大級の愛の語らいであり夢だった。そして亜未田氏はその夢を若気の至りとはせず実現すべく動き出した。ウスキ砂漠で大量発生したハッキンコガネの群れに単独で挑んだのである。

 ハッキンコガネの主な食料は金鉱石である。ウスキ砂漠は多数の金鉱山に囲まれた砂漠で砂中からも金が取れる。ハッキンコガネの好む金属が何かはまだ分かっていないが、ハッキンコガネはそのやすりのような舌と強酸性の唾液とで金属を舐めるように食する。

 さて、ここで亜未田氏の野望について振り返る。

「カメラになり、虫に食われる」。カメラになる部分は簡単だそうだ。撮影用のカメラを一式持って構えていればいい。しかし「虫に食われる」が難しかった。亜未田氏は当然ながら金属ではない。ではどうすればいいか。

 全身に金粉を塗ったのである。それもハッキンコガネにとっての食べ応えを重視しかなり厚めに塗りたくった。現地住民は彼のために「変態」という意味の「ンドラン」の名を授けた。

 ンドラン氏は果たしてハッキンコガネの大発生に遭遇した。車は食されてしまうので使えない。つまりラクダで向かうことになるのだが、ンドラン氏はいきなりハッキンコガネの大歓迎を受けた。そう、食われたのである。

 結果、氏が何を感じてどう思ったのか、これについては実際に読んでいただいて確かめるほかにないと思うが、しかし私はあることを思った。氏の夢への姿勢を見て学んだことである。

 大きくならなくていい。

 立派にも、一人前にもならなくていい。

 ただ、自分であれ。

 ンドラン氏にとってハッキンコガネに食されるというのはまさに「自分を表現する」行為だった。結果がどうであれ氏は自己表現を達成したことに大変満足し帰国した。人々がまるで機械の歯車のように扱われる現代社会において、氏の姿勢に学ぶことは多い。

『プラチナの季節』。一見すると芥川賞にでもありそうなタイトルである。しかし中身は想像を絶する自己実現への道をたどった男の軌跡だった。

 すごく元気が出る本である。一読して損はない。

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