英雄と呼ばれた男
杜右腕【と・うわん】
第1話
この島国にはかつて「
大賢者とも呼ばれ、この世の
ある時は火山の噴火を制御し、最小限の爆発で抑えて被害の発生を防ぎ、あるときは大量に発生した魔物に取り囲まれた国王一家の馬車を救い出し、そしてある時は突然攻め込んできた大陸の二ヵ国連合大船団の真っただ中に降り立ち、局地的な嵐を巻き起こして一隻残らず沈めた。
しかし、信じがたい大戦果を挙げた英雄だったが、自身も無事では済まなかった。必死に抵抗する敵の攻撃を一身に浴び、更に自らが巻き起こした大嵐の中で殲滅のための大爆裂魔法を発動させたため、大賢者として、英雄として十数年に
まあ、本当はこうして国の片隅で畑を耕して日々のんびりくらしているんだけどね。
大賢者、英雄と讃えられた俺も、年とともに力の衰えを感じていた。いずれ俺の力では救えない災害が訪れるかも知れないと云う危惧が日に日に強くなっていった。
それは致し方ない事なのだが、問題は国王から庶民まで、「英雄が居ればこの国は安泰」と信じ切っていた事だった。
俺がいることがこの国を弱くする。それでは本末転倒である。
そこで俺は、隣国の侵攻を奇貨として、自身の存在を消すことにしたのだ。
この決断は正解だった。
俺は能力の劣化にともなう醜態をさらすことなく、のんびりと二十年ほど人生を謳歌し、この国の人々は「命懸けで国を救った大賢者の想いに応えよう」と富国強兵に励み、今や魔物も恐れることなく、自然災害が発生してもすぐに救援が行われて被害を最小限にとどめられる立派な国になった。
「やっぱり行くのね」
部屋に入ってきた妻が、久しぶりの戦装束に身を包んだ俺に声を掛ける。
妻は俺の幼馴染であり、現在、唯一俺の正体を知る人間である。成人して町で働いている娘と息子も、俺が元大賢者だとは知らない。
「たとえこの世が滅びても、あなたに傍に居てほしい……なんて言ってはいけないわよね」
俺は俯く妻を優しく抱きしめる。
「約束、守れなくてすまない」
声が震え、抱きしめた腕に力が籠る。
しばらくして腕を解くと、妻はテーブルの上にあったナイフを手に取り、己の髪をばっさりと切り落とした。ダークブロンドの髪の房をひもで縛った妻は、
「せめてこれを一緒に連れて行って」
と言って、それを俺に手渡した。
俺は、英雄を辞めて身を隠したとき、責任を放棄したような思いに取り付かれて、世を捨てて山奥で野垂れ死のうと思っていた。そんな俺を止め、人としての幸せな人生を送らせてくれた妻。
俺はかつて英雄と呼ばれたが、俺にとっては俺を苦悩から救ってくれた妻こそが
だが、その約束を守ることは出来なくなってしまった。
この国の沖合にある、鳥も通わぬ島の洞窟で、「この世を滅ぼすもの」が目を覚ましてしまったのだ。そのことを知るのは俺と妻だけ。
雷撃を操り、いかなる物理攻撃をも跳ね返し、あらゆる魔法を無効化する強力な外皮を持つ魔物を
島の上空から見ると、ちょうど魔物が洞窟から外に出たところだった。
目の無い巨大な蛇のような体にぽっかりと空いた口で、周囲の物を次々と飲み込んでいく。
攻撃出来るのはあそこだけ。だが外から攻撃しても効き目は無い。
意を決した俺は、身に風魔法を纏わらせ、巨大な口に飛び込んだ。びっしりと並んだ鋭い歯に左足首を食い千切られ、全てをすり潰そうとする口内の筋肉に、右腕の骨と肋骨が折れる。
強力な酸束を溶かし、皮膚を焼いていく。
懐に隠した髪の房を握りしめ、歯を食いしばって飛行魔法で奥へ奥へと進んだ先。内臓壁を通して心臓の強い脈動が伝わってくる。
「こんなやつと死出の旅路を逝くことになるとはな」
皮肉な笑みを浮かべて、俺は最期の大爆裂魔法を解き放った。
テーブルの上のティーカップが、ピシリと割れた。
「行ってしまったのね……そのうち私も行くから、待っててね、あなた」
英雄と呼ばれた男 杜右腕【と・うわん】 @to_uwan
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