【KAC20228】ラストマン・スタンディング・ヒーロー

石束

あしたのチャカポン

 大通りから二筋ほどにお堀側。

 杉の板塀に囲まれた一軒家は、贔屓の旦那さんに口をきいてもらったものの、祇園で芸妓をやってた頃に上手に溜めたへそくりで手にした、おたかの城である。


 いつもは二つ三つ掛け持ちの三味線の出稽古も、今日はお休み。

 朝から出かけていた彼女は、心持ち機嫌よく帰ってきた。


 後ろに、風呂敷包みを担いだ道具屋さんを、引き連れて。


 ◆◇◆


「ただいま戻りましたよー」


 明るく言って、引き戸を開ける。


「鉄之介さま、いらっしゃいますかー」


 玄関を入れば、二間があるっきりの小さな家だ。それでも三味線の稽古で人様に迷惑をかけないように、と、縁側と杉塀の間には柿と柚の木を植えた小さな庭がある。

 呼びかけた相手は涅槃の姿の仏さまのような格好で、畳の上に寝そべりながら、その庭を眺めていたのだった。


 しかし返事はない。よって、おたかは、再び声をかけることにした。


「鉄之介さま?」

「聞こえている」


 今度は返事があった。 


「いらっしゃってようございました」

「いて悪かったな」


 あらら、と言いかけて、口を閉ざす。その態度に何かを察したのか、相手がむくりと起き上がった。

 二十歳すぎたばかりの若侍である。消沈して気力を失っているから小さくも影薄くも見えるが、風采もよく、体格もよく、着ているものも華美ではないにせよ質のよいもので、それなりの家の出であるとわかる。

 

「三千世界に身の置き所無き身ゆえ、どこにも行けぬ。仕方ないからこんなところにいる」

「こんなところとは、ご挨拶ですねえ」


 思わず憎まれ口が出たけれど、もうなんか、可哀そうという感情が先にたつ。

 事情を知る彼女としては何とか気持ちを引き立ててあげたかった。


 彼はさる良いところのお武家様の息子さんの一人なのだが、「一人」というからには兄弟がいる。それこそ一人二人ではない。

 出来も出来たり、十五人。彼はその十四番目である。


 いやー、お父さんがんばった。


 お兄さんが家を継いで、お父さんが隠居してから生まれたというから、いっそ健康を自慢していいくらいである。


 ただ、お侍さんのお家のことである。彼ら兄弟たちは、当主と当主の血筋に万が一のことがあった時のために、家に留め置かれるのが通例だった。これを「部屋住み」という。行く末家も継げず仕事もなく、ただ家にいるだけという扱いをされていた。


 これは辛い。何しろ捨扶持を与えられての飼い殺しなのだ。

 自由もなく、仕事もなく、生活はつましく窮屈。


 この現状から逃れるすべはただ一つしかなかった……のであるが。


「お見合いだめだったの、そんなに堪えたんですか?」

「お前、水商売やってたんなら、もう少し相手を気遣った発言をしろ!」


 いやですよ。(と、心の中で)おたかは言った。

 なんで自分の家で仕事用の会話をせねばならんのか。


◆◇◆


 彼に養子縁組の話が来たのは少し前の事である。

「部屋住みのまま、人生を浪費するしかないのだろうか」と柳の木が揺れるのをぼーと見ていたところに、降ってわいた婿入りの話。


 彼は知人縁者、さらにはわざわざ、おたかにまで別れの挨拶をして、弟と二人、勇躍して当主である兄が待つ江戸へ旅立った。

 もう二度と故郷の地は踏めぬだろうと、覚悟の旅立ちだった。

 なのに。


「弟さんの方だけ話がまとまるとか。どうなってるんですかね」


「そんなの、俺が聞きたい」と、また若様――鉄之介は庭の方を向いて横になってしまった。

 

「もう! そうやって、日がな一日うらぶれてるから、ろくな心持ちにならないんですよ! ――がんばって『見る目がなかった』と鉄之介さまをフッたことを後悔さてやりましょうよ!」


「フッたいうな! 俺はフラれたんじゃない! 話がまとまらなかっただけだ!」


「はいはい」と、気楽に流して彼女は「またせてごめんね」とぱんぱんと、玄関先に向かって手を叩いた。


「ああ、このへん! このへんに適当にひろげっちゃって。――ほら! 鉄之介さまも、起きて! それからこっちむいてくださいな!」


◆◇◆


 鉄之介が体を起こすと、顔だけは知っている近所の道具屋さんがいた。

 風呂敷包みを「よっこらせ」と下ろして、広げ始める。


 この道具屋さん、店は小さいし丁稚さんと二人でやってるだけだが、色んな商品に目が利くので、そこそこ大きな武家や商家とも取引があったはず。

 鉄之介の父も、個人的に呼んだことがある。あれは確か茶道具の時だった。


「若様がおいでと聞いて、色々持ってまいりました。いいモノもありますが、中にはよくわからないものもありまして、正直手前の方でも扱いかねております。一言なりとも、ご教授いただきましたら」


 ――左様に、如何にも知らぬふうを装って下手に出るのは、相手を「カモ」と見た時の道具商いの手練であるが。


 などと鉄之介は思い、少し気持ちを惹かれている自分を発見して、表に出さず苦笑した。

 この道具屋といい祇園で芸妓をやっていたおたかといい、海千山千の大人たちにとって自分のような若造などは赤子同然であろう。


「焼き物は、この白いのは萩か。姿はよいがもう少し重みがほしいな。いかにも落ち着きがない」


「……若様のお点前はご先代様直伝でございましたな。手前も御前には、よく、そんな風にお叱りをいただいたものです」


「父上はそなたを叱ったりはしておらんよ。あれは楽しくてつい口をついたのだ。兄上に家督を譲られて、あとは悠々自適。よい終わりを迎えられた」


「もう四年、いや五年でしょうか? 早いもので。――こちらはお刀です」


「いいな。――いや、中々にわるくない。少々じゃじゃ馬にみえるな。見慣れぬ様相で素性をはかりきれぬが」


「陸奥守吉行でございます。若様が先代様から拝領された『虎徹』にはおよびませんが、土佐では少々知られた刀です」


 やっているうちに興がのってきたのか。

 鉄之介の表情が少し明るくなってきた。おたかも、「ああ、道具屋さんにきてもらってよかった」と胸を撫でおろした。

 ほっとしたついでに参加してみたくなった。


「鉄之介さま! これは? これはなんですか?」

 と一冊のこより綴じの書物を差し出す。

 受け取った鉄之介は数枚めくって、わずかに表情を厳しくした。


「ご亭主、これはどこから?」

「出所はもうせません。――やはり、いわくつきでございましたか?」

「そなたにも定かでないか」

 鉄之介は少し悩んで、道具屋へ冊子を差し戻した。


「おそらく『大日本史』の写本だ」


 水戸光圀いらい水戸藩が編纂して来た巨大な歴史叢書であり、「水戸学」という歴史学とも哲学とも思想であるともいいうる特異な学問を生み出した『母体』。


「学徒として入り込み学んだものが密かに写し取ったものだろう。扱いには気を付けた方が良い。無許可の写本なら大ごとだ」


 はい。と道具屋は頭を下げ、おたかは「ひええ」と声を上げて後退った。


「そして、これは能面、か」


 桐箱から取り出したのは「鬼女」――いわゆる「般若」の能面だった。ただ、着彩前の無垢のまま。

 やや暗く沈んだ地肌にくっきりとした杢目が浮かび上がって、まるで力強く脈動しているかのようである。


「なんだこの材は、杉か?」


 能面は桧でつくる。杉は固くおおよそ繊細な能面づくりに向かない。


「それは珍品ですな」と道具屋は笑った。


「薩摩の南に屋久島という島がありまして、そこには千年万年年を経た杉の大木がございます。この杉の頑丈たるや比類なく、地面に埋まっている古木の根すら彫刻に耐えるとか。これはその大木の埋木から削り出したものです」


「………」


「若様?」


 鉄之介が黙っているので心配になった道具屋が声をかける。

 するとようやく鉄之介が一つ息をついて、体から力を抜いた。思わず体がこわばったようだった。


「これは怖いな……何やら、恐ろしい執念感じる。埋めてなお朽ちぬ巨木の根、か」


 恐ろしい、といいながら、鉄之介はその面を正面からにらみつけていた。

 まるで、目を背けては、負けだ――とでも言わんばかりに。


 ◆◇◆


「すこしは、気が晴れましたか?」


 そんな風に、おたかがいうと


「うーむ。気が晴れたような。余計くたびれたような」 

と鉄之介は肩こりをほぐす様に首を回した。


「鉄之介さまはいろいろ勉強されて、色々ご存じなのですから、色々やってみればよろしいのです。

 お茶もお能も、剣術や学問だってなさるのですから!」

「そうだな」

と鉄之介はまだ広がったままの古道具を眺めた。

「やってみるか。特に定めず、色んなことを。――さすれば、どれか一つくらい、物になるかもしれん」

 時間はあることだしな、と笑う鉄之介。


 けれども――おたかは、彼女だけは根拠なくして、しかし疑わず確信している。


 ――うちの若様は、きっと誰にもマネのできない大仕事をなさるのだと。


◇◆◇


 鉄之介は幼名である。この時点の彼の呼び名は正しくは「井伊鉄三郎」。


 ――諱名を「直弼」


 彼が歴史の表舞台に傲然と姿を現すのは、弘化三年、一月のこと。

 井伊直亮の嗣子死去にともない、直亮の養子として彦根三十五万石の後継者となる時である。 


 ――「国賊」か、それとも「英雄」か。


 今なお、その評価は揺れ動いている。





 

 


 


 

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