うずまき貝

尾八原ジュージ

海にて

 うずまき貝がわたしの声を吸い取って、どこかに逃げてしまいました。歌手をやっていたわたしは仕事ができなくなり、恋人にも捨てられて、生活に困ることになりました。すくない貯金を食い潰しながら、来る日も来る日も浜辺をさまよってうずまき貝を探しました。

 そうやって過ごしていたある日、わたしは海で、わたしの声でうたっている人魚を見つけました。

「これあんたの声だったの。うずまき貝といっしょに食べちゃったのよ」

 彼女はとてもすまなさそうに言いました。「お詫びといっちゃなんだけど、あんた生活に困ってるんでしょ。だったらあたしと暮らしましょうよ」

 それからわたしは人魚と、海の近くの洞窟で暮らし始めました。人魚は魚や海藻やきれいな貝殻を集め、わたしはそれを街で売ってお金にしました。生活には困りませんでした。歌手をしていた頃よりも豊かなほどでした。

「あたし人魚のくせに声が出なくってさ、歌をうたえない人魚ってのは、死にたくなるほどつらいもんなのよ。だから、あのうずまき貝とあんたは、あたしにとって神様みたいなものなのよ」

 人魚はそう言ってわたしを持ち上げるのです。ところがわたしにとっては、人魚こそが救い主みたいなものなのでした。彼女はわたしをとても大事にして、前の恋人のように殴ったり、むりやり仕事にやったりしませんでした。たまにわたしが街で甘いものを買って帰ると、人魚はそれだけでとても喜んで、わたしの声でうたうのでした。

 ある日わたしが洞窟の掃除をしていると、わたしの前の恋人が突然やってきました。彼はわたしを殴り、ひきずって連れていこうとしました。わたしは抵抗しましたが、男が銃を持っていたので恐ろしくて、とうとう大人しくされるがままになってしまいました。

 そのとき海の方から「声のでない歌手なんか連れてってどうすんだ、ばか!」というわたしの声が聞こえました。男はよほど驚いたらしく、わたしから手を離し、海岸に寄って声の主を探そうとしました。そのとき岩陰から躍り出てきた人魚が、彼をつかまえて海の中に引きずりこんだのです。

 水音と銃声があたりに響きました。わたしは震えながら海面を見つめていました。海の水がじわじわと赤く染まり、やがてその中から、人魚が白い顔をぱちゃりと出しました。

 洞窟に上がってきた彼女は「人魚に海で勝てるわけないのよ」と言って微笑みました。でも、鳩尾からはおびただしい血が流れていました。駆け寄ったわたしの腕の中に、人魚は棒のように倒れました。

「ねぇ、あたしの肉食べなよ。もっかい声が出るようになるよ」

 人魚はそう言って動かなくなりました。何度ゆすってもなでても、もう何も言いませんでした。

 わたしはしずかに泣きながら、死んだ人魚の肉を食べました。それが彼女のねがいなら、そうしなければならないと思ったのです。食べるうちに、今まで人魚のものだった声が、わたしの喉に戻ってきました。わたしは人魚が戻ってきたような気がしてほんの少しうれしく、そして余計にひとりぼっちになった気がして、ひどくさびしくなりました。

 わたしは海からうずまき貝をひとつ拾ってくると、自分の声を入れて蓋をし、胸元に大事にしまいました。うずまき貝は時々わたしの声でうたいます。それを聞くたびに、わたしは人魚が戻ってきたような気持ちになります。そうやってわたしはこれから、人魚のくれた永い命を生きていこうと思うのです。

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うずまき貝 尾八原ジュージ @zi-yon

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