春夜に飛び込む シアとレン 8

楸 茉夕

春夜に飛び込む

 シアとレン 8


(あの不動産屋、調子のいいことばっかいいやがって……!)

 彼は一人、アパートの部屋で震えていた。

 家賃が安い―――不自然なまでに安い時点で、怪しめばよかったのだ。しかし、背に腹は代えられない。ない袖も振れない。己の経済状況を考えると、都心の大学に通える範囲で家賃二万八千円というのは、それだけで即決したくる条件だった。

 和室の六畳一間、風呂とトイレは共同。そのくせ何故かベランダはある。そのベランダが、悩みの種だった。

 明るいうちはいい。特に異変は感じられない。しかし、夜。―――妙な音がする。

 最初は気のせいだと思った。ベランダの手摺りを叩くような音がして、なんだろうとカーテンを開けてみたが、何もない。それが、特に規則性はなく、何度か続いた。気のせいではない。しかし、原因がわからない。

(事故物件だ……絶対事故物件だ!)

 何をしていても、気になって仕方がない。誰かの部屋に泊めて貰おうかと考えたが、まだそこまで親しい友人がいない。地元から同じ大学に進んだ者はいなかった。

 うずくまっていても仕方がないので、彼は風呂に入ってきてしまおうかと立ち上がった。すると、窓の外で、

「痛っ」

「!?」

 手摺りにぶつかる音だけでなく、何かが落ちる音と、人の声が聞こえた。

(幽霊じゃなく泥棒!?)

 これまでは、音はしても声がしたことはなかった。幽霊相手ではどうにもならないが、正体が人間だとなると話が違ってくる。

(証拠撮って警察に突き出してやる!)

 彼はカメラを起動したスマートフォンを構え、そろそろと窓に近付いた。カーテン越しに鍵を外し、カーテンと窓を同時に開ける。

「ふざけんな泥棒……え?」

「うおっ、眩し……ん?」

 カメラのフラッシュに驚いたのか、声を上げたのは若い男だった。それだけでなく、彼の見知った顔だった。それが何故か、全身黒ずくめの格好で片手に銃を持ち、ベランダの手摺りに片足をかけている。

「……レン先輩?」

「や、やあ、シアくん、こんばんは。もしかしなくても、ここは君んなんだね」

 先日入ったサークルの先輩であるレンは、ひきつった笑顔で言いながら上げていた足を下ろした。よくよく見れば、銃だけでなく、腰に刀か剣のようなものを吊っている。黒いスーツと黒いシャツ、黒いネクタイなので、夜に溶けてしまいそうだ。

「何やってんすかこんなとこで」

「ええと……説明している時間がないんだ。とりあえず今撮ったのは消してくれる?」

「レン! 何やってんの!」

 遠くから女の声がして、レンは首を竦める。

「今行く! あ、いけない」

 独り言のように言い、レンは銃を持っていない方の手で刀を抜いた。そのまま、シアの真横の空間をぎ払う。

「うわっ! ななな、何するんですか!」

「ごめん、明日学校で! 今のは消して! 今すぐ消して!」

「あっ、ちょっ……」

 言い残し、シアは手摺りに片足をかけて跳び上がった。そのまま隣の民家の屋根に着地すると、夜の闇に消えていく。

「……なんなんだ一体」

 ぼんやりと見送ってからシアは我に返り、カメラロールを見直してみた。眩しそうに顔をしかめた黒服のシアが写っている。

(まさか……今までの物音、あの人だったのか?)

 夜風で冷えてくしゃみが出るまで、シアはレンの消えた方角をずっと眺めていた。



      *     *     *



 映像研の部室に呼び出されたシアは、パイプ椅子に腰掛けてそわそわと人を待っていた。講義終わりの鐘が鳴ってしばらく経つ。忘れられているのではないかと心配になってきたところで、不意に扉が開いた。

「ごめんごめん、講義が長引いて。お茶とコーヒーどっちがいい?」

 入ってきたのはシャツにジャケット、デニムという普通の服装のレンで、シアはこっそりと息をつく。昨夜のように黒ずくめだったらどうしようかと思った。

「……どっちでも」

「じゃあお茶。参ったよ、斉藤先生話が長くて」

 シアの前にお茶のペットボトルを置き、ぼやきながら缶コーヒーを開ける姿は、昨夜の黒服と同一人物だとは思えない。

「あの……」

「うん、シアくんの言いたいことはよくわかる。その前に、昨日の写真をだね」

「納得できたら消します」

 告げれば、レンはあからさまに目をらした。しかし、すぐに貼り付けたような笑みを浮かべる。

「今度ああいう映画撮ろうと思うんだけどどう思う?」

「嘘ですよね」

「そんなこと……」

「本当だったら通報します。不法侵入と銃刀法違反で」

「嘘です。―――なんて融通の利かない新入生なんだ」

 すぐさま認め、レンは溜息をついた。缶コーヒーを飲み干すと、諦めたように話し出す。

「話せば長くなるんだけど」

「出来れば手短に」

「塩だな君は。えー……つまり、映像研では、夜な夜なお化け退治をしてるんだよ」

 曰く、少々がしてあって、そもそも映像研に入ろうとする人間は、「才能」がある。「才能」がなければ、映像研究会というサークルの存在は認識できても、入ろうとは思わないらしい。

 サークルに参加した時点で第一関門はクリア。あとは説明を聞いて、「お化け退治」に参加するかどうかを決める。それは個人の意思に委ねられ、強制はしないという。

「やる気がないと続かないからね。楽な仕事でもないし。シアくんに話すのはもう少し経ってからと思ってたんだけど」

「仕事なんですか?」

「一応。討伐数に応じて報酬が貰えるよ。アルバイトみたいなものさ」

 アルバイトという言葉には惹かれた。苦学生として、お金はあって困ることはない。

「説明を聞いて、やっぱりやめますってなったら、口封じに消されたり、記憶を消されたり……」

「するわけないだろ!? と言うか、なんだい君は、映画の話は信じないのに、この話は信じるのかい」

「目の前で忍者ムーブかまされてますから。動画撮っとけばよかった」

「やめてくれよ。まったく、技術の進歩も困りものだね。そうだ、CGだよCG」

「質量のあるCGを現実世界に出現させる技術はまだありませんよ」

「知ってる」

 溜息をつき、レンはコーヒーを飲み干した。会話が途切れたので、シアは気になっていたことを口にした。

「昨夜の女の人は? あの人も映像研ですか?」

 レンは視線をシアに戻し、目を見開く。

「……姿を見たのかい?」

「いえ、声だけでしたけど」

「おっと。これは逸材じゃないか? どうだい、シアくん。一緒にお化け退治してみない?」

 お茶にでも誘うような気軽さで言うレンに、隠さず顔を顰め、シアは答えを保留して尋ねた。

「ここで俺が断って、このことを言いふらさないか心配ではないんですか?」

「それは別に。言いふらしてもシアくんの正気が疑われるだけだし、昨夜の写真が拡散されても何かのコスプレか衣装だと思われるだけさ。映像研としてもちゃんと活動してるからね。時代だよねー」

 納得してしまい、シアは顔を顰めたまま口をつぐんだ。シアが、映像研がオカルト集団だと触れ回ったとして、笑い飛ばされるのが目に見えているし、映像研がそういう動画を作成中だと思われるだけかもしれない。それを折り込んでの映像研なら、考えた人間は頭がいい。誰かに見られても、妙な服装は衣装、武器は小道具で押し通せる。

「……やります」

 シアの言葉を聞いて、レンは驚くことはせずに嬉しそうに笑んだ。

「ありがとう。そう言ってくれると思ってた」

「もう一つ聞きたいんですけど」

「なんだい?」

「俺があのアパートに入ってから、頻繁にベランダで物音がしたんですけど、それって先輩だったんですか?」

「何回かは俺たちの誰かだね。俺は昨夜が初めて。どうやら、あそこがになってるらしくて……あ、俺がいた理由? 単に足を滑らせたんだ」

 てへ、とレンは芝居がかった仕草で頭を掻いた。それはスルーし、シアは重ねて問う。

「先輩たちじゃないほうの音っていうのは……」

「それは払っておいたから大丈夫。もう、物理的な音以外の音はしないよ」

 やっぱり幽霊の音もあったのかと、背筋が寒くなる。シアの様子には気付かない様子で、レンは続ける。

「その代わりと言ってはなんだけど、これからもあそこ通らせてね」

「……なるべく通らないで欲しいんですけど。びっくりするんで」

「あんまり遅い時間には行かないように言っておくから。―――そうそう、みんなに紹介しないとね。集合かけるから待ってて」

「映像研の人たちだけじゃないんですか?」

 問いには答えず、レンは楽しそうな笑みだけを残して部室を出て行った。一人残されたシアも、ひっそりと笑う。

(……やばい、楽しくなってきた)

 妙なアパートに入ってしまってどうなることかと思っていた大学生活だが、レンのおかげで楽しくなりそうだ。



 了

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