かみのみそしる

硝水

第1話

 共用の廊下を歩いている時から、なんだか味噌汁の匂いは漂っていた。どうせ帰ったって誰もいないのに、他所の家の食事の匂いが、やけに郷愁を誘うような、別にそれが味噌汁である必要はないんだけど、味噌汁の匂いというのは殊にてきめんだった。

 今日は午後から半休を取っていて、だから真昼間からガラガラの下り電車を乗り継いで、寂れたアパートの螺旋階段を上っていて。味噌汁だ、と思った。具はなんだろう。赤味噌か、合わせ味噌か、白味噌か。僕は茄子が好きだ。そんなことを考えながら玄関の鍵を開け、味噌汁の香りに別れを告げる。はずだった。

「赤味噌だ」

 家の中から赤味噌の匂いがする。ことことと、煮立っている。コンロには鍋がかかっていて、火もついていた。あぶない。火を消す。蓋を開けるともうもうと湯気がたちこめ、眼鏡が真っ白に曇る。晴れると、味噌汁があった。

「なめこか」

 細かく刻まれた絹ごし豆腐となめこ。赤味噌。蓋を戻して、表札を確認しに戻る。うちだった。

「毒とか入ってるのかなぁ」

 そうかもしれない。だって鍵はかかってたし、鍵のかかった部屋に忍び込んで味噌汁を作った上に、家主に対して挨拶もない。完全な善意とは信じ切れない状況。

 荷物を置いて、上着を脱いで、茶碗に味噌汁をよそう。この際毒が入っていたっていいだろう。なめこの味噌汁って、実はずっと食べたかったものだ。つるつると歯の間から逃げようとする菌糸類を仕留め、繊維の一本一本に解いていく。あついつゆがじんわりと喉をくだっていく。美味しいという感情は、消化されて安全だと確認してから発生するべきものらしい。が、今、危険でも、美味しいと思う。それが嘘ではないというのは、僕が信じよう。はてさて僕が明日生きているかは、

「神のみぞ知るってね」

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かみのみそしる 硝水 @yata3desu

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