星野草太

 俺は細い枯れ枝の先で小さな雑草の根元をなぞっていた。

 枝先に力をいれると乾いた軽い土がはがれ、干からびた藁の色から濃厚なキャラメル色に変わる。ねっとりとした固さをもったそれは地面に吸着したまま動こうとしない。

 さらに強い力を加えると、枝が折れた。

 もう少し硬い枝はないだろうか。地面には何もない。竹箒の跡があるばかりで、半分埋まった小石しか見当たらない。

 コンクリートブロックのフェンスから腰を上げた。白い石柱の間を抜けるとすぐ手前に軽トラが並ぶトタンの納屋がある。中は薄暗く、壁に並んだチェーンソウと灯油の臭いが侵入を妨げる。

 他をあたろう。大き目の砂利がちらほら混ざる道の先には、白く霞んだ古めかしい母屋があり、その屋根より高い柿の木が並ぶ。

 二歩、三歩進んだところで、娘の泣き声が響いてきた。だんだん大きくこだましていく。

 踵を返す。俺は娘をあやせたことがない。柿の木はやめよう。さすがに生きた枝を折るのは違うだろう。

 軽トラの荷台に鉛筆大の桜の枝を見つけた。

 泣き声は聞こえなくなった。


 フェンスにはツルハシとスコップが立てかけられていた。その左手に座る。白いもやのせいで遠くの様子はわからないが、ぽつりぽつりと家のような影が見える。風はないが、気温は低い。

 アスファルトが敷かれた公道との境界間際に先ほどの雑草があった。たいして色味がない。すぐ枯れるだろう。

 かまわず新しい枝で削り始めた。今度は力を入れても折れないし、入れた分だけキャラメルがはがれる。

 隣のスコップを使えば根こそぎひっくり返せるだろうか。そうしたら、今まで削った跡などなくなってしまうのだろうか。

「あとで埋めておくのよ」

 隣に座っていたのは母だった。白い着物にピンクのエプロン姿と、記憶にない組み合わせである。

 俺は無視して雑草を削った。桜の枝は力強く地面を削る。枝先を前後に往復させるだけでどんどん溝が深くなる。

 そして雑草の根が切れた。残ったのはただの浅い穴だった。

「うちの柿好きでしょう。食べな」

 母の膝には、藁で編んだざるに大ぶりの柿が並んでいた。ツヤはあるが色味は薄い。

 柿を受け取る。触れた子指は冷たかった。柿もひんやりとしている。

 皮を無視してかじりつくと、柿の香りと甘ったるさがあふれた気がしたが、噛むほどそれが錯覚であったとわかる。ただ冷たい水が吹き出しているだけだ。舌触りだけ少しベタつく。

 母は笑顔のままだ。

「先に行っているわね」

 そう言って道に出ると、すぐに靄の中に紛れていった。

 最後に白い足首と足袋が残っていた。あの足袋を履かせたのは俺だろう。

 スコップで穴を消した。


 金属がアスファルトをこする音がした。音は断続的に鳴り、鈍いメトロノームのようにリズムを刻む。それが一つではなく三つ四つと隊列を組んでいく。

「これで全員だったか、もう行っちまうぞ」

 近所の坊主の笑い声だった。

 俺はツルハシとスコップを掴んで靄の中へ駆け出した。 

 つなぎ姿の男がわらわらと歩いていく。先頭の坊主は作務衣姿に白いタオルを頭に巻き、不必要にももを上げて前を行く。肩に背負ったスコップが陽気に上下して、後ろの男は距離をとった。

 登り坂、登り坂、林道と、歩くたびに木々で空間は密になり、湿気と冷気が濃くなっていく。地面も水気を帯びていき足の裏から体温を奪う。

 嫁の飯がうまい、息子が歩けるようになった、坊主だけが騒がしい。他の男らは何を話すこともなく、相槌があるわけでもない。

 道の両端に熊笹が迫ってきた。竹の門が刺さっている。門といっても立派なものではない。あせた細い竹を不細工に縄でつないで門という形をしているだけである。高さだけはそれなりで、かがむことなく通り過ぎる。

 風が抜けた。木のないゆるい斜面が広がっている。金属がぶつかり合う高い音が重なる。

「おし、じゃあ少し休んで始めるか」

 言うと坊主はさらに奥に進む。そこには無数の木の柱が地面から生えていた。

 

 男二人が幾度となくくわを振り落とす。丈の低い雑草はぐちゃぐちゃに壊され、黒褐色の土が巻き上がる。

 ほどなくして畳一畳よりもひと回り大きな長方形がくりぬかれると、坊主と俺がスコップを突き刺す。硬い。なんども蹴とばしているがあまり刃先は沈まない。穴はくるぶしほどの深さからたいして進展しない。

「こりゃだめだ、鍬でそうとう崩さにゃ日が暮れる」

 坊主がどき、鍬の男が振りかぶる。

 そしてまたスコップを入れる。鍬で崩した土は簡単に持ち上げられる。こんどこそとスコップを蹴りこむ。

 深さが膝を超えたあたりで土の色は茶褐色に変わり、粘土のように水分の多い重い土になった。穴の中は鍬をふるうのには狭いので、この先はスコップやツルハシで掘り進めるしかない。入れ替わり穴に入りながら少しずつ深くする。

 鳥の声が聞こえるわけでもない。聞こえるとすれば男たちの深い息づかいと坊主頭の男が時折「明日は筋肉痛だな、いや明後日か?」などとおどける声のみだ。

 額から汗が滴って地面を濡らす。体は火照り、熱い蒸気を吐き出している。貧弱な俺の身体は節々から悲鳴を上げていた。それでも気にすることなく、穴を深くするため、ただひたすらツルハシを下ろし固まった土をほぐしていく。

 何回入れ替わったかわからない。底の土を崩し、土の壁を削り、バケツで土をかき出しながら穴は広がっていく。腰、肩、そして頭よりも深くなった時、坊主が終わりを告げた。

 土だらけ、汗だらけで地面に突っ伏した。抜ける風が心地よい。


 竹の門の下にはすでに黒のネクタイを締めた親父と娘を抱えた妻がいた。妻はいつも通りにっこり笑っている。

 親父はへこへこしながビニール袋に入った柿を配っている。夫婦そろって皮も剥かずに投げやりなことだ。

 野辺送りは何時からだったろうか? いったん風呂に入る時間はあるだろうか? そんなことを考えながら柿に手を伸ばした。

 手は柿を通り抜け、触れることすらできなかった。

 そうか、そうか……、まあいい。強い強い橙色の柿、俺はその味を知っている。

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星野草太 @SoutaHoshino

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