私だけの片腕英雄

風親

私だけの片腕英雄

「え? なんで今、その最後の切り札を使っちゃったの?」

 走り寄ってきた老魔道士は呆れるような目で俺を見ながらそう言った。

「いやあ、だって、そこの魔族たち。凶悪だったし、危なかっただろう?」

 俺は涙に血が混ざって見えづらくなっている視界の中で、幼女が母親らしい人に抱きかかえられているのを見て満足していた。

 隣にはこんな辺境にいるとは想像できなかった大きさの魔族が転がっていた。

「大きな反動があるって言ったじゃろう」

 老人は割と大きい声で俺に怒っていた。俺のためなんかに怒ってくれているようだった。もっと魔族に囲まれて絶体絶命の時とか、決戦という時に使えと言っただろうと残念がっていた。

 なんだ。割と元気そうだな。爺さん。

 自分では、そう軽快な口調で返したつもりだったけれど、空気を伝わるような音にならなかったらしい。 

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 怖い魔族たちから助けた幼女が、俺の側まで来て泣いていた。俺に駆け寄ってしまいそうなのをお母さんらしき人が抱きかかえて何とか押し留めていた。

 いいよ。血だらけで汚いからね。

 なんだよ。死ぬのかな。

 ちょっと反動が大きいだけって言ったじゃないか。

「娘を助けていただいて、ありがとうございます」

 お母さんも泣きながら感謝していた。

 母娘の表情を見るとこれは駄目なんだなと思った。

 よく見れば俺の右腕はもうどこかに吹き飛んでいた。

 英雄譚だと、こういう時は治癒魔法とかで治ったりするものじゃないのかな。

 まあ、一人の命で二人助かるのなら、十分だろう。満足だ。


 幸運なことにと言ってよいのか分からないけれど、俺は死ななかった。

 ただ、回復魔法も無くなった腕までは生やしてくれないし、足もかなり不自由なままだった。

 神様の奇跡とやらも中途半端だな。

 俺はそう神様にも愚痴った。

 戦えなくなった傭兵に何の意味があるのだろうと思いながらも、魔族の人間界への侵攻は続いていた。

 食い扶持を稼ぐことももちろんあったけれど、魔族を追い払わなくては安心して街の酒場で酒も飲めやしねえ。

 最前線には立てなくなったけれど、後方でできることは何でもやった。兵糧を運び、人間も魔族も死体を片付け、死体から剥ぎ取った武器、防具は綺麗に洗って使えるようにした。夜の見張り、囮といった仕事をこなしてきた。

「でも、ちょっとしんどいな」

 戦いは十年経っても続いていた。

 不自由な体を酷使するとますます他の箇所まで痛めてしまう。

 俺は場末の酒場で一人、酒を飲みながら愚痴っていた。

 でも、小さな街でも夜に酒場が開いているのは嬉しいことだと思う。

 魔族との戦いは膠着状態だが、かなり押し返している。

(最近、この地方に現れた若い勇者がすごいと評判なんだっけか……)

 俺なんかには関係のないことだと思いながら、その勇者が頑張って俺の仕事なんて無くなってくれればいいと本気で思っていた。

「あ、ああ」

 もう机に俯して、そのまま寝てしまいそうな俺に変なうめくような声が聞こえてきた。

「さ、探しました。ようやくお会いできました」

 いきなり手を包み込むように両手でしっかりと握られた。顔をわずかに上げるととても綺麗な少女が目の前にくっつきそうな距離にいた。

 俺なんかでも酒臭い息が気になってしまうくらいに近くて、思わず俺の方が仰け反ってしまった。

(誰だろう。この酒場はマスター以外はおばさんしかいなかったはずだが……)

「天使か?」

 酔っ払いの戯言だけれど、割と本気で一瞬そう思った言葉が口をついてでた。

「そ、そんなものではありませんよ」

 金髪が場末の酒場の照明でもキラキラ光って眩しい少女は、白い肌を赤らめて照れていた。

 よく見れば、鎧を身に纏っていた。どうやら俺の知っているような天使ではないことだけはわかった。

「私は、昔、あなたに命を助けていただいたものです。覚えていませんか、お兄ちゃん」

 昔の記憶を重ねて見る。

 ああ、あの辺境の村の娘か。

 そう思い当たった。

 そういえば、この地方だったなと思い出していた。

「ああ、覚えているとも、どうした? おかげで無くなった俺の右手の代わりになって気持ちいいことでもしてくれるのかい。いひひ」

 君みたいな娘に、そんな眩しい目で見られても困る。

 俺はそんな立派な人間じゃない。

 早く、こんな場末の酒場からは立ち去って、二度とこないで欲しい。

「はい。それくらいは、もちろんいたします」

 残念ながら、俺の願いは届かなかった。

 この娘は、泥を被せても全く俯かず綺麗なまま。そんな意志の強さを感じられた。

「ゆ、勇者さま。こんな男にあまり関わらない方が……」

 彼女の後ろで、護衛らしい数名の男が顔をしかめていた。いずれも立派な騎士という格好だった。立派な鎧や剣。何一つ不自由なく育ち、でもしっかりと騎士として教育されたというのが顔に出ている若者たちだった。

 いいよ。君たちみたいな反応を期待していたんだ。

「この方は、私の英雄なのです」

 侮辱は許さないとでも言うように彼女は振り返った。こうしてみると確かに妙な迫力のある娘だった。

「命の恩人だというのは分かりましたが……」

 主君としてなのか、恋人としてなのかは分からないが、俺みたいな怪しい男を近づけたくない騎士君たちは何とか押しとどめようとしていた。

「それだけではないのです。この方は、私に魔物の倒し方を教えてくれた」

 その言葉に、若い騎士たちもどよめいていた。

「必ずや皆さんのお力になります」

 教えてないんだけどな。

 あの一回の戦いで、目に焼き付けたのか。

 幼女ってすごいな。

「さあ、行きましょう。お兄ちゃん」

 立ち上がった彼女は、俺に手を伸ばした。

 少し悩んだ後で、俺は気だるそうに左手を伸ばした。  

「ああ、分かった。魔族どもを追い払うために力を貸してやるさ」

「行きましょう。私たちで世界を救うのです!」

「おお!」

 彼女はもう片方の手をかざした。若い騎士たちはそれに対して大きな声で呼応していた。なぜか、こんな場末の酒場にいる客たちまでもが決戦前夜の兵士のように応じていた。

(え、世界?)

 変な熱量に当てられていたが、俺は別に、大して今と変わらない。

 リーダーが少女になるってだけだ。

 そう思いながら、俺は少しだけ今まで考えもしなかったことを思うようになっていた。

(あの力。もう一度だけなら使えるな)

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