雨の日ヒーロー

野菜ばたけ『転生令嬢アリス~』2巻発売中

第1話 私だけの救世主



 昇降口で見上げると、グレーに染まったその空は既に泣き始めてしまっていた。


 思わず漏れるため息に、心が更に沈み込む。


「あー、もう最悪」

 

 実は朝、ちょっとだけ迷ったのだ。

 傘を持ってくるか否か。


 ちょうど置き傘は昨日使っちゃってたし、折り畳み傘は先日の台風で大破した。

 まだ買い足していない為、傘を使うなら普通の傘を出る時に持って行く必要がある。

 

 だけど朝の天気予報は「今日は曇り」と言っていた。

 その上今日は体育の授業で、体育館シューズを持って行かないといけない。

 その分重くなったカバンが地味に重くて、面倒で。

 「更にこれ以上の重みを追加したくなかった」ってだけの理由で、私の怠惰が発動した。 


「だって雨だって言ってなかったじゃん……」


 自分の決断を横に置き、予報に恨み節を告げつつ灰色を睨む。



 ここで足止めを食らってもうそれなりに時間が経ったが、雨脚は強くなるばかりだ。

 


 今日は特に濡れたくない理由があったのに、最低だ。

 最悪だ。

 もう絶望だ。

 この世の終わりだ。


 そう思う一方で「このままここで待っていてももし止んでくれないのなら、妥協するしかないのかな」とも、思い始めた時だった。

 

「あれ? 榎木?」


 背中越しに、そんな声が掛けられる。


 

 聞き馴染みのある声に反射的に振り向くと、そこにはやはり見知った顔が立っていた。


 今年初めて同クラになった、隣の席の男の子。

 容姿も性格も大して目立つタイプではないが、穏やかで話の分かる良いヤツだ。

 だから席が隣になって以降は特に、休み時間によく共通の趣味話に花を咲かせる間柄になっていた。


「結構前に教室出てなかった?」


 言いながら、彼は下駄箱から出した靴を出す。

 投げるように落として履いてこちらに歩いてくる彼に「まぁそうなんだけど」と答えながら、私は視線をまた空の方へと戻した。


「雨が降っててさ」

「まぁそうだなぁ」


 彼の即答の後、2人の間には些かの沈黙が流れた。

 それを破ったのは、何かを思いついた彼の方だ。


「もしかして、傘が無い?」

「残念ながら」


 お陰でここで立ち往生。

 呟くようにそう言うと、彼は「ふぅん」と考え半分な声を出した。


「じゃぁ」


 パンッという軽い音に、彼の方へと目をやった。

 すぐ隣まで来ていた彼は、その手に開いた黒い傘を持っている。


「一緒に入ってく? 良かったらだけど」


 その声に、私は少し目を見開いた。


「えっ、いいのっ?」


 飛びつくように尋ねれば、その勢いに半歩下がって彼はおののく。

 が、動揺も一瞬だ。

 取り繕うような咳払いのあと、「いいよ」と言って傘をさす。


 そこにはちゃんと、もう一人分のスペースが確保されていた。

 彼の目が、私に「入って」と言っている。


「じゃぁお言葉に甘えさせていただいて……」 


 控えめな言葉を使いながら、私はその実イソイソと傘の中に入った。


 補助カバンを傘の内側へと掛け直し、私はスムーズに『死守』の体勢を作り出す。


 これだけは絶対に濡らしたくない。

 とっても大切なモノが入っているから。


「正直言って、超助かったー! どうしても諦められなくって」

「諦める?」

「実はこの前友達に貸したマンガが、今日帰ってきたところでさー。持って帰りたかったんだけど、御覧の通りこの雨な上に傘も無いし」


 そう続けると、彼は「あー」と同調する反応を見せる。

 

「確かに俺達オタクにとって、今日みたいな日は最悪だ」

「そうなのよ、マンガが濡れるのは死活問題」

「ただでさえ湿気で波打つ事だってあるのに、直接濡れたら大惨事だしな」

「一応ビニールカバーは掛けてるんだけど、それでもこの雨だと流石に不安になっちゃうし」


 友達に貸すいわゆる『布教用』の他に『保存用』と『自分読書用』も買えれば一番良いのだが、如何せん私たちはまだバイトも出来ない中学生だ。

 月の少ないお小遣いでやりくりする為には、一冊買うので精一杯。

 同じ本を何冊も買う余裕はない。


「いやぁー、もう『今日は教室に置いて帰ろうかな』とも思ったんだけど、返してもらったマンガってすぐに再読したくなるじゃん? どうしても今日読みたくって」

「ちょっと分かるわ。離れてた反動がなぁ」

「まさにソレ!」


 同志の理解にテンションが上がり、興が乗るのはいつもの事だ。

 が、今日はいつもと状況が違う。

 私はその事を失念していた。



 彼とパチッと目が合って、距離の近さにビクッとする。


 そんな自分の反応に、私は思わず驚いた。

 慌てて視線を彼から外し、ソワつく心に密かに手をギュッと握る。



 ――何でだろう。

 外なのに、まるで密室みたいな感じ。


 そんな感想を抱いてしまえば、途端に隣が気になって空のグレーと傘の黒を背負った彼をチラ見する。



 先程まではまるで気にならなかった隣が、どうしようもなく気になった。


 触れてはいない。

 けど何故か、淡い体温を感じるような気がしてくる。



 が、そんな自分の中の変化を、私は懸命に振り払う。


「……神!」


 ソワつく心を追い出す為に、唐突に私はそう言った。

 すると驚いたような彼に「何だよ突然」と聞き返される。


「東寺くんは、私の今日の夜の楽しみとマンガを救った神様だ!」

「大袈裟だなぁ」

「じゃぁヒーロー!」

「それも大袈裟」


 私の声に笑いながら応じる彼は、いつも通りの彼の筈だ。

 なのにどうしても気になっちゃうのは、きっと彼が今日は私の救世主だからに違いない。

 自分のピンチを救ってくれた相手に悪意は抱かないだろうし。


 そうでないと困る。

 困ってしまう。

 


~~Fin.



――――――


 お読みいただき、ありがとうございました。


 本作はKAC2022と第八お題、『私だけのヒーロー』の参加作品として書きました。

 ガチの青春もの、第二段です。

 「さて、何を書くか……」と思っていたら、ちょうどよく雨が降ってきたので雨縛りにしてみました。

 

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「オタクとして気持ちわかるぜ」


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