第107話 最低でも没落させましょう
=====
二人の間にいささかの沈黙が流れたのは、もしかしたらお父様の口から思いの他強い言葉が出てきて、面食らったのかもしれない。
そんな中、カチャカチャと食器の鳴る音が一つ。
見れば、夕食のジューシーなお肉に夢中のクラウンが、音を立てて食事をしていた。
たしか「たとえナイフやフォークの音だとしても、音を立てない」というのが食事のマナーだった筈だけど……まだ幼いから仕方がないのかな。
「マナーが満足に備わっていない子は、普通他家に子どもを連れて行かないのだけどね」
お母様が、まるで私の疑問を見透かしたようにそう言った。
両者間の沈黙を破ったのは、モンテガーノ侯爵である。
<ふざけるな! 格下の伯爵風情が、上位の侯爵を夜道に放り出すなど前代未聞の不敬だぞ!>
<前例がないのなら、私が前例になりましょう>
<……俺への態度は百歩譲るとしても、まだ幼い我が子を夜道に引きずり回せと言うのか!>
<ならば、最初から連れてこなければよかったでしょう>
目の前で繰り広げられている数分前の状況に、私たちは思わず絶句していた。
この期に及んで食い下がる。
こんなの、最早戦略としか思えない。
でも、戦略でここまで図々しくなれるのも、ある種の才能だと思う。
もしくは、押しまくれば相手が何かしらの譲歩をするだろうという傲慢の極みが為せる業か。
でも、お父様も負けてはいない。
決して引き下がらない。
むしろ畳みかけに行く。
<少なくとも我が領都の宿屋に私が宿泊の口利きをする事はありません。貴族が泊まれる品質の宿なんて限られていますし、土地勘のない貴方にはどうせどれがそうか分からないでしょう。もしそれでも帰りたくないと言うのなら――貴方が締め出されている社交場で、『昔話』をすることになりますよ? 先輩>
昔話?
何だろう。
<学園で私に嬉々として話していた家の悪事。実は、既に裏が取れているのです。幸いすぐに証拠を提出できる状態ですし、我が家には有能で美しく人脈もある、愛する妻がいますから――>
<……仕方がない。帰ってやるか>
モンテガーノ侯爵がクルリと音を立てて手のひらを返した。
<それがいいと思いますよ。今から馬車を走らせれば、夜にはそちらの領地に入るでしょう。慣れないベッドで腰を痛めるくらいなら、たとえ強行軍でも自領に戻った方がいいと思いますしね>
<何をしている! 行くぞ、クラウン!!>
乱暴に言われたが、クラウンはあまり気にしていないようだった。
皿から顔を上げた彼は、口元にソースを付けたまま、父親の起立に合わせてヨジヨジと椅子から下りる。
……所作が不格好になる時は、周りの使用人とかに手伝ってもらうものだって、お勉強で言ってたけど、多分まだ彼は知らないのだろう。
と、ここで体の浮遊感がフッと消失した。
同時に景色がガラリと変わり、元の団欒室へと戻る。
ちょうど、外でヒヒンという馬のいななきが聞こえた。
窓の外を見れば、一台の馬車がちょうど屋敷から出て行くところである。
「馬車の紋章が、うちのじゃないね」
「アレに侯爵たちが乗っているのでしょうか」
数分前に話を終えた彼らは、どうやらもう屋敷を出たらしい。
一つ、嵐が去った。
ホッと胸をなでおろしていると、団欒室の扉がガチャリと開く。
「お疲れ様、ワルター」
お母様がそう言い、席から立ち上がった。
現れたのはお父様だ。
非常に疲れた顔になっている。
「お部屋に戻って休憩されますか?」
「したいのは山々なくらい疲れたけど、先に話を合わせておかないと面倒な事になるかもしれなくてね」
そう言って苦笑するお父様を見て、私は「あー……」と先程の一連のやり取りを思い出す。
たしかに、穏便な追い払い方ではなかった。
もしあれをダメ元でやっていないのなら、今回の対応に腹を立て、こちらに何か報復をしてくるのは間違いない。
でも、幸いにも情報共有は必要なかった。
「大丈夫ですよ、ワルター。全部見て知っています」
「え……」
お父様は、一瞬何を言われたか分からないような顔をして、それから「もしかして」と苦笑いをする。
「覗き見でもしに来ていたの? 君にしては珍しい」
「覗いてはいましたが、現地ではなかったので体裁が破綻する可能性は孕んでいませんでしたよ」
「え?」
どういう事? とでも言いたげなお父様に、お母様が私を見ながら言う。
「セシリアの『記憶の精霊』に、数分前の食卓の記憶を見せてもらったのです」
「あぁ!」
お父様も私を見た。
「齟齬なく情報共有ができて、しかも話す時間が短縮できるって、かなり有効だね。セシリアはすごい」
お父様がそう言って、私の頭をナデナデしてくれる。
本当に偉いのは『記憶の精霊』だけど、ここはありがたくナデナデを貰っておこう。
「一応最初はあまりにも酷い物言いで、つい『帰れ』と言ってしまったよ。何の齟齬もなく」
「もし実際に見ていなければ、『そういうニュアンスだったのだろう』と思ったところですね」
「ごめん」
「謝る必要はないですよ。単に戦略の方向性が変わるだけの話です」
お母様がそう言ってコロコロと笑う。
笑顔は可愛らしいのに、腹の括り方はカッコいい。
「――ここまで強い言葉を使って、実際に追い返しもした以上、流石に今回は腹をくくらなければなりません」
「そうだね。私たちは、家族を貶されて黙ってはいない。たとえ相手が上の爵位の人間でもだ。今後のためにも、それをきちんと示さなければ。特に当代は、セシリアがいる」
それは「私が狙われる前に一気に周りをけん制してしまおう」という意味で、おそらく合っている。
「最低でも、没落ですね」
「そうだね。そこをゴールにしよう。そうすれば、セシリアへの求婚問題も大々的に糾弾し突っぱねる事ができるようになる」
「必要なのは、根回しと、あとは証拠ですが」
「今回指摘したあの証拠は、帰ったらきっと念入りに抹消するだろうから使い物にはならないだろうね。でも、他にも調べが付いている事を、先輩は知らない」
そんな二人のやり取りを聞いていて、私は「先輩?」と首を傾げた。
そういえば、先程もそんな事を言っていたような気がする。
しかし「先輩」って何なのだろう。
「十二歳から、貴族は皆学園に通う事になっている。当代のモンテガーノ侯爵は、私の一つ上の先輩なんだよ。まぁ、当時から間違っても仲が良くなんてなかったけどね」
二人がそれぞれに、私たち子どもに向けて笑い、言う。
「つまり、オルトガン伯爵家とモンテガーノ侯爵家は、長い間わだかまりがあるのですよ」
「それを解決する時が来ただけの話だ」
「上手くすれば、メイの呪いもどうにかできるでしょう」
「三人にも、少しずつ手伝ってほしいんだけど、いいかな」
「分かりました!」
「任せてください!」
「私も頑張る!!」
という事で、本気で我が家を怒らせたらどうなるのか。
私にも分からない制裁の始まりである。
私も、私にだからできるやり方で頑張る!