Only for you/Only for me
秋月
私だけの/貴方だけの
昔、ヒーローにあこがれていた。
勉強が嫌いで、スポーツもだめ。これといって誇れるような特技もなく、毎日最低限の事だけを済ませて生きている毎日だった。
ただ唯一の趣味は、特撮系のテレビドラマだった。
悪を打ち倒すヒーローが好きだった。人を助けるヒーローが好きだった。自らのもった力に対してむきあうヒーローたちが、たまらなく格好良くて、憧れた。
ところが年を経るごとに、そうした存在がただのまやかしなのだと気づいた。それでいて、ヒーローたちが戦う怪人たちのように、この世には理不尽があふれていた。
父は交通事故で早くに死んだ。写真を見なければ、顔をぼんやりとしか思い出せないほどに記憶がない。ただ、頭をなでてくれる手が暖かかったのだけを鮮明に覚えている。
母は病気で死んだ。私の自立を見届けて、気が緩んだのか。あるいは、もう十分だと思ってしまったのか。持病が急激に悪化して、死に目にも会えなかった。
この世には理不尽が溢れていて、だから私は、かえってヒーローにあこがれた。だれかこの理不尽を打ち破ってはくれないのかと。誰か、この不幸を無かった事にはしてくれないかと。
結局、そんなヒーローは現れなかった。
「スタジオの準備OKです! 塩谷
「あ、もう少しまってください。すぐ行きます」
声を掛けられ、ハッとして頭を振る。どうやら少し寝てしまっていたらしい、と考えながら、彼は自分の服装を見下ろした。
白を基調に、青いラインの走った、ぴっちりとした服だ。普段着としてはとてもではないが着れない。しわもなく、よれもなく、ほとんど新品同然に保ってあるのは、衣装係の努力のたまものだろうと思えた。
傍らにはヘルメットがある。前方をゆるやかに睨むように吊り上がった、大きな目のようなシンボル。それから、鋭角なラインがいくつも入った、フルフェイスのヘルメットだ。
それを掴み上げて、正面から見つめる。蒼い目が彼を見つめ返した。
ヒーローの目だ。いつか憧れた目。前を睨む瞳。戦い抜く覚悟のまなざし。それにあこがれたのだ。
「……私だけのヒーロー、か」
――そんなものはいない。そう気づいたのは、高校生の頃だった。
その頃になってようやく、男にも友人が出来るようになり、特撮だけでなく本や漫画にも興味を持った。そうなると当然、架空にしろ現実にしろ、認識できる世界はぐんぐんと広がっていった。
けれど、そこに彼が望んだ救い主の姿はなかった。
当然と言えば当然だ。どんなに酷い人生を送ったとしても、現実は現実でしかない。起こった事が全てなかった事にはならない。全ての理不尽を薙ぎ払ってしまえるような、超越した存在は、この世のどこにもいないのだ。
あれほど憧れたヒーローたちの姿は、けれど、育った彼の目には、どこかくすんで見えた。
けれど、諦めきれないのもまた事実だった。
悲劇から救ってほしかったのかと言えば、そうではない。中学生にもなれば、死んだ父親を蘇らせる事などできないとわかっていた。病の母を救うのは、よしんば医者であって、架空のヒーローではないことも。
ただ、それに縋って生きてきた自分を、否定したくなかったのだ。
だが、調べれば調べるほど、まだ子供であった彼でも理解していった。ヒーローは架空の存在であるのだと。希望の象徴として縋るには、あまりにもか細いまやかしなのだと。
「……まあ、そりゃあね」
大人になった彼は、僅かに自嘲の笑みをこぼした。
ヒーローはいない。それはそうだ。テレビの向こう側から、自分を救いに来てくれる誰かを期待しているほうが間違っていた。
テレビの中のヒーローは、世界の為の救い主だったのだから。だから、人の為のヒーローは、人がなるしかない。
ヘルメットをかぶる。ほどよく悪い通気性、急激に狭くなる視界。ほとんど青色にそまってしまった世界の中で、彼は初めてヒーローになれる。
「行こう。あんまり待たせても悪い」
立ち上がる。その一挙手一投足に力がみなぎってくるようだ。それは、スーツが与えてくれる力のようにも思えたし、あるいは、ヒーローという概念が背を押してくれているかのように思えた。
歩き出す。ヒーローになるために。
彼が、未だ長い人生の中で得た教訓は一つ。
人はヒーローになるために生きているという事だ。誰かのためではなく、誰よりも自分のよすがとなるための。希望のよすがとしての、自分だけのヒーローに。あるいはそれは、時として誰かの為のよすがにもなるだろう。
――その姿はかつての彼が憧れた、輝く生き方にも似ていた。
Only for you/Only for me 秋月 @gusutahuM2
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