花咲く温度

南雲 皋

君の熱

 あたしが触っても、あんな顔を見せたりしなかった。

 あたしが隣に座っても、あんな顔をしたりしなかった。



 入学式の朝、初めての通学路。道を間違えそうになるあたしに気付いて一緒に高校の門をくぐったあの時から、ずっと好きだったのはあたしだけ。


 奇跡的に同じクラスになれて、「また会ったな」なんて笑顔を向けられて、いつだって一番近くにいたのはあたしだったはずなのに。


 二年生になって、また同じクラスで、だけど今年は同じ委員会になれなくて。

 それでもタイミングを見計らって一緒に帰ろうと待っていた。

 号令が聞こえて、教室の前を通り過ぎるかのように歩き出したあたしは、他クラスの女子にペンを渡しているアイツの顔を見た。

 ペンを握る指先がほんの少しだけ触れて、それだけでアイツの表情が一瞬で花開く。

 どっからどう見ても恋する男の子の顔でしかないそれは、あたしにはカケラも見せることのなかったものだった。


 ずっと見ていた。ずっと見ていたからすぐに分かる。理解してしまう。

 アイツはあの子のことが好きなんだって。

 そうして、その子がアイツから顔を背けて、あたしは更に打ちのめされることになった。

 だってその子が、まるで鏡に映ったあたしみたいな顔をしていたから。


 本当に鏡に映るあたしだったなら、どれほど幸せだっただろう。

 けれど現実はそんなに甘くなくて、アイツらは両想いで、あたしのこの秘めっぱなしの恋心は行き先を失った。


 あたしはくるりと踵を返し、アイツに見付からないうちに校舎を出ようと駆け出した。

 廊下を急ぐあたしは、きっとひどい顔をしていただろう。

 だから誰にも会わずに下駄箱に辿り着きたかったのに、そんなあたしの思いは、一階の廊下に出た瞬間に砕け散った。


「アイツの好きな子、見たのか」


 あたしの顔を見るなり傷口に塩を塗り込むような発言をしたのは、アイツと同じく一年の頃からの友達。

 一年の頃は、あたしと、アイツと、目の前にいる神崎かんざきの三人で行動するのが常だった。

 二年になって神崎だけ隣のクラスになってからは、アイツと二人でいることが増えてしめしめ、なんて思っていたのだけれど。


「アンタ、知ってたの」

「まぁ、相談されたし」

「なんであたしに黙ってたの」

「そういう顔するから」


 あたしは反射的に両手で顔を覆った。

 どんな顔だよ。

 ひどい顔だってのは分かっていたけど、言葉にされるのとされないのとでは大違いだ。


「バカなこと、すんなよ?」

「なに、バカなことって」

「嫌がらせとか」


 そう言われて、あたしはプチリと何かが切れる音を聞いた。

 怒りが込み上げてきて、手を外し神崎を睨みつける。


「あんたね、あたしがアイツの大事な女を傷付けるようなことすると思ってんの? アイツの悲しい顔が見たい訳じゃないから」

「ああ、そうだな。お前はそーゆーやつだよ」


 何の自信だ。口元に笑みを浮かべた神崎に、思わず舌打ちしてしまう。


「はァ? ウザ。てゆか何? 用がないなら帰るからどいて」

「お前さ、アイツのことはよーく見てるくせに、俺のことはこれっぽっちも見てねーのな」

「当たり前でしょ、キョーミないんだから」


 それだけ言って帰ろうと神崎の横を通り過ぎた時、あたしは強制的に神崎と目を合わせられた。

 掴まれた左手首が、じんわりと熱を持つ。

 あごに添えられた神崎の手が、あたしの顔を持ち上げる。


「持てよ、興味。お前だけのモノになってやる」


 真っ直ぐに、射抜くように、向けられた視線があまりに鋭くて。瞬間、息が止まる。

 こいつは、こんな顔をする男だっただろうか。


 手首も、顔も、熱い。これは、あたしの熱か、それとも。

 全身を駆け巡る血液が沸騰しそうなくらいの温度。

 こんな触れ方は、想いの告げ方は反則だ。


「い、今すぐは無理」


 結局あたしは、そう答えるのが精一杯で。そんなあたしなんか想定済みみたいな顔して、神崎は言う。


「そーゆーとこも好き」

「……ッ! マジ、黙れし……」

紗雪さゆきが俺のこと好きって言ってくれたら言葉も出ないくらい喜ぶけど?」

「絶対言わない!」


 最悪だ。本当に。

 アイツに失恋した数分後に、共通の友人から掛けられた言葉で、熱で、どうしてこんなにも心を乱されなければならないのか。

 アイツの恋する顔と、あの子の恋する顔と、目の前にある神崎の顔がぐるぐると脳内を駆け巡って、あたしは今、いったいどんな顔をしているというのか。


「くくっ……俺の言葉でそんな顔してくれんなら、まぁいいや。じゃ、また明日な」


 あっけなくあたしを解放して、神崎は下駄箱に向かって歩き出す。


「さっさと行け、バカ!」


 ひらひらと振られた右手が、どうにも憎らしかった。

 それ以上に、悲しかったはずの気持ちが消えて、神崎のことばかり考えている自分が、憎らしかった。


「神崎の、バァァァァァカ!」


 あたしの心に芽生えたモノに、今はまだ、気付かぬフリをする。

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