私たちの緋色くん

サトウ・レン

私たちの緋色くん

「あいつは、俺たちのヒーローだったからな……」


 むかしを懐かしむような、健吾くんのつぶやきを聞いて、あぁこんなところに来なきゃ良かった、と思った。別にこの中に会いたいひとがいるわけでもない。何が、俺たちのヒーローだ。


 久し振りにみんなで集まらない?


 そんな電話を掛けてきたのは、詩織だった。小学生の頃から、高校生になったいまでも、ずっとクラスメートの間柄だ。こんな田舎なので、一緒の学校、というだけなら他にも何人かいるが、クラスまで同じなのは詩織以外にいない。このいつまでも続く密接な関係がうっとうしく、断れない自分自身にも嫌気が差す。あと一年もすれば高校も卒業するし、大学は絶対に県外に行くと決めていた。


 みんな、と詩織が言ったのは、小学校の時によく一緒につるんでいたメンバーだ。家も近所の子ばかりで、幼馴染グループ、と言ってもいいかもしれない。健吾くんの部屋に、彼を含めて七人の男女がひとつの部屋に密集している。詩織と健吾くん以外は会うのも久し振りだ。


 特に……、華ちゃんは小学校を卒業して以来、はじめて見る。小学校五年生の頃、名古屋から転校してきた子だった。なので彼女だけは、幼馴染ではない。おどおど、とした雰囲気はあの頃と変わらない。強引に誘われて、断れなかったのだろうか。健吾くん、小学校の時、華ちゃんのこと好きだったから、会いたくなったのかもしれない。それなら私と同じように、こんな集まりから、早く解放されたいのだろう。


「暗くなるから、緋色くんの話はやめてよ」

 詩織が、健吾くんに言った。


「悪い、悪い」


 緋色くんだから、ヒーロー、と冗談のように、そんなあだ名が付いたわけではなく、あの頃、緋色くんは、格好よくて、誰に対しても優しくて、本当にヒーローのような男の子だった。


 いまも生きていたら、彼はどんな高校生になっていただろう。転落事故でこの世を去った彼の死は、立派な人間でも死ぬ時は呆気ない、とおさない私の心に植え付けてくれた。私の気持ちも知らないで、あんな簡単に死なないでよ。


 緋色くんは、私の初恋だった。すくなくとも自覚している限りでは。

 明確にそれが恋だと気付いたのは、小学校低学年がもうすぐ終わりを迎えようとしている頃だった。そのある一時期、決して長い期間ではなかったが、私は周りから嫌われ、敵意を向けられていた。無視されたり、嫌がらせを受けたり、と散々だった。クラスメートの悪い評判を流しているのが私だ、とそんな噂が立ったのだ。特別大きい学校でもなく、クラスもふたつしかない環境での、その状況は最悪だった。


 救ってくれたのが、緋色くん、だ。


 と言っても、分かりやすく颯爽と登場して、「やめろよ、そういうこと!」みたいに言ってくれたわけではなく、周りがどう私に接そうとも彼だけは変わらず、いつも通り私に話しかけてきてくれた。仲の良いクラスメートの男子には、内々に、そんなひどいことしちゃ駄目だ、と言っていた、とあとになって知った。健吾くんがすこし経って、教えてくれたのだ。


「なんであんなこと言ってくれたの?」

「どんな理由があっても、駄目なことだと思ったから。ぼくの好きなヒーローは、いつもそう言うんだ」


 口数すくなく、彼はそう言って、ほほ笑んだ。その表情に、どきり、としたのを覚えている。その名前で生まれたことが関係あるのかは分からないけれど、彼は勧善懲悪のヒーローもののフィクションが大好きで、たぶん憧れてもいたのだろう。ヒーローが好きで、憧れている、と言っても、みんながみんな、ヒーローのような性格になれるとは限らない。悪いことをするひとだって、当然いる。例えば健吾くんも同じヒーローものの番組を観ている、と言っていた記憶があるけれど、小学校の時の彼は、暴君のような男の子だった。ただすくなくとも彼は、好きと憧れが人格形成に強く影響されたのかもしれない。緋色くんの心を勝手に想像しただけで、実際にどうなのか、私には分からないし、もう知るすべもないのだが……。


 四年生の時になれば、私は平穏な日常を取り戻していた。


 勝手なものだ、と思う。私は、緋色くんのことは好きだが、勧善懲悪なんて言葉を信じていない。環境が変われば、立場も変わる。その時になるとみんなの興味の的は別の子になっていて、私を嫌な目に遭わせた女の子が、かつての私の役を背負って、哀しい表情を浮かべていた。このまま平穏な日々が続いていくことを、ぼんやりと願っていたけれど、結局どこかで誰かに邪魔をされてしまう。


 五年生の時だ。


 私のクラスに転校生がやってきた。おどおど、びくびく、とした小動物みたいなその女の子が、華ちゃんだ。でもすごくかわいくて、一部の男子から人気があったのを知っている。健吾くんがよくちょっかいを出していた。好きな女の子をいじめたいみたいな、あのどうしようもない心理だ。横暴な性格の健吾くんにそんなことをされても、喜ぶ女の子はいないだろう。


 華ちゃんは明らかに困ったような表情を浮かべていた。他のクラスメートとも、うまく馴染めていない感じで、相談できる友達もいなかっただろう。彼女の孤立した雰囲気は、同じくクラスメートだった私の目にも入っていた。


 その日、雨が降っていた。


 梅雨の終わり際の、ちょっと嫌な感じのする雨だ。傘を差して、下校していると、偶然男の子と女の子のふたり組を見掛けた。あれ、緋色くんと華ちゃんだ。華ちゃんが見たことのない笑顔を、緋色くんに向けていた。すこし離れた場所から、それが見えた瞬間、私は思わず隠れてしまった。ふたりに見つかる前に。


 ヒロインの座から降ろされてしまった、というのは、自分の人生をあまりにもドラマチックに考え過ぎているような気もするが、でもあの時は、そのくらいの、いつまでも晴れることのない、深いもやもや、に包まれていた。


 私は気付けば、ふたりの様子を目で追うようになった。


 ふたりは教室で、そんなに頻繁に話しているわけではなかった。だけど他のクラスメートには明らかに距離を取っている華ちゃんが、緋色くんには心を許している雰囲気があった。あれはかつての私と彼だ、と重なる感覚があり、私にはそれが不快で仕方ない。何よりも許せなかったのが、緋色くんのほうも、華ちゃんに好意があるように、私には見えたことだ。


「ねぇ、健吾くん」


 華ちゃん、健吾くんのこと好きなんだって、告白してみなよ。そう囁いた時、私には明確な悪意があった。言った瞬間、胸のすくような気持ちに満たされ、私はこれから起こることを想像していた。


 数日後、華ちゃんが学校を休んだ。


「華ちゃん、健吾くんに叩かれたんだって」


 華ちゃんは、きっと告白を断ったんだろう。振られるとも思わなかった健吾くんは、どんな気持ちになったのかな。華ちゃんは、それからすこしの間、不登校になり、健吾くんの謝罪と先生の熱心な説得で、学校に戻ってきたのだ。華ちゃんも許したくはなかっただろう。これが田舎の嫌なところだ。逃げたい時の逃げ場が、圧倒的にすくない。転校だって、何度もできるものじゃない。ちょっと同情するけれど、まぁ自業自得だよね。


「それにしても、なんであんな死に方したんだろうなぁ……」

 ふと、私の回想をさえぎるように、いまの健吾くんの声が聞こえた。


「ねぇ、だから。もう、やめよう、って、そんな話……」

 詩織の言葉に、ごめんごめん、と健吾くんが謝る。


 華ちゃんが戻ってきたあと、私は彼に放課後、呼び出された。他の生徒が誰もいない、学校のベランダだ。何を言われるんだろう。私は、どきどきしていた。もしかしたら、やっぱり私のこと、と。


「なぁ、こういうの、もう、やめたら。ずっと前から思ってたんだけど……。ひとを傷つける噂、流すの」

「なんのこと?」

「健吾から聞き出した。今回だけは他のやつには言わない。だから、もう華には関わるな」


 いまになっても考える。この中で一番、私を怒らせた言葉はどれだろうか、と。たぶんきっとそれは、緋色くんが華ちゃんを呼び捨てしたことだ。


「じゃあ、それだけだから」

 と言って、私から離れようとする彼の背を、気付けば押していた。


 ベランダの階段から落ちていく彼を見ても、怪我をしたくらいにしか思っていなかった。私はその場から走り去った。殺すつもりはなかった。実際、私は殺人の罪に問われていないし、彼は事故死と判断された。法の上でも、私は殺人犯じゃない。


 悪いのは、私じゃない。

 彼が、

 私だけのヒーローになってくれなかったからだ。


 私は健吾くんの部屋にいるメンバーの顔を、ぐるり、と見回す。みんなの高校生になった姿を見ながら、もう一度、考える。彼は、どんな高校生になっていたのだろうか、と。でもやっぱりそんなこと、もう、どうでもいいや。


 華ちゃんと目が合う。

 にこり、と私は、ほほ笑みをつくってみる。


「でも確かに、ヒーローだったよね。私、たち、の」

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