エピローグ エース
以前に直史が負けた試合は、はるかな過去に遡る。
チームとして負けた場合はともかく、公式戦で直史が敗戦投手となったのは、高校二年生の春、甲子園ベスト8での試合であった。
雨という悪天候により、また味方の援護もなく、それでも3-0というほぼ完敗と言っていい内容であった。
大学時代には公式戦で負けても、敗戦投手にはなっていないし、敗北の責任も作っていない。
それはクラブチーム時代を含めて、ずっと続いてきた。
公式戦とは言え、ポストシーズン。
しかも前日も七回まで投げて、延長14回。
これでホームランを打たれて負けたのを、直史の敗北と言っていいのか。
そんな声は試合が終わった次の日には、もう世間のあちこちで言われるようになっていた。
確かにこの試合、直史は大介から三打席も三振を奪い、連投で160球以上も投げた後のホームランであった。
試合としては、確かにメトロズの勝利で間違いない。
だが直史と大介の強さが、これで逆転したわけではないだろう。
実のところ大介のファン層の多くも、内心ではそう思っていたのだ。
だが声の大きなナオフミストがそう主張しだすと、それに反発する感情も出てくる。
あれだけの素晴らしい試合を見ていて、お前らはやはり解脱しておらんのか。
人は分かり合うことなんて出来ないのかな、と大介と握手して別れた直史は、遠い目をしていた。
直史としては確かにこれまで負けてはいなかったが、点を取られた試合はある。
そこで味方が一点も取ってくれなかったら、負けた試合になっていたであろう。
高校野球はひたすら勝つことだけを考えていたが、プロの世界で重要なのは、負けても次で取り戻すことだと思っていた。
超絶技巧と相棒の手腕、そして自身の秘められた負けず嫌いの精神が、無敗記録を作っていた。
その終わりが、やはり大介が相手だった、というだけの話だ。
そしてよりにもよって、ワールドシリーズの最終戦だったのだ。
勝ったとか負けたとか、野暮なことである。
元々バッターは、三割を打てば一流なのだ。
今日は負けたが明日は勝とう。
一度きりの敗北に、こだわっているのが愚かなのである。
そのあたり直史は、とっても割り切って考えている。
とりあえずドクターに見てもらって、全身あちこち故障しかけ、特に肘は炎症があるのでしばらくノースローなどと言われたりした。
だからロスアンゼルスの空港で、右手を吊った直史を見て、待っていたマスコミはざわめいたのだが。
最後の球は失投などではない。
ちゃんと94マイル出ていた、最高のスルーであったのだ。
だが大介はゾーンに入って、完全に軌道を計算し、脳内のイメージどおりにスイングした。
それによってホームランを打って勝ったのだ。
故障していたから最後に打たれた、というのは間違いである。
もっとも最後には肉体の限界に近づいていたので、その事実は間違いのないことだ。
よってどうしても、直史は最後には、力尽きていたという意見が見られる。
むしろ直史の考える敗因は、大介の前のバッターが大きかったのではないか。
三人で終わらせておけば、大介の前で試合は終わっていた。
その方針によりゴロは打たせたものの、内野の間を抜けていった。
あれを止めることは出来なかったかな、と直史は考えたりする。
しかし樋口のリードに頷いたのは自分で、内野ゴロを打たせたのは計算通りであった。
野球は運が左右するところのあるスポーツなのだ。
直史の血液検査までわざわざした医師は、不思議そうな顔をした。
過労と栄養失調の両方に見られる数字が出てきていたのだ。
あとは肩や肘を中心とした、ピッチングに必要な部分の疲労。
熱を持ったりやたらと張ったり、二週間はノースローと言われた。
ランニングも禁止で安静にし、一週間は療養すること。
MRIなどの画像診断からも、そこそこ危険な状態ではあったらしい。
だが来年には投げられると、太鼓判を押された。
それさえ分かっていれば、あとはどうでもいい。
11月にはまだMLBの色々な行事は残っている。
しかし直史は療養を理由に、日本にさっさと帰ることを考えていた。
アナハイムの温暖な気候の方が、本来は望ましいのかもしれない。
だが12月にまでなってから帰ると、アナハイムと日本の気温差が激しい。
子供たちのことも考えて、今年は早めに帰ることにしたのだ。
直史の契約は残り一年。
ストーブリーグで辣腕を振るうのは、選手の仕事ではない。
本来ならばMLBの各種タイトルなどの、表彰イベントがある。
直史の場合はおそらく、ゴールドグラブ、オールMLBファーストチーム、ア・リーグMVP、ア・リーグ・サイ・ヤング賞などに選ばれるのは確定しているだろう。
だが大正義アメリカにおいては「家族と過ごす」と言えば大概のイベントは不参加の大義名分になる。
なので球団の方には連絡を入れて、すぐにでもチケットを手配しようとした。
そんなところへ、セイバーからの連絡があった。
友人が日本にプライベートジェットで行くので、それに便乗させてもらったらどうかと。
直史はアナハイムとの契約で、オフに帰国するための高空費用などは、家族の分も含めて出してもらえる契約になっている。
ファーストクラスではないが、エコノミーでもない。
これがファーストクラスでないと怒る選手もいるらしいが、直史はそこまで贅沢ではない。
ただ時間の短縮などを考えて、セイバーの提案はありがたく受けておいた。
なんでも直史のファンらしいので、サインぐらいはしてあげてくれ、とも言われたが。
なんだか帰国の機内の中で、騒がしいことになりそうでもある。
直史としては今回の戦いは、パトレイバーに例えれば最初のグリフォン戦の後で、メーカーに持っていってオーバーホールしてもらわなければいけないぐらいのものだと思っている。
とにかく体中が限界ぎりぎりで、治癒してからの調整が大変だろう。
ソファにごろんと寝転がった、情けない父親の姿を、真琴は珍しそうな顔で見ていた。
「お父さん、死んでまうん?」
「死なない」
瑞希はその間に、荷物をまとめて色々と仕事もこなしていた。
なんでも直史に対するインタビューをしたい人間が山ほどいるらしいが、表舞台に全く出てこないので、彼女の伝手を辿っているそうな。
中には「あの試合に負けたのは直史の責任じゃないよ!」という勘違いした励ましもあるらしい。
いや、責任がどうあれ、直史は負けたのだ。
ただ負けたことに、不思議と悔しさがない。
まだこの先に、道を切り開いていけることが分かったからだろうか。
かくして直史は、日本への帰国の途に着いた。
確かにマスコミなどから隠れられる、ありがたい移動手段であった。
しかし彼のいないところでも、世界は動いていく。
アナハイムのフロントは、当然の方針を決定した。
三年目を前に、直史との契約更新である。
これはオーナー案件で、しかしGMも賛同した。
今年の直史は30歳。
おおよそメジャーリーガーの多くは、35歳ぐらいまでで、その絶頂期を迎える。
中には40代の前半まで、衰えつつも結果を出し続ける選手はいる。
だが直史のような技巧派であれば、もう数年は続けられると思うのだ。
大型契約が必要になる。
オーナーのモートンとしては、七年ぐらいの契約が限界だろうと考える。
出来れば五年契約ぐらいが望ましい。それ以上の年齢になって活躍するかどうかは、正直賭けのようなところがある。
だがこの二年、直史の残した記録。
これはもう、大型契約でなければ、本人も世間も納得しないだろう。
このフロントの会議には、セイバーも参加している。
最も直史と交流の深い彼女であるが、正直なところ頭が痛い。
直史が三年と言えば、それはもう三年なのだ。
七年で三億数千万などという数字も出てくるが、問題は金ではないのだ。
もちろん手段を選ばないのであれば、いくらでも方法はある。
だがそんなことをして直史をMLBに引き止めても、彼は納得出来ないだろう。
モチベーションの低いスポーツ選手に、何を求めろというのか。
全盛期で引退などという選手だと、種目は違うがマイケル・ジョーダンなどがいる。
直史は基本的に、モチベーションで投げるピッチャーだ。
高校時代は地元の応援の声を背に、甲子園でも投げていた。
大学時代はむしろ仕事として投げ、それで成功している。
クラブチーム時代は練習試合なら、案外点を取られたりもしている。
おそらく野球をビジネスで考えているモートンには、一生分からないであろう。
セイバーとしては直史を引き止めるには、もっと外堀から埋めていく必要があると思う。
そこまでしてもなお、確実に期待通りの道には行かないかもしれない。
「彼はともかく、他の戦力補強は?」
セイバーが発言したのは、直史に近い彼女としては、不思議なことであると周囲は思った。
今年のアナハイムが、優勝できなかった理由。
それは極端に言ってしまえば、直史以外のピッチャーが弱かったからである。
もちろんそれは暴論で、アナハイムのピッチャーはメトロズのピッチャーよりも、ワールドシリーズでは失点が少ない。
ただそれでも、直史以外のピッチャーが勝てなかったのは事実なのだ。
スターンバックは既にトミージョンを受けて、治療とリハビリで来年は丸々出られない。
そんな彼に、新しい契約を持っていくのは難しい。
だがセイバーとしては、一年間投げられないことを逆手に取れば、少し安めの契約で、スターンバックを慰留することが出来るのではないか。
現在でのトミージョンから復帰出来る確率は、90%を超えているのだ。
「来年は一年、おそらく投げられないピッチャーと契約を?」
モートンは鼻で笑うが、セイバーとしては「そういうとこだぞ」と思ったりもする。
スターンバックの故障は、既にMLBの界隈に完全に流れている。
来年は投げられない彼と契約するのは、まず他の選手との契約を済ませてからと考えるだろう。
まだ今年でFAになる選手は、大量にいるのだ。
もちろん既にそのあたりと、交渉は開始されている。
「サトーとの契約に大金が必要になるのに、一年投げられないピッチャーに金を出す必要はないだろう」
「逆です。一年投げられないかわりに、彼とは比較的安い金額で契約を結ぶことが出来る」
直史がいなくなった時、スターンバックが戻ってくれば、先発の柱の一人となる。
長い目で見れば、怪我で弱気になっているであろう、スターンバックを攻略するのは難しくない。
実際は彼の代理人との話になるのだが、それでも一年投げられない分を保証してくれる、アナハイム側の条件は悪くはないだろう。
それでも結局、スターンバックについては後回しにされた。
やはり直史と契約するため、資金をたくさん用意しなければいけないからだ。
スターンバックは故障であるため話は別にするが、今年で契約の切れる主力は、他にヴィエラがいる。
去年は故障がりながらも、実はレギュラーシーズン無敗であったベテラン。
来年は36歳になる彼と、契約を結ぶべきかどうか。
故障と、年齢による衰えのリスクはある。
あちらはもちろん、複数年契約を要求してくるだろう。
ただ故障による負傷者リスト入りや、年齢による長期契約不良債権化のリスク。
出来れば他に、もう少し実力に比して評価の低いピッチャーを取りたい。
それにモートンは、戦力確保には、もう一つの腹案を持っていた。
まだFA権を持っていないが、既に完全に主力のターナー。
あと三年間も、彼は成績に比して、圧倒的に安い年俸絵使われる。
そのターナーに、現時点で複数年契約を提示するというのはどうだろうか。
今年で25歳の彼は、まだあと五年ほどは、チームの主力でいてくれるだろう。
10年間の大型契約などで、彼を確保しておきたい。
商売的には、確かに分かる。
アナハイムの通常の試合においては、ターナーのバッティングが一番の見所になるだろう。
これはセイバーも、リスクはあったとしてもメリットは大きいと考える。
オプトアウト条項も付けなければいけないだろうが、あと五年か七年ぐらいは、ターナーを保持するのだ。
リーグ五指に入るスラッガーは、集客の上でも重要だ。
ただし彼の契約に金を使ってしまえば、サラリーの総額が高くなりすぎるだろう。
先発ピッチャーに回せる資金がなくなってしまうのではないか。
悪くはない提案であるが、やはり優先順位が違う。
この場に呼ばれているGMのブルーノも、困った顔をしている。
確かに華やかなのは、ターナーなどのバッターである。
しかし先発陣をもっと揃えなければ、得点以上に失点が多くなってしまう。
ターナーへの提案は、来年でもまだ間に合う。
今年の方が彼にとって、いい印象を与えることは間違いないが。
スターンバックもヴィエラも手放すとなれば、先発で計算できるのは、直史とレナードの二人だけとなる。
去年そこそこ投げた、ガーネットとリッチモンドもいる。
来年は先発で投げさせて、実戦の中で育てるのか。
確かにもうマイナーでは、充分な実績を上げている。
しかし去年のシーズン、メジャーではまだまだといったところであった。
打線に離脱する者がいないため、そこはありがたいところだ。
だがローテのピッチャーが弱ければ、安定して勝つことは出来ない。
ましてやポストシーズンでは、また直史に四試合に投げさせるのか。
マイナーでそこそこいい成績を上げているピッチャーは、何人かいる。
それを来年はメジャーに上げて、どうにかローテを回していく。
ピッチャーは若手を使って、バッターは代えの利かない選手を大型契約で確保する。
ただその全ての前提に、まずは直史との契約を結びなおすという課題がある。
セイバーとしては、直史は来年でいなくなるのだから、それを念頭に置いて再来年以降の戦力を考えなければいけないと思うのだ。
そのためにはやはり、実績も実力もある先発が一枚、ある程度の期待が出来るものも一枚、どうにか契約したい。
あるいはトレードでこちらから誰かを出すわけであるが、野手のプロスペクトなら、マイナーから誰かを出してもいいかもしれない。
しかし全ての内容が、直史を慰留することを中心に決まっていくので、セイバーとしては頭が痛い。
直史との交渉は失敗する。
だが失敗が確定するまでは、直史用に準備していた資金が、他の選手獲得には使えない。
先発のピッチャーは、一枚は確実に必要なのだ。
レナードのさらなる成長や、他のピッチャーの台頭に期待するにも、さすがにもう一枚はエース級がいないと、来年はローテが崩壊しかねない。
直史が中四日をやるとかいう無茶をすれば、ある程度はどうにかなるのか。
……どうにかなりそうで怖い。
直史がいなくなることを確定として知っているセイバーと、他の人間の間では、話が合わないのも仕方がないのだ。
他の人間もほとんど知らないのだから、セイバーの方がおかしく見えても不思議ではない。
契約があと一年残っているここで、直史と新しい契約を結ぶ。
これはアナハイムにしか出来ないことなのだ。
さて、それでは契約交渉であるが、直史は既に日本に帰国している。
これまで直史は、代理人を立ててこなかった。事実上セイバーが、代理人の役割をしていたと言っていい。
日本に帰った直史と、さすがに電話やネットで話をするわけにもいかないだろう。
ならば元は日本のスカウトもやっていて、通訳としても付き合いのあった、若林を契約のために送ればいいだろう。
ここでセイバーを選ばないのは、彼女は彼女で他にすることがあるからだ。
球団運営全体に携わる、重要なポジションが彼女なのである。
直史との交渉は決裂する。
それはセイバーははっきりと分かっている。
その結果にモートンがどう反応するか、セイバーは悪い方向に出るだろうと考えている。
来年一年、直史の最後の年のために、今年はオフでしっかりと戦力を集めたかった。
だがよりにもよって直史との再契約のために資金が絞られて、FAの選手などをいい条件で集めることが出来ない。
何よりもまず、重要なのはピッチャーだ。
先発二枚が抜ける穴を、どうにか埋めなければいけない。
勝てる先発が三枚はいないと、打線の援護が重要となる。
しかし今年は、ヴィエラが途中で抜けた以外、ほとんどの選手が大きな故障はなかった。
逆に言うと、戦力に一枚長期離脱が出れば、一気に戦力が低下するのだ。
アレク、樋口、ターナー、シュタイナーと続く打線。
またピッチャーはリリーフ陣も、やや手薄なところがある。
来年だけではなく、その先までも見据えて、チーム編成はしなければいけない。
セイバーは独自に、アナハイムの将来について、深く考えていく。
(キーとなるのは樋口君)
いいキャッチャーがいるチームというのは、ピッチャーも育ちやすい。
そして打線においても、重要な二番を打っている。
ブリアンがいなければ、間違いなく今年の新人王になっていただろう。
もっともオールMLBチームのキャッチャーには、今年で選ばれるに違いない。
樋口がいる間に、ピッチャーを育成しなければいけない。
そして野手については、FAで獲得というのが妥当なところか。
思考は全く違っても、編成の内容はあまりモートンとも変わらない。
果たしてGMのブルーノは、どう考えているのか。
これまでずっと、野手の補強にこだわっていたモートンが、ピッチャーの直史を最重要選手として考えるようになったのは、悪いことではないと彼も思っている。
直史の価値は確かに、モートンの主義を変えるだけのインパクトがあったのだ。
ブルーノとしては、セイバーの言っていたことが一番理解できた。
しかし直史を事実上、自分で連れてきた彼女が、何も直史については発言しなかったのは。
(まさか、もう次の球団について考えてるのか?)
邪推であるが、状況的にはありうる話である。
たとえば今、一番直史をほしい球団は、ラッキーズであろう。
もしも直史がラッキーズに入れば、サブウェイシリーズでメトロズとの対決がある。
そしてリーグも違うので、ワールドシリーズで当たる可能性もある。
その次であれば、トローリーズあたりであろうか。
金持ち球団であり、リーグはメトロズと同じなので、ワールドシリーズでの激突はない。
だがメトロズと対抗するためには、絶対にほしい戦力だ。
直史を獲得したい球団など、全ての球団と言っても間違いではない。
だが獲得できる資金力のあるチームは、それほど多くはない。
そんなブルーノが自分の仕事をしていると、セイバーがリストを持ってきてくれた。
メモリの中に、FA選手以外にも、球団の事情で手放しそうな選手など、彼女はかなりの情報を持っている。
普通にGM配下のスカウトよりも、彼女の手は長いかもしれない。
「サトーの慰留に、反対なのか?」
ブルーノとしては、それを尋ねておきたい。
彼女が直史を連れて、他の球団と密約を結んでいる可能性が、どうしても頭から離れない。
「私としては、もっと先のことを考えているので」
直史の年齢とピッチングスタイルを考えれば、長く投げられそうだとはブルーノも思う。
それに対するセイバーの反応が薄いのは、明らかに不自然なのだ。
セイバーは元はボストンで、球団職員として働いていた。
そこから日本に行って、日本人選手の代理人をして、影響力を増した。
大介をメトロズに持っていって、オーナーとも懇意の仲だとは知っている。
そして直史を連れてきたことで、アナハイムのフロントに入った。
樋口の獲得とアレクの獲得にも、彼女は動いている。
だから直史も、しっかりと持ち駒として残すはずなのだが。
「彼のパフォーマンスに期待したいのなら、チームの戦力を増すのが大切よ」
セイバーはそう言うが、直史の今年の年俸は、インセンティブも付けて1700万ドル。
明らかに成績に、年俸が釣り合っていない。
3000万ドルでも安い。三倍の5000万ドル出しても、高いとは言えない。
もっともそこまで一人に金をかけると、チームで使える金がなくなってしまうが。
上限を突破して、ぜいたく税を払う必要が出てくる。
オーナーのモートンは、どうにかその範囲内に総年俸を収めたいと考えている。
もっとも彼は昔からそう考えていて、何も変わったわけではない。
だが直史の商品価値は、ぜいたく税を払ってでも手元に置くだけのものはある。
何よりモートンがオーナーになってから、初めてのワールドチャンピオンを、去年はもたらしてくれたのだ。
メトロズの戦力が、今年のオフにはかなり解体されるであろうことを考えると、このオフに順調に戦力を維持すれば、来年はワールドチャンピオンを奪還できてもおかしくない。
あとは主力に、怪我がなければ、という話になる。
直史を大型契約で慰留するというのは、確かにそれもいいものだろう。
だがターナーにしてもそうだが、他の選手についても、どうにか今の戦力を維持する必要がある。
スターンバックとヴィエラ、二人の抜けた先発の穴。
これを埋めるためには、FAで誰かを獲得するしかない。
この選手の入れ替えが、オフシーズンのMLBの見所だ。
だが直史をアナハイムから、手放すというのか。
もしもセイバーがそれを考えているなら、球団に対する重大な裏切りだ。
「彼がどう考えているのかは知らないけど」
セイバーとしては、ため息をついてしまうものだ。
あの巨大な存在が、あと一年しかMLBの世界にいないというのは。
「彼ばかりに頼っていたから、今年は負けたんでしょう?」
セイバーの言葉も、間違っているわけではないのであった。
オフシーズン、選手たちのグラウンドで行う戦いは終わった。
しかし最も大切な、金を稼ぐということ。
契約を巡る対決は、ここから始まる。
第六部 了 第七部Aに続く
予告
「結局ローテの補充はなしって、何を考えてるの」
「それは私だけの責任ではない。だいたいサトーとの交渉で、時間を取られすぎたのが問題だったんだ」
アナハイムは新たなるチーム編成に、オフシーズンは失敗する。
「それで、診断は?」
「リハビリを含めて、全治半年ほどだそうな」
そして思いもよらぬ、故障による主力の離脱。
「ここからポストシーズン進出を目指すのか」
「まあ無理ではない」
「全勝すればか?」
「そこまで絶望的ではないだろ」
フロントはポストシーズン進出の可能性の低下を、はっきりと計算し始める。
「サトーを出してプロスペクトを取るのか? だが彼はトレード拒否権を持っているだろう」
「このままうちにいても、今年はポストシーズンにさえ出られないかもしれないぞ」
「それなら逆に、どこかから戦力を持ってこないと」
「そんなことをすれば今後五年は、ポストシーズン進出は不可能になるだろう」
アナハイムのフロントは、決断を迫られる。
「トレード拒否権はあくまで権利であって、本人が了承したら別でしょう?」
「……ポストシーズンを狙えるところなら、絶対にほしがる選手ではあるからな」
大介との対決を望む、直史の明日はどっちだ?
「なるほど、そういう提案か」
第七部A エース編に続く
https://kakuyomu.jp/works/16817139558017521808
これにて第六部完。よろしければ評価などお願いします。
エースはまだ自分の限界を知らない[第六部A A・L編] 草野猫彦 @ringniring
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