第152話 真っ白な世界

 グラウンドの中で最も高い位置が、ピッチャーのマウンド。

 神であるはずの審判すらも、そこからは見下ろすことが出来る。

 ここは至高の座。

 そして睥睨しながら、直史には考えることが出来る。

 ツーアウト二塁というこの状況。

 もちろんここは本当なら、歩かせてしまうのが正解だ。

 ランナーが一人増えても、それでも大介と勝負するリスクはそれ以上だと、誰もが分かっている。

 最高のピッチャーである直史と、最強のバッターである大介。

 二人の勝負のためだけに、今のこの時間は存在している。


 直史としても、単純に勝敗のためだけならば、ここは歩かせる。

 だが勝敗を別にして、大介との約束というわけでもなく、確認しておきたいのだ。

 自分の限界がどこにあるのか。

 そしてその限界の先に、何が待っているのか。

 そのために必要なのは、自分のみによる研鑽ではない。

 能力を限界まで引き出さなければ、勝てないという相手。

 また勝利の勝ちがとてつもなく重い、大舞台。

 これはまさに、勝負でも決闘でもない。

 一番近いのは、儀式であるだろうか。


 外側が野球というだけで、中身はもっと原始的なものだ。

 そして同時に、高尚なものだ。

 あるいは人間の可能性を求め、その可能性の果てまでも追求していくもの。

 それをなんと呼べばいいのか、直史は知らない。

 瑞希ならば上手く、これに名前をつけたのかもしれないが。


 呼吸を整える。心臓の拍動を感じる。

 マウンドの上から、感覚が解放されていく。

 膨大な情報を、脳が処理する。

 足の裏からスパイクを貫いて、自分の感覚がスタジアムの中に広がっていく。

 自分の感覚の認識が、肉体の枠の限界を超える。


 行くぞ。


 全てのコースの、全ての球種に対応するような、大介のバットの軌跡が見える。

 それはおそらく、数秒後の世界の有様。

 その中の一番薄いところに、直史は投げ込んでいた。

 ど真ん中に、カーブを投げ込んだ。 

 ミットに収まった瞬間、スタンドからの溜息が聞こえた。


 声にならない声が体の振動となって、スタジアムを揺るがす。

 鋼材が撓んでいるような、異様な音。

 本来なら人の声が、それらを全てかき消しているのだろう。

 応援用の大きな旗などは、振られることもない。

 風すら吹かずに、対決の決着を待っている。

 まるで人間以外の存在すらも、それを見守っているかのように。

 時間が、とてつもなく引き延ばされていく。


 一球目にストライクが取れた。

 だが二球目には、どこに投げても打たれる予感が高まっている。

 このままでは、どこに投げてもストライクは取れない。

(なら揺るがす)

 投げたボールは、ふわりと浮かんだシンカー。

 外に逃げていくそれを、これまでの大介は、それなりに打ちにきたものだった。

 そしてヒットにするなら、それだけで充分だったろう。


 大介のバットはぴくりとも揺るがない。

 元からそれは分かっている。

 順番に投げなければいけないのだ。

(次はここに)

 スローカーブを、明らかにストライクとコールされない角度で。

 だがもしも大介が、ヒットで良しとするなら、それも簡単に打てていただろう。

 しかし大介はそんなことはしない。

 なぜならそんなバッティングは、大介も望んでいないからだ。

 ホームランを打たなければ、大介は役目を果たしたことにならない。

 そんな大介の思考すらも、今の直史には読めている。


 もしも一点で追いついたとしても、武史が降りた今、アナハイムは普通に点を取ることが出来る。

 レノンが投げたとして、抑えられるのは1イニング。

 大介としては、ここで決めるしかない。

 ホームランを打てる球を、打つしかないのだ。

 贅沢なことを考えているのは分かるが、直史が決めてしまった大介との対決は、それぐらいの決着でないと収まりが悪い。

 それに何より、大介がそれを求めている。

 ツーワンとなって四球目、直史はストレートを投げた。

 高めのゾーンに入っていたストレートなど、本来の大介なら、ホームランに出来ただろう。

 だがバットには当たったものの、ボールの下をこすった程度。

 バックネット裏に突き刺さったボールは、高速で回転していた。


 平行カウントに追い込んだ。

 ボール球を一球使える。

 ここからは直史の方が有利。

 しかしストライクを取るのは難しい。




 深くゾーンに入った大介は、直史のボールを正確に知覚している。

 一球目のど真ん中へのカーブは、なぜか途中でボールがわずかに消えた。

 消える魔球などではない。ボールの形が欠けたように見えたのだ。

(まさか……盲点か?)

 人間の目はその構造上、存在する物体が見えなくなる点が、視界の中に存在する。

 もちろん両目でそれを見ているため、なんとかカバーして全体を見ることが出来るのだ。

(バッターの盲点を突く? そんなことが出来るはずが……)

 直史でも、さすがにそれは無理なはずだ。

 だが今の直史は、どこか人間を超えているような気すらする。


 確かにマウンドの上に、揺ぎ無い存在として立っている。

 だがそこからは、人間の生気を感じない。

 ただ力の塊として、そこに存在している。

 なにかもっと、人間よりも原始的で、それでいて高次元の存在のような。

 そして大介は、それに挑むことを許された者。

 あるいは資格がなければ、むしろ簡単に歩かされただろう。

 相反する両者は、共に高みに立っている。

(引き摺り下ろす!)

 大介の戦意は殺気のレベルにまで上昇し、圧力が広がっていく。


 間近の樋口はそれを感じているが、直史には全く届いていないのが分かる。

 あるいは届いていても、効果がないのかもしれないが。

 直史は揺るがない。

(任せる)

 この対決は、直史が望んだものだ。

 キャッチャーはしょせん、提案までしか出来ない。

 もちろん結果を残し続ければ、よりピッチャーの信頼を得ることは出来る。

 だがここで大介を抑える方法など、樋口には一つも思いつかなかった。

 樋口はもう、二人の対決の邪魔などしない。


 直史はもう、樋口の計算できる領域にはいない。

 見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているのだろう。

 あるいは人間がまだ知覚していないことでさえも。

 ただそこは、人間がずっといていい場所でもない。

 そこに居続けるということは、人間をやめるということ。

 おそらく人間のままでは、命の形のままでは、その領域に達することは、本来は無理なのだ。


 終わらせて、帰って来い。

(もしもお前が負けるなら……)

 ここまでやって、直史が大介に負けるなら。

(それは、お前がまだ、人間の証拠だ)

 別に悲観するほどのものではない。

 

 


 樋口はそれでも、考えることはやめはしない。いずれは自分が、そういったリードをするために。

 二球目のシンカーを、大介はなぜ打たなかったのか。

 三球目のスローカーブも、大介ならばヒットには出来たはずだ。 

 ツーアウトからなら、打った瞬間にスタートが切れる。

 万が一にも牽制死がないように、ランナーはベースのほぼ真上を動かないが。

 モブはそのまま立っていればいい。

 二人の対決にノイズを入れないこと。

 それが最も正しい役目だと、正確に分かっていた。

 分かっていなくても、金縛りにあったように、そこから動けなかったろうが。


 大介もまた、ホームラン以外を狙っていないのか。

 樋口としては、何が正解かは分からない。

 いや、この先にあるのは、正解ではないのだろう。

 正解などではなく、世界の真実だ。

 人間の見せる、限界の姿だ。


 人間の肉体が奏でる、圧倒的なパフォーマンス。

 レコードブレイカーの大介が、唯一勝てない存在。

 直史の投げる四球目、それはストレート。

 軌道をしっかり追ったはずなのに、大介にはボールが、またも欠けて見えた。


 実際にはバッティングというのは、手前3mほどからはもう、見えてはいないのだ。

 バッターはそこまでの軌道を見て、その先を予測して振っている。

 大介の場合は特殊で、もっとぎりぎりまで球を見極めているが。

 それでもミートの瞬間には、ボールを見ているわけではない。

 途中で必ず、目線は切っている。


 そう思えば一瞬ボールが消えて見えるのも、バッティングには影響しないように思える。

 実際に鋭く変化するボールなどは、リリースした瞬間には、ほぼ軌道を予測できているのだ。

 だが消えて見えてしまうボールは、必ずバッティングに影響する。

 消えたという事実を、脳や肉体が無視出来ないのだ。


 消える魔球の攻略法は、果たしてどんなものであったか。

 野球マンガには定番のものであった。

 だが直史の使っているこれは、原理が魔球なのではない。

 直史が投げるから、ボールが魔球化するのだ。

 その直史でも、全てのボールが魔球化しているわけではない。

 条件に縛りがあるらしいが、ボール球を二つ投げてきたのがその理由なのか。


 盲点というものを思い出す。

 確か眼球の中の視神経部分が、その位置では像を捉えられないというものだ。

 眼球をあちこちに動かしているため、その点はほんのわずかの一瞬しか存在しない。

 直史の投げるボールは、その点を通っている。

 考えてみれば今までも、ミスショットしたボールというのはあったものだ。

 だが意識的にそれを投げられるピッチャーなどいなかった。

 直史にしても、本当に全てのボールを消せるわけではないのだろう。

 ボール球で大介の視線誘導をしているのか。


(人間技じゃないよな)

 自分のことはさて置いて、大介は考える。

 恐ろしいのは消えるボールを投げることではない。

 消えるボールがちゃんと、大介に有効だと分かっていることだ。

 四球目のストレートなどは、そういうものであった。

 本来ならリリースの瞬間に、コースまでは分かるのだ。

 直史のストレートなので、ホップ成分が高いことは分かっていた。


 カーブやスライダーのように、変化量の多い変化球を投げられたら。

 おそらくそれを、大介は打てない。

(どうする?)

 大介は追い詰められていた。




 直史は追い詰められていた。

 打てないはずのストレートを、大介は当ててきたのだ。

 脳が完全に無意識的に計算し、そこならば打たれないはずのコース。

 だが大介は、そこに当ててきた。


 この脳のオーバークロックによる計算は、大介の肉体の予備動作なども含めて、完全に把握した状態に投げている。

 なのに大介は、当ててきたのだ。

 直史が思っているほど、この未来予測は確実ではない。

 効果は確かに高いだろうが、それでも確定した未来を約束するものではない。

 もっとも大介もまた、怪物の領域に足を踏み入れているのであろうが。


 バッターがゾーンに入ると、時間が引き延ばされて感じるようになるという。

 もちろん肉体の動きが、それに比例して速くなるわけではない。

 だが情報処理速度が速ければ、それだけ動き出すタイミングも速くなる。

 大介はいつもこのゾーンに入っているわけではない。

 だが対戦するピッチャーが強ければ強いほど、チームが追い詰められていれば追い詰められているほど、より入りやすく、深く潜りやすい。

 だから大舞台こそ、むしろ大介のパフォーマンスは上がる。


 直史はこのあたりの事情を聞いている。

 それでもなお、直史の方が、これまでは勝ててきていた。

 だが去年の最終試合あたりから、ほとんど差はなくなっていると感じてきていた。

 特にもう後のないこの試合では、大介も限界をさらに超えてきている。


 わずかな風の動きに、皮膚がぴりぴりと痺れている。

 視覚だけではなく、全ての感覚から、大介の情報を読み込むのだ。

 どのコースに投げても打たれるという、まさにバットの結界。

 だがもちろん、ボールゾーンに投げれば、打たれないところはある。

 そしてカーブのように、大きな変化で曲がるボールは、わずかに大介にも隙があるのだ。

 ナックルは使えない。

 どう変化するか自分でも分からない上に、今の大介ならおそらくは打ってくる。

 風が無風に近い状態では、ナックルの変化は少ない。

 それをカットするぐらいならば、大介にも出来るだろう。


 五球目に投げたのはカーブ。

 大介はそれを振ったが、ボールはファールゾーンに飛んでいった。

(カーブだと、もう打たれるのか)

 大介は一球ごとに、この直史の世界を侵食している。

 もちろんあちらの集中力が、先に途切れてしまう可能性もあるが。

 それよりもおそらく、直史の力が尽きるのが早い。

 さっきまで感じていた頭痛が、今はもうない。

 集中力が痛みを感じる機能をシャットアウトしているのかもしれない。

 だが痛みは重要な体のセンサーだ。

 危険な領域に入った肉体を、元に戻そうという働き。

 そのセンサーを直史はカットしてしまっているのだ。

 限界が来れば、その瞬間に壊れることは間違いない。


 カーブを投げたことによって、大介の結界にわずかな緩みが見えた。

 そこに対して直史は、ストレートを投げ込む。

 このボールもまた、大介はカットしてきた。

 やはりストレートでも、大介を抑えきることは出来ない。


 スルーか、スルーチェンジか。

 だが今の大介には、必殺になっていたスルーチェンジが、通用しないという確信がある。

 六球目、またしてもナックルカーブ。

 これでも空振りは取れず、大介はバットに当ててきた。


 もっと深く、もっと高く。

 とてつもなく高いところから、とてつもない深みへと。

 足を踏み入れて、投げるべきボールを探っていく。

(あと一つ、ここにボール球を投げる)

 アウトハイというコースに、ストレートが決まった。

 ただしこのボール球に、大介は手を出してこない。

 肉体は不動のまま、意識だけが動いた。

 直史はその揺らぎを、確かに感じた。

 

 これによって、投げる隙が見えた。

(そこに、あの一点に)

 このボールを投げたら、打ち取れるという確信。

 体が重くなってきているが、あと一球だけ。

 根を張ったような足を、力を込めて持ち上げる。

 そして正しいフォームから、そのボールをリリースする。

 投げられたボールに対して、大介もスイングしてくる。

 タイミングは合っている。




 ツーストライクに追い詰められてからも、大介は粘った。

 ボールが消えて見えるなど、あくまでも錯覚なのだ。

 だがせっかくゾーンに入った時間の淀みが、これではあまり効果がない。

 直史のボールを一球当てるだけで、ものすごい体力を消耗しているのが分かる。


 分かっていても打てない。これは直史が、スルーを開発した当初のコンセプトだ。

 いまだに組み立て次第では、ほとんど打たれないのがスルーである。

 直史の今の、魔球も同じもので、分かっていても打てない。

 自分の感覚が、自分の肉体を裏切ってしまう。

 脳が情報処理を上手く出来ないため、肉体も上手く動かないのだ。

 こんな精神攻撃をかけられて、どうやって打つのだ。

 いや、時速200km/hを超えるような速球なら、同じような効果なのだろうか。

 認識を支配する、直史のピッチング。

 それはもう、球速など関係ない。


 カーブはなんとか当てることが出来た。

 しかしそれが、ファールになってくれたのは運だ。

 ここから先、直史はもう、魔球以外を投げてこないだろう。

 打ち損ねたボールが、ヒット性の当たりになるかもしれない。

 だが追いついて次のイニングになったら、果たしてどういう決着になるか。


 直史も限界が近いだろう。

 だがこちらはもう、武史が投げられない。

 直史は限界を迎えても、なんとかしてしまうピッチャーだ。

 だからここで、自分が決めるしかない。


 アウトハイにボールを投げて、フルカウントにしてきた。

 普通ならこれで、カウント的には大介が、やや有利になるのだ。

 しかし直史のこれは、最後の一球の布石。

(スルーか)

 低めにずどんと、スルーを投げてくる。

 おそらくその軌道が、一瞬消えるのだ。


 頭では分かっているが、果たして投げられたらどうなるのか。

 打てるはずだが、おそらくは打てない。

 バッターの肉体を、ピッチャーが操って支配する。

 そんなことの出来るピッチャーを、果たして誰が打てるのだろうか。


 マウンドの上の、直史の気配が確かなものとなった。

 いやこれは直史の気配ではなく、闘気が圧縮したものなのか。

 気配は明らかに、大介との決着を望んでいた。

 そしてこのままなら、大介が負ける。


 足が上がって、体がねじられて、ボールがリリースされる。

 見えてはいる。見えてはいるが、ここから消える。

 消える球ならば。

(もう、見なくてもいい)

 目をつぶったまま、大介はスイングをした。

 何十万回と繰り返した、己のスイングであった。




 バッターボックスの中に存在していた、大介の確固とした存在感。

 それが一瞬で、消滅していた。

 バットの結界など、完全に雲散霧消していた。

 そこにいたのは、大介ではない。

 ただバットの一閃だけが、直史には見えた。

 そしてそのバットは、直史の投げたスルーを、確実にミートしていた。

 打てないはずのボールを、大介は打っていた。


 打球は放物線を描いている。

 風のないこのスタジアムで、ボールは空気の壁を貫いていく。

 直史は何も思わなかった。

 何も考えず、ただその球の行方を追っていた。


 センターのアレクが、必死で走っていく。

 元から深く守っていたのは、勘が働いたからである。

 常識で考えれば、二塁ランナーの本塁帰還を防ぐために、外野は浅めに守っておくべきだった。

 だがそういう常識的な結果で、対決は終わらないだろうと思っていた。


 フェンスが近づいてくる。

 大介の打球は、飛距離は充分なのか。

 センターのフェンスの高さは、約2.4メートル。

 フェンスを蹴ったアレクであれば、それよりも高くジャンプ出来る。

 アレクは疾走し、フェンスを蹴ってグラブを伸ばした。

 そのはるか先を、ボールは通過した。

 

 バックスクリーンに、白いボールが着弾した。

 その瞬間に、スタンドの観客全てが、立ち上がっていた。

 メトロズファンだけではなく、アナハイムファンも。

 そしてその口からは、絶叫しか出てこない。


 何度も、何度も吼えていた。

 誰もが、あるいは泣きながら吼えていた。

 バッターボックスの中の大介はバットを落とすと、その歓声に後押しされるように、ゆっくりとベースを一周する。

 足が絡まって倒れるそうになったりと、足元が定まらずふわふわと揺れる感覚。

 二塁ベースに到ったあたりで、ようやく思考が回復してくる。

 そして状況を、ようやく理解した。


 叫ぶこともなく、大介は右手を上げた。

 そしてその目からは、涙があふれてきた。

 ホームまでの、残り数メートル。

 直史がマウンドから、その近くまでやってきているのを見つけた。


 ホームベースを踏んだ大介に、直史が声をかける。

「どうやって打てたんだ?」

「目をつぶって勘で打った」

 なるほど、と直史は納得する。同時に呆れもするが。


 自分の感覚の全てで、大介の動きは見えていたと思った。

 しかし大介が向こうから、視覚をシャットアウトしたのか。

 ならば打てただろう。

 理屈ではなく、直史は実感した。

 だからこそ打てたのだ。


 ホームランを打った大介に、直史は右手を差し出していた。

 チームメイトの誰よりも先に、大介は直史と握手した。

 かくして舞台は結末を迎えた。

 どちらが主人公であったのか、それは考え方次第だろう。

 そしてどちらがプレイヤーとして優れていたのか、色々と考え方はある。

 ただ確実なのは、メトロズがアナハイムに勝ったというその事実。

 それだけは、誰もが認めるしかない、客観的な事実であった。


 敗北したバッテリー。

「負けたな」

「そうだな」

「体は大丈夫か?」

「……少なくとも、今はな」

 感覚が通常に戻ってきて、頭痛が目の奥でするし、全身が筋肉痛だ。

 しかし逆に言えば、それだけで済んでいる。

 あるいはもっと、深刻な事態になったかもしれないのに。それを覚悟していたのに。

 つまり、この先にはもっと、未知の領域がある。

 まだ限界までは、数歩の距離があるのだ。

 そこまで行けば、大介にも勝てただろうか。

 いずれにしても、直史の限界は、まだここではなかった。




 ワールドシリーズ最終戦14回の裏。

 大介による逆転サヨナラツーランホームランで、メトロズは勝利した。

 これにてアナハイムは連覇の夢を潰され、そしてメトロズは去年の雪辱を果たす。

 だが重要なのは、勝敗ではなかった。

 決着がつくまでに、どれだけのプレイが演じられてきたか。


 レギュラーシーズンの双方のチームの圧倒的な勝率。

 直接対決となった三連戦。

 そしてポストシーズン、ここまで勝ちあがってきた両チーム。

 去年と同じカードの、ワールドシリーズ。


 直史は六戦目までに三勝。

 39イニングを投げて、わずかに四失点。わずかに七本の被安打で、四点を取られていた。

 四点のうち、三点が大介によるホームランの打点。

 これを見て、果たしてどちらが勝てたと言えるのか。


 試合に勝って優勝する。

 結局プレイヤーの勝敗は、そこで決めるしかないのだろうか。

 だがそれを言ってしまえば、これでアナハイムとメトロズは、ワールドシリーズ一勝一敗。

 これでやっと、引き分けである。


 メトロズのベンチ。

「勝った……」

「おまん、勝ち投手ぜよ」

「まじかあ……」

 立ち上がって大介を迎える坂本と違って、もう武史は立ち上がる気力さえなかった。

 それを坂本は引っ張って、大介の前に連れて行く。


 この試合の最大の功労者は、むしろ大介ではないだろう。

 14回までを二失点に抑えた、武史の力。

 180球を超えて投げて、25奪三振。

 たださすがにMVPは、大介になるだろうが。


 ワールドシリーズに三勝して、それでもMLBになれない直史。

 それはなんとも、不思議な記録であると言えよう。

 アナハイム側ベンチの手前で、直史はグラウンドを振り返った。

 そして帽子を脱ぐと、深くお辞儀をしたのであった。


 メトロズの選手たちが、ベンチの前でわやくちゃになって騒いでいる。

 それに向けて、大観衆による大きな拍手。

 メトロズの選手たちだけではなく、それはむしろアナハイムの選手へも。

 大介を歩かせれば、勝っていただろう。

 だが直史が対決を選び、そしてFMがそれを了承した。

 ファンが見たいものを、メジャーリーガーたちが見せてくれた。

 ニューヨークの長い夜は、これから始まる。

 巨大なニューヨークのあちこちで、狂騒が発生する。

 祭りの余韻は、もうしばらくの間、途切れそうにない。




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  ※ NL編152話は試合の背景の描写となります。

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