オリオンを君へ

透峰 零

世界でたった一つのヒーロー

 バレンタイン。

 誰が考えたかわからないが、この行事を迷惑だと考えているのはあきらだけではないだろう。

 所詮こんな行事はお菓子会社の陰謀であって、別に今日である意味はないはずだ。

 そう、なぜある特定の一日を特別にする意味がある。どうせやるなら徹底的に『チョコレート週間』とか『カカオ強化月間』とかにすれば良いではないか。そうしたら少しは一日に持ち帰る分量が減るわけだし、友人達からの痛い視線も緩和されるはずだし。なにより


 ――なぜに自分は幼なじみの男の下駄箱に、可愛くラッピングされたチョコレートを入れているのだろう……という自問自答もしなくて済むのだ。



「太陽ぉぉぉぉぉぉ! 聞いてくれよ、というか聞け! 大ニュースだ、俺にも春がきたんだ!」

 始業二分前に教室に駆け込むという暴挙をやらかした少年が、陽の返事も聞かずに耳元でそう叫んだ。

 それにため息を一つ。もう何回。いや、何万回と繰り返した言葉をその少年に返す。

「俺の名前は太田おおた陽。略すな・勝手に恒星の名前にするな・ついでにもう少しでHRが始まる、もっと早く起床しろ・Uターンしてさっさと席につけ」

「うぉっ、何かいつもよりご機嫌が麗しくない?」

「あぁ、麗しくないね。お前の頭を今すぐはたき倒して校庭に埋めてやりたいくらいだ」

 投げやり気味に返して陽は少年――雨野あまのしずくを睨んだ。

「お前のその凶悪な顔を見たら、世の女子もチョコレートを無駄にしなくて済むのにな」

 わざとらしくため息をつく雫に、ますます陽は眉を寄せた。

 例年この日は「なぜお前ばかりモテるんだ~」とかグダグダと文句を垂れ流しているというのに、今日はやけにご機嫌だ。むかつくことに無駄に顔色がツヤツヤしている。

「お前の方こそ、今年はやけに機嫌が良さそうじゃないか。何があった?」

 聞いてから後悔した。奴が『よくぞ聞いてくれた』と言わんばかりにニンマリと笑ったからだ。

 この顔をされた時には、どうせロクなことがないに決まっている。

「よくぞ聞いてくれた! ついに俺にも春が来たのだよ太陽君!」

 叫ぶや、大仰に『何か』を自らのペッタンコの鞄から取り出した。

 ピンク色の薄い包装紙。それより少し濃いピンクと白いリボンで飾られた上部。

 ちょっと歪なリボン結びからして、プロがやったのではなく、自分で買って来てラッピングしたものだとわかる。

「見ろ。ついに俺にも手作りチョコをくれた子が現れたんだ! でもチョコだけしか入ってなくてさ、『放課後に屋上でお待ちしてますv』って手紙をがないんだ。はっ、そうか、きっと落としたんだな。俺も探すの手伝わないと――」

「あぁ、それ俺が入れたんだよ」

 際限なく上がりまくる雫のテンションを無視して陽はざっくりと申告した。

「……」

「何だよその世界滅亡の日を知ったみたいな顔は」

「太陽の馬鹿やろぉぉぉぉ! 世界と俺の純情を一緒くたにするんじゃねぇ!」

「それは悪かった」

 勢いに押されて、陽は思わず謝った。しかし、続く雫の言葉に脱力する。

「俺の純情は宇宙にも匹敵するんだぞ!?」

「……そーかい」

「というか、がっかりだよ太陽! 以前からお前の頭が良くて、スポーツ万能なバスケ部のエースで、しかも性格までそこそこ良いからモテまくるという欠点に、寛大にも目を瞑って付き合ってやってたのに、こんなひどい仕打ちをするなんて! チクショー、俺の友情は踏みにじられた。今度お前が寝てるところに侵入して『Mr.パーフェクト仮面』って落書きしてやる! そしてそれを俺の全技能を駆使して写真におさめ、町内中にばらまいてやる!」

 忘れていたが、雫は新聞部員。しかもカメラマンとしての腕前だけは折り紙つきだ。

「ちょっと落ち着け。言ってることが支離滅裂だぞ。確かに下駄箱に入れたのは俺だが、作ったのは女性だ」

 補足が効いたらしい。やっと正気を取り戻した雫が顔を輝かせる。

「誰? 誰だよ?!」

 多少の罪悪感はあったが、陽は正直に答えた。

「陽子だけど」

「……え、陽子ちゃん?」

「うん」

「お前の妹の?」

「ああ」

「今年の四月で小学二年生になられる?」

「そうだな」

「…………」

「………………ノォォォォォォ!」

 折よく鳴ったチャイムが、雫の絶叫に重なった。担任が来ないのを良いことに、彼はしばらく床で悶絶していたが、やがてムックリと起き上がる。

 そして拳を握りしめ、

「十年後に期待するとしよう」

 とかのたまった。

「お前に妹はやらんからな」

「黙れシスコン。よく考えたら陽子ちゃんは可愛いからな、将来はきっとかなりの器量になるぞ~」

 鼻歌すら歌い出しそうな雫に、陽は再びため息をついた。

「あのな、義理だ義理。というか、お礼も兼ねてるらしいからな」

「……? 俺なんかしたっけ?」

 きょとんとする雫の手にある包装紙を陽は顎でしゃくった。


「オリオンの、だってよ」


 他人にはワケがわからない返事だが、雫にはそれで十分だろう。

 案の定、彼は顔を綻ばせ「ああ」と手を打った。

「オリオンのか!」

「そう。わざわざオリオン描いてたからな、大事に食えよ」

 陽がそう言ったタイミングで担任が来たため、話はそこで終わった。




 ***




 彼女が泣きながら帰宅したのは冬の寒い日だった。

 いつもは学校で喧嘩しても逆に男子を負かしてしまうほどだったから、何かあったのかと思うわけで。

 そしてそれを、兄である自分よりもなぜか隣に住む幼なじみの方が気にして。

 妹の方も、自分が生まれた時から陽の家に入り浸っていた彼に懐いていて。


 ――どういうわけか陽は冬の夜中に、その幼なじみに連れ出されたのだった。


「なぁおい、何を撮るつもりなんだよ」

 カメラをいじる雫に白い息を吐きながら問いかけるが、答えは無言。

 一つのことに熱中すると他が見えなくなるのが、この幼なじみの欠点である。

 妹が泣きながら何やら彼に訴えていたのは、陽とて知っている。

 それが子供特有のかなり無茶なものであろうことも、相づちを打っていた雫の表情から何となくわかった。


 ――それでも最終的に笑いながら「任せとけ」と言ったことも。

 

 場所は近所の公園。

 何の変哲もない広場とブランコ、小さな滑り台。

 昼間は小学生が球技などで遊び回るその広場に、二人はいた。

 やっと調整が終わったのか顔を上げた雫は一言。

「最強のオリオン」

「は?」

 思いがけない答えに陽はぽかんとして間抜けな声をあげた。

 そんな彼の反応にはあまり関心を示さず、雫はぶつぶつと文句をこぼした。

「陽子ちゃんがさー、学校で馬鹿にされたんだってよ。オリオンなんて弱っちい、って」

 彼が言うには、妹の学校では自分の好きな星座を調べて発表するという宿題があったという。

 で、オリオン座なんてポピュラーだから大半の子供が調べるわけで。その中で彼女のは群を抜いて素晴らしかったらしいのだ。

 そして、それが気に入らなかった男子グループと喧嘩になった。

 しかも只の喧嘩なら彼女に分があったが、口喧嘩。

 素直で真っ直ぐ、融通のきかない性格のせいか、悲しいかな彼女は一度もこれに勝ったことがない。

「悔しかったら証拠持ってこいって言われたんだって。子供の喧嘩だし、甘やかすのもどうかと思うんだけどさ~」

 東の方からゴウンゴウンという低い音が聞こえてきた。この付近は航路になっていて、よく飛行機が通る。

「でもさ、発表資料破られても『先に手を出したらオリオンと同じ乱暴者になってしまうから』って、最後まで我慢して口で勝負しようとするなんて偉いと思うわけよ、俺は」

 晴れた夜空を横切って低く飛ぶ飛行機が、チカチカとした明かりと共に近づいてくる。

 都会の澄んでいない空気の中、まばらに瞬く星空はまるで海のようで。

 飛行機はそこを泳ぐ大きな魚のような錯覚を覚える。

「だからさ、そんな頑張ってる子に「英雄」を見せてあげても甘やかすことにならないかなーって思ったりしてさ」

 そこで雫は言葉を止める。

 どうやら獲物はあの飛行機らしい。しかし、飛行機とオリオン座に一体どういう関係があるのやら。

 陽の疑問には関係なく、飛行機は悠々と星の海を横切って泳ぐ。

 周囲の小さな星は飛行機に押しやられるように、一瞬光ることを止める。

 その人工的な明かりの暴君ぶりを陽はぼんやりと見ていたが

「あ」

 飛行機がちょうどオリオン座の真下にきた。

 その時、陽ははっきりと雫の狙いがわかった。

 。なるほど。

 飛行機は大きい分近くに感じるが、その真上にかぶさるように輝くオリオン座は途端に遠さを増す。飛行機の大きさとオリオン座の大きさが、とたんにグンと開き、星の海の深さが想像の域を超える。

 人間はいくら空を制してもオリオン座には届かない、といことが嫌というほどわかる構図。

 低く飛ぶ飛行機はオリオン座の真下に入った途端、ちっぽけになってしまった。

 こん棒を振り上げるオリオンから逃げるように、飛行機はアッという間にそこを通り過ぎる。

 星の海はまた何事もなかったように輝きを取り戻し、静かに夜に沈む。

 ずっと見ていたら吸い込まれるような――。

「よっし、帰るか!」

 明るい雫の声に陽は我に返った。

「……とれたのか?」

 我ながら呆れるような惚けた声での問いに対する雫の答えは、暗闇でもわかるほどの笑顔だった。




 ***




「おー、本当に表面にオリオン座が描かれてる。凝ってるなぁ――でもさぁ、太陽」

「陽だっつってんだろ……で、何だよ?」

「何で五枚? しかも微妙に形崩れてるのがあるぞ」

「あー、陽子を苛めてた男子グループが羨ましがってな。陽子が『欲しけりゃ手伝え』と脅したんだ。で、その結果『誰が一番うまくオリオン描けるかコンテスト』が勃発したんだよ」

「…………何というか、小学生って可愛いよな太陽」

「そだな。…………ちなみに俺の名前をいい加減ちゃんと呼んでくれ」

「嫌だ」





 世界で一つだけの彼女の「英雄ヒーロー」は、甘い味がしたという。

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