願い事ひとつ

かなぶん

願い事ひとつ

 願いはただ一つ。

「友だちが欲しい」

 それだけだったのに。


 学園の野外学習の課題も、あと少しで終わると思った矢先。

 一瞬の浮遊感、後――

「った!」

 放り出されるように土壁へぶつかったノアは、小さく声をあげた。

 しばらく痛みに耐え、目を開けたなら暗闇。

(なんてこと……誰が罠を――ううん、それよりも)

 辺りを見渡すために瞳へ手をかざす。そうして暗視の術を自身へかけようとするが、それよりも早く宙に放たれた光が辺りを照らした。

 状況も分からない中で明かりだけを求めた魔法。

 迂闊なそれに驚くが、と同時に、学園の生徒であれば当然かと思い直す。

 小さい頃から命を狙われてきたノアとは違い、学園の生徒たちの大半は、そういう脅威とは無縁の生活をしてきたのだ。この光が、自分を襲う目印になるとは、夢にも思わないのだろう。

(まあ、そういう意味では私も同じか。襲われるかもしれない、なんて、学園の結界を見くびっているようなものよね)

 それでも警戒は怠らず、光の持ち主と辺りへ目を配る。

(洞窟内に、同じ班の男の子が一人だけ……か。思ったより、不味い状況かも)

 ノアの側にはいつも従者の少年・ルーザがいた。

 光も褪せるほどの美貌と、高い身体能力、魔法技術を兼ね備えた少年が。

 その不在を知った瞬間、ノアの胸は逸り、すぐさま立ち上がっては、上体を起こしただけの少年の元へ駆け寄りかけ、

「っとと」

 解けかけた靴紐に気づいては、これを締め直す。

「え?」

 すると、少年からかけられる戸惑いの声。

 何に対する反応か、声だけでも分かったノアはこっそりため息をつくと、再び少年の前まで駆け寄り、土埃に塗れた姿へ手を伸べた。

 ぎょっとする少年の目に映る自分も、きっと同じ姿なのだろうと思いながら。

「ほら、早く脱出しないと。大変なことになるわ」

「た、大変……?」

 ノアの申し出に、少年の目がノアの靴紐と手と、彼女の顔を何往復もする。

 ただ立ち上がることを促しているだけだというのに、大袈裟な少年の驚きように、しかし、ノアは仕方がないとも思う。

 何せ普段、彼ら生徒が見ているノアは、靴紐さえまともに結べないはずなのだ。結べないから従者の少年に結ばせ、挙げ句、「解ける前に気づきなさいよ、この愚図!」と罵り扇子で叩く、そんな高慢ちきな令嬢が彼らの知るノアだった。

 かといって、そんな驚きに付き合っている暇はない。

 少年へ告げた通り、ノアには早くここから抜け出す必要があるのだ。

 大変なことになる前に。

 ならばいっそ、彼を置いて一人で進んだ方が早いのだが、ノアにはそんな人でなしのようなことはできない。”アイツ”ならばいざ知らず。

「惚けるのは後にして頂戴。いいから、さっさと立ち上がる! それとも、どこか怪我をしているの? 痛いところがあるなら見せなさい」

「い、いや、大丈夫……っつ!」

 普段とはあまりにもかけ離れたノアの様子に怯えたのか、少年は差し伸べた手を取らずに立ち上がった。けれど、すぐにうずくまって足を庇うように両手をかざす。

「捻ったみたいね。骨は折れていないようだから、これくらいなら私でも」

「いやっ! いいって、本当に、これくらいなら走れるから!」

「無理しないでよ。ここがどこなのか分からないんだから。軽い怪我でも悪化したら、専門でもない私たちじゃ、どうにもならないのよ?」

 言って強引に少年の足へ手をかざせば、少年の顔が回避できない殴打でも受けるかのように、ぎゅっと青ざめ歪んだ。

(ああ。そう言えば、前にこれでルーザの骨にヒビを入れたんだっけ)

 入れたところで次の日、けろりとした顔で立っていた従者に苛立ち忘れていたが、あれは確か、学園内での出来事だった気がする。

 どうせノアお嬢様には治癒魔法などできない、という陰口を聞き、ルーザの膝を強打した後で実演してみせたのだ。あまりない状況にうっかり雑念を抱き、あのやることなすこと完璧従者に、真逆の攻撃魔法を叩き込んだのはいい思い出――。

「よし、これでどう?」

「え? あ、足がちゃんとある……」

(……そこまで酷かったかしら?)

 ヒビを入れただけのつもりが、足を切り落としでもしたのかと、自分の記憶に悩むこと数秒。そんな暇はないのだと頭を切り替えたノアは、立ち上がって呆然とする少年の手首を握りしめて言った。

「とにかく、大丈夫なら、早く出口を探しましょう!」

「お、おう……」

 ぐっと引けば走り出した少年から手を離し、自身の足へ手のひらを向けては、補助魔法をかける。そうして自らも走り出したノアは、ただただ無心で願った。

(どうかどうかどうか、”アイツ”が無茶をしない内に着きますように!)


 だが、ノアの健闘虚しく、彼女と少年が地下の洞窟から地上へ出た時、彼女たちを出迎えたのは燃えさかる学園を背景に、動かぬ教師の胸ぐらを掴んだ少年。


「ああ、ノア様! ご無事でしたか!」

 ノアの姿を見つけるなり、ぱっと破顔した従者は、教師を離すと同時に駆け寄ると、その顔を見て一転悲しそうに眉を顰めた。

「こんな泥だらけになられて……お待ちください、すぐにお湯を用意いたします」

 言い終わりを待たず現れる、洗面器とタオル。

 張られたお湯にタオルを浸し、何も言わないノアへ向かい「失礼します」と告げては、壊れ物を扱うように彼女の顔を拭いていく。

「る、ルーザ、これは一体……」

 その声は、ノアからではなく、ノアの背後にいる少年から発せられた。震える声音から、恐らく一言では言い表せない酷い顔をしているに違いない。

 けれど、ルーザはちらりと見る素振りもなく、終始ノアの顔だけを気にする。

「っの、聞けよ! これはどういうことだ、ルーザ!!」

 無視されたことで、怯えよりも怒りが上回った少年が駆け寄り、ノアを拭く手を掴みかけるが、

「邪魔だなぁ」

「っ!?」

 鬱陶しいと払う腕の一振りで、少年の身体が地面を滑る。それでもなお、呻く少年を見ないルーザは、手にしたタオルを見て、大きな舌打ちをする。

「汚い手で触りやがって。見ろ、ノア様を拭くための綺麗な白いタオルに、お前の小汚い泥がついちまっただろう?」

 ルーザはそう言うが、そもそもノアの顔を拭いたのだから、タオルはすでに茶色く変色している。言いがかり以外の何物でもない。それでも気に食わないのだろう、手品よろしく、一瞬上がった炎と共にタオルを消し去ったルーザは、新たに白いタオルを出しては、再び湯につけノアの顔拭きを再開しつつ、少年へ向けて言う。

「どうもこうもないさ。ノア様をすぐにお助けしようとしたってのに、あいつらが邪魔したんだ。課題用の洞窟は無理矢理こじ開けたら中の生徒に危険が及ぶってさ。全く、僕がそんなヘマをするわけないだろ? ノア様に危険なんてあるはずが……ああ、そう言えばそうだった」

 不意にルーザの声色が変わる。

 くるりと向いたのは、今まで視界に入れなかった少年の方。

「お前……お前のせいだね? ノア様だけ助ければ僕は良かったのに、お前がいたせいで、あいつらに足止めされた……うん? そうか、それならこれは全部、お前のせいだ。お前がノア様の救助を邪魔したから、ここで倒れた奴ら、あそこで燃えているモノ、全部お前のせいでああなったってことだ」

「お、俺の……?」

「そう、全部、お前のせいだ……」

 完全な責任転嫁。

 だというのに、少年は怖々と周囲を見渡し、染み込ませるようにルーザが重ねる。

 このまま時が進めば、少年はこの惨劇の全てを自分の責と思い込むだろう。

 ――もう、十分だ。

「ルーザ」

「はい、ノア様!」

 呼べば眩い笑顔で駆け寄ったルーザが、ニコニコと次の命を待つ。

(はあ……)

 心の中で盛大に嘆息したノアは、彼女だけには忠実な従者の胸ぐらを掴むと、思いっきり自分に引き寄せた。

 ゴッ……と鈍い音がして、ノアの目の前に星が飛ぶ。

「の、ノア様!? ああ、なんてことを! 額が赤くなっています!!」

 そういう自分も鼻血を流しているのだが、あくまでノアのことしか見ないルーザは、すぐさま自分を傷つけた額へ手を翳すと治癒魔法をかけていく。

 ノアはこれを強引に払い除けると、続く悲愴なルーザの声を待たず命じる。

「戻しなさい、今すぐ。全部、なかったことにして。私が罠にかかったところから」

 それはこの学園の教師でも無理な話だった。

 どれだけ魔法に優れていようとも、人間が叶えられるはずのない命。

 だが、一瞬きょとんとしたルーザは、続いて華やかに微笑むと優雅に一礼し、

「仰せのままに」

 そして次の瞬間には、赤々と燃える学園も倒れ伏す教師も生徒もなく――


「うわっ!? 罠だ! 二人やられた!」

 同じ班の少年が叫ぶ。

 これを涼しい顔で眺めるノアは、扇子で自身を仰ぎながらわざとらしく言う。

「信じらんない。もう少しでゴールだって言うのに」

「ノア様……」

 ルーザが窘めるように声をかけるが、叫んだ少年はもちろん、罠にかかった二人以外の同じ班の全員にはしっかり聞こえていた。

「なんだと!?」

「他に言い方あるでしょう!?」

 口々に上がる非難をなおも涼しい顔でノアは受け、そんな彼女を庇うように立つルーザは、殺気立つ彼らを宥めて言う。

「仕方がありません。課題は諦めて、先生を呼びましょう。お嬢様も、それでよろしいですね?」

「はあ……こんな班に入ったのが運の尽きね。本当、他の班に入れば良かった」

「まあまあ」

 どこまでも神経を逆なでする言い草に、更に怒りを募らせる少年少女たち。これを鼻で笑って背にしたノアは、付き従うルーザに見えないように、ため息をつく。


 独りぼっちの令嬢の「友だちが欲しい」という願いは、何の因果か、封印されていた魔神に聞き入れられた。そうして手に入れたのは、彼女しか見ない従者と、その正体を危険視した者から命を狙われる日々。

 誰も巻き込まないため、傲慢を装う令嬢が真の友情を育める時が来るかは――

 神にも分からない。

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願い事ひとつ かなぶん @kana_bunbun

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