ヒーローをつくろう!

λμ

バイランの求める英雄

 見上げれば鼻歌が出そうな春の陽気に、種々雑多な銃声が多重奏を響かせる。どこを向いても白い建物の内側が、少しずつ少しずつ赤く濡れ壊れていく。

 バイランはたっぷりと鉄錆の匂いを吸い、ため息をついた。

 吐き気がする。

 なんたる巨悪だろうか。

 病院を襲い、女と子供から順番に、全体から十パーセントを間引けと命じた、


「この、私は」


 呟き、院長室の扉を蹴破った。ただ、ただ、呆然とする老人がいた。


「た、頼む……命だけは……」


 聞き飽きた命乞いにバイランは嘆息する。


「そう怯えないでいい。私は殺しが嫌いなんだ。犠牲になった人々に哀悼の意を表明するよ」


 言って、揃えた指先で宙を撫で、印を描いた。彼が最も得意とする印術、爆針ばくしんの印だ。その照準は院長の右の足首に指先を狙った。


「痛めつけるほうが、まだマシだ」


 空中に浮かぶ青白い印から不可視の針が飛翔し、院長の足首に刺さった。途端。

 爆発。絶叫。足首が千切れ飛び床で跳ねた。飛散した鮮血が秒の間もなく焼き付き壁に床に机に窓に、あらゆるものを黒く汚した。

 院長は足首を押さえ悶絶していた。

 が。

 血は流れない。

 爆炎が瞬時に傷口を焼灼し、止血したのだ。 


「さて」


 バイランはひとつ両手を打って、窓の外から聞こえてきたサイレンの音に言った。


「私のヒーローくんを待つとしようか」

 

 机に病院の地図と設計図を広げ、事前に仕込んだ封樹を確認、かかってきた電話に答えて受話器をとった。


「印術犯罪対策室のマヒロだ。お前は包囲されている」


 低く押さえた、若い男の声だった。

 聞き飽きた宣言に失笑しつつ、バイランは答えた。


「マヒロ。マヒロ。どういう字を書くのかな? 真実の真に……あれか? 尋ねるという字。漢字はごちゃごちゃしていてよく分からないんだ」

「その声。バイランだな?」

「そうだよ。そのとおり。せっかくだから、窓辺に立とうか?」

「なに?」

「狙撃手だよ。連れてきてるんだろう? もう展開は終わったかな?」

「なにを言ってる」

 

 なにを、とは?

 バイランは用意した地図を片手に窓辺に立った。中庭に群れる車列。遠間のビルの屋上に移動する人影。予想通りにすぎる。


「準備はできたかな?」

 

 バイランは地図上に記した印を撫で、術を開放した。ほとんど同時に十五の爆炎が吹き上がり、また車列の逃げ場を塞ぐように敷地の門を業火が覆った。車列の中央で若い男が狼狽えているのが見えた。


「そう慌てるなよ、マヒロくん。私は殺しが嫌いでね。二度と現場に立てないだろうが、死なせるまではしないよ。野蛮だからね」


 ふと、バイランは首を傾げ、言い直した。


「失礼。院内にいた女子供うち十パーセントは部下が殺してしまったらしい。あとで下手人には相応の罰を与えるから許してほしい」

「……ふざけるなよ! バイラン!」


 中庭の中央で、マヒロが、生半な覚悟を決めたと見えた。

 バイランは笑った。


「ふざけてたらこんなことはしないよ、マヒロくん。そこで質問だ。私の、緋色ひいろくんはどこにいるのかな? 彼はどうした。どこにいる?」

「それがお前の要求か?」

「そうだよ。いつもそうだ。彼はどこにいる?」

「緋色さんは、来ない。俺たちでお前に対処する」

「なんだって?」


 バイランは後ろに首を振り、部下の一人に医療用の鋸を持ってくるよう指示した。


「来てないなら、さっさと呼び給え。来ないなら院長の右腕を切り落とす」

「そんな脅しに俺が――」

「少し、黙っててくれるかな?」


 バイランは部下に言った。


「そいつの右腕をゴム管で縛って鋸で落としてやれ」


 命令の意味を解そうと、部下が院長とバイランの間で視線を往復させる。

 バイランはため息をつき、宙に印を描く素振りを見せた。慌てて部下がゴム管を手にとった。

 悲鳴に受話器を向けて、バイランは中庭を見下ろした。マヒロが何かを怒鳴り、対策室の戦闘員が想像通りの部隊展開を見せていた。すかさず地図上の印を撫でて吹き飛ばし、バイランは部下から院長の右腕を受け取った。


「マヒロくん。マヒロくーん? 聞こえてるかな?」


 絶望を顔に張り付けたマヒロを見下ろし、バイランは受話器を肩に挟んだ。ひび割れた窓を丁寧に開き、切ったばかりの腕を外に垂らす。


「どうだろう、見えてるかな? マヒロくん。院長の腕だよ。ほら」


 投げてくれてやると、マヒロが受話器の向こうで叫んだ。


「やめろ! こ、来れないんだ! 緋色さんは、別の事件に対処している!」


 ――別の、事件?


 バイランは目を瞬いた。

 

 別の事件だと? 私以外の敵に対処してると?

 つまり私は、二番目以降?

 

 受話器を持ち直し、バイランは声を低くした。


「ふざけるな。そんな言い訳に私が騙されるとでも」

「本当なんだ! 彼は――」

「次は左腕だ」

「よせ! 聞いて――」


 バイランは受話器を手にぶら下げ、指示を出した。

 別の事件。ここ以外にも大変な何かがあると?

 院長の悲鳴に受話器を向けて、バイランは部屋のテレビをつけた。流れているのは今の病院の惨状を告げる放送ばかりだった。それらしき事件は見当たらない。先程からバラバラうるさいのは報道ヘリということか。


「マヒロくんに切り取った腕をくれてやりたまえ。終わったら足だ。殺すなよ? 殺したら君の躰で同じことをするしかなくなる」

 

 部下が顔を青ざめた。バイランは薄く笑い、頭を撫でた。


「冗談だ。私は報道ヘリをいくつか落としてくるから、間を頼んだぞ」


 言って、バイランは院長室を出た。


  *


 二日後。印術犯罪対策室の地下医務室にて、渡岳わたしだけ緋色は目を覚ました。傍らの上司は死人のように暗い顔をしていた。


「……部下が目を覚ましたってのに、嬉しくないんですか?」

「喜んでいいのか分からないんだ」

「……何があったんです? ヤツは――」


 慌てて躰を起こそうとする緋色を制し、上司は言った。


拉致らちされた」

「……は?」

「拉致されたんだ。バイランに」

「バイラン……たしか、あの日……」


 病院を襲ったとの一方に、後輩の真尋が、自分が受け持つと――いうことは。

 緋色は顔を固くした。


「真尋はどうなったんです……?」

「行方不明だ。動員した対策室の班員は八十七名が重体だ。死者がいないのが奇跡だ」

「……違う。奴は――」

「分かってる。今朝、ビデオレターが届いた」


 何を、伝える、ための? 緋色はカラカラに乾いた喉を無理矢理に鳴らした。


「見せて、もらえ、ますか?」

「やめたほうがいい」

「見せてください」

「ダメだ」

「見せろ!」


 緋色は勢い込んで躰を起こし、痛苦に顔を歪めた。

 上司はゆっくり、ゆっくりと緋色を寝かせ、呟くように言った。


「バイランから、緋色に、伝言がある」

「……俺に?」

「お前は、私だけを追っていればいいのだ。私以上の悪はいないのだから」


 緋色は視界を赤く染め上げ、怒りに任せて絶叫した。


 *

 

 腐臭に塗れた薄暗い部屋に、虫の息のマヒロが座らされている。その隣には、緋色が追い、やっとの思いで捕まえた、やはり死にかけの小悪党がいた。

 バイランはマヒロの頬を叩いて起こした。


「やあ、マヒロくん。まだ正気かね?」


 反応はない。壊れてしまったらしかった。

 バイランは唇を引き結び、小悪党とマヒロを対面させた。カメラの三脚を立て、二人を同時に取り始める。

 

「さて、マヒロくん。緋色くんに次のメッセージを送ろうか」


 ナイフを、力の抜けたマヒロの手に握らせて、切先を小悪党の胸にあてがった。

 マヒロの目に生気が戻り、儚い力で暴れはじめた。逃げようと、やめてくれと、歯を欠いた口からまともな音はでなかった。


「どう、どう、どう」

 

 馬をあやすように言いながら、バイランはマヒロの手を使いナイフを押し込んでいく。


「私は殺しは嫌いなんだ。こんなことはしたくない。でも君のためなら仕方ない」


 バイランはカメラに目線を投げて言った。


「見たまえ緋色くん。君が私を追わないから、マヒロくんが君の追っていた悪党を殺す羽目になってしまった。残念でならないよ」


 バイランは薄く笑った。


「早く、私を追ってくれ。何度も、何度も、へし折ってやるから、その度に立ち上がり、私を追いかけてくれたまえ」


 小悪党の躰が震え、やがて、息が途絶えた。マヒロの手から力が抜けた。そっと元の位置に戻して、頭を撫でてバイランは言った。


「君が私を追いやすくなるように、こうして、マヒロくんが他の悪党は殺してくれるんだそうだよ。いい後輩だね」


 バイランは、カメラを覗き込んだ。


「緋色くん、君は、私だけのヒーローだ」


 嫉妬の滲む声が闇に溶けた。

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