OSHI☆KATSUイヴァンのとある夏休み

Ray

OSHI☆KATSUイヴァンのとある夏休み



「公園に変な男の人がいるんだって。駄目よ、近寄っちゃ」

 ママからはそう言われていた。早朝に近所の公園で体操をしている不審な男がいると、回覧板が回って来たのだそうだ。でも体操なら普通におじいちゃんだって公園や空き地でよくしているじゃないかと僕は不思議に思っていた。


 だからとても気になった。


 夏休みの宿題はほぼ終わっていたお利口さんな僕。残すところはあと自由研究だけ。でもこれが一番の難題だった。僕は新たな発想をすることが苦手なのだ。教科書やテキストブックで習うことは得意だけど、ゼロから何かを考えようとすると、わからな過ぎて頭が痛くなる。


 だから、その人の研究をすることにした。


 体操をしている不審な男。そんな人のことを研究したら先生にもママにも怒られるかな、と思ったけど、一度思い立ったら止まらない。それが僕の性格なんだ。


「いってきまーす!」

「はい、いってらっしゃい」

 自由研究で虫を捕ると言ったらすんなり虫取り網と虫かごを用意してくれたママ。僕は更にノートと鉛筆を持って朝早くに出かけた――その公園に。


 怖いけど、ゾクゾクとワクワクは似ているような気がする。怖いもの見たさって、こんな時にも使うのかな。何かあったらこの虫取り網が役に立つだろうかと対策を練りながら歩いていると、十分もしない内に公園の入り口が見えて来た。


 僕は忍び足でそこへ近づく。心臓がバクンバクンと飛び出しそうだった。ただ中には入らずに、虫を探す振りをして周りの茂みから公園の中を覗く。

 だけど見覚えのある青い滑り台、赤いブランコ、それから砂場だけ。それ以外どこを見回しても人ひとりすら見つけられないでいた。


 もう帰っちゃったのか、これから来るのか、それとも今日は来ないのか。

 仕方ない、じゃあ本当に虫でも探そうかと振り返った時だった。


 そこに、人がいた――。


 驚きで後ずさり、勢い余った僕は茂みの中に半身埋もれてしまう。

 これは、あの人か?

 後ろに太陽があったので、顔が見えにくいから余計に怖くておしっこをチビりそうになってしまった。

 すると「おはよう!」とその人は言った。

 とても大きな声で、萎縮した。

 ミーンミンミンとセミが鳴く中、白いランニングに短パンと僕よりもずっと虫取り少年らしい格好をしたその人は仁王立ちで立っていた。

「お、おはようございます……」

「こんな所で何をしているんだい?」

 警察にさえ言われたことのないような質問をその人は僕に投げかけた。

 とりあえず僕の背丈より二倍くらいの虫取り網は目に入っていないのかなと思いながら「虫を捕っています」と答える。

「そうかい、虫を捕っているのかい」

と言ったその人は「ちょっと待っていろよ!」と近くにあった大木に大胆に足をかけ、登り始めた。

「え、ちょっと……」

 僕は虫よりむしろあなたに興味があります、などとは言えず高く高く登ってゆくお兄さん。

 ガサッガサッと聞こえるのはその人なのか、鳥なのかもはやよくわからない。僕がごくんと唾を吞みながら見守っていると、


 ジジジーッ!


と音がして、ピシャっと冷たい何かが顔に当たった。

 それに手を触れると湿っていた。


 うわっ、これってもしかして……


 虫はそもそも苦手だった僕は完全に意気消沈。ハンカチを取り出し顔を拭き拭きしていると「ほらっ、見てごらんっ!」という爽やかな声が聞こえた。

 瞼を開けて見てみると――いや、鳴いてるからもうわかったんだけど――蝉だった。


 髪の毛にはいっぱい葉っぱとか枝とか付けてるその人はむしろ蝉より貴重なんじゃないかなと思いながら、いそいそと虫かごの蓋を開ける。

「さあ、行くんだ」

と蝉に話しかけながらお兄さんは虫かごにそれを入れた。

「おめえ、何してんだよっ」ってくらいの耳を劈くような鳴き方をするこの蝉を持って帰ってどうしようかなと戸惑いながらも、僕は家へ帰った。


 これが僕とこのお兄さんの、初めての出会いだった。



次の日――

 もう蝉は捕まえて来るんじゃない、と言われた僕はまた朝早くから家を出た。

 あのお兄さんに少し耐性の付いた僕は足取りも軽い。どうやら悪い人ではないらしい。それに絵日記のネタにもなったし、感謝の気持ちも僕にはあった。


 今度は昨日より早く着いたようだ。

 するとお兄さんはそこにいた。こちらからだと背を向けているので顔は見えないが、タンクトップと短パンがその人を物語っていた。でも奇妙な動きをしていた。足を大きく広げ腕をヒーローの変身時みたいに真っ直ぐ上に向けたり、それをシャカシャカ回したりして機敏だった。

 これが原因だったのか、と僕はすぐに気づいた。

 正直言うとちょっと怖い。それがあまりにも速すぎるからだ。音楽も聞こえない朝の公園であの格好であの動きはどこからどう見ても、不審者だった。


 今日は僕から話しかけようと思っていたのにどうしよう。ただ無視をするのも違う気がする。蝉だって貰ったし。そしてあまりにもうるさいので逃がしてしまったし。

 僕は勇気を振り絞り恐る恐る近づいた。

 バッバッバッと手をあっちにやったりこっちにやったりしてそれが刺さりそうなくらいにまで近づくとそしてお兄さんはこちらにブリッジをした。

「やあ、おはよう!」

とお兄さんはその態勢のまま言った。イヤホンを付けたままだったから罵声に近く、怒鳴られているかと思った。

「おはよう、ございます……」

「君は、昨日の少年だね!」

「はい……」

 更には逆さまのお兄さんの顔は真っ赤に充血していた……

「君、名前は何て言うんだい?」

「あ、亘です……」

「あたる君か!」

「いえ、わたるです」

「あたる君だねっ!」

たる、です」

「あたる君、だね?」

「……そうです」

「あたる君、今日も蝉を捕まえているのかい?」

「あ、いえ、虫です。蝉はもう大丈夫なんで……」

「そうかい。じゃあ違うものを捕まえようか!」

「あ、今日はいいんですっ。あの、お兄さんのあれ、踊りみたいなの何ですか?」

「ヲタ芸かい?」

「えっ……? ヲタ……ヲタ、ゲ?」

「ヲタ芸だよ、僕の一推しなんだ。君も、やってみるかい?」

 ヲタゲーもイチオシもイマイチ意味がわからなかったが、直感で危険な匂いがした。

「あ、大丈夫です」

「そうかい? いいぞー、筋肉が鍛えられて」

 筋肉かぁ、僕の一番苦手な科目は体育なんだ。クラスで逆上がりができないでいるラストワンになっていた。

「あの、お兄さん。逆上がりできますか?」

「ああ、勿論さ。大車輪だってできるよっ」

 その時僕は思った。この人は悪い人でもなければ、一般人でもない。最高の人なんだって。


――それからお兄さんによる血の滲むような特訓は始まった。僕の夏の目標は逆上がりができるようになること、それに決定したんだ。


 足を大きく開き、手を真っ直ぐ上げそのまま振り下ろす。それを俊敏に上げ下げする。

 え、鉄棒ではなく何故ヲタ芸をしているのかって?

 そんなもの、筋肉を鍛えられるからに決まっているじゃないか!

 お兄さんはこう言ったんだ、

「筋肉を鍛えれば、逆上がりなんてちょちょいのちょいだぞ」

ってね。



そして二週間後――

「さあ、やってみるんだ」

「はいっ、師匠!」

 ドキドキドキと鼓動が高鳴る。僕は鉄棒の練習をしているのに、鉄棒に触るのは特訓を始めて以来、初だった。


 朝方の鉄は、蒸し暑い夏だというのにヒヤッと冷たい。

「しっかりとマッスルを意識してっ」

「はい!」

 頭でステップを思い浮かべる。――タンタタンッタンッ――これはヲタ曲『恋愛行進曲~クルクル紳士も射止めたい~』の舞。これで助走をつけるのだっ。


 タンタタンッ


(はいっ!)


 グルッと顔が空に向き、足先が鉄棒のラインを越える。だが腕は既にプルプルと震えていた。

 バサッと地に落ちる足……

 僕の目には涙が浮かんだ。

「大丈夫、きっとできるさ。自分を信じて。インナーマッスルに全神経を集中させるんだっ」

「はいっ!」


 そう、僕ならできる。自分を信じるんだ。

 僕ならきっと、できる!


 タンタタンッ


(はいっ!)


「いけーーー!」

という師匠の叫び。

 すると僕の上腕二頭筋は目覚めたようだった。それが腹筋を呼び起こし、大腿筋に伝わる。顔が空へ向き、僕は踏ん張った。頬は真っ赤に熱を上げていた。

「気合いだっ、気合いだーーーっ!!」

(ぐぬぬぬぬっ!!)

 すると棒から遠ざかったつま先は再浮上。宙を舞い、回転した――。


 気がつけば、パンパンパンと大きな拍手が聞こえていた。

 僕はオリンピックの金メダルアスリートのような気持ちになっていた。

「凄いじゃないかっ、あたる君!」

「師匠、ありがとうございますっ!」


 僕は遂にやったのだ。

 体育が大好きな男の子に、なったんだ!


「それでは僕はもう行くよ。今日は仲間とたまぴよのコンサートに行く日なんだ」

「はいっ! あの、師匠。お名前聞いてもいいですか?」

「そうか、言っていなかったね。僕の名前はイヴァンだ」

「イバ、えっ、イバ……イバ、えっ?」

「イヴァンだ」

 まさかの……外人?

「外人の方、ですか?」

「いいや。イヴァンというのはあだ名のようなものなんだ」

 自己紹介でいきなりあだ名を名乗る人は初見だった。

 そう、それが師匠。

 ちょっと変な人。

 みんなから敬遠される人。

 でもイヴァンという名のこの人は、


—―僕だけのヒーローなんだ――

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