あなたこそがヒーロー

とは

第1話 夕方、住宅街にて。

『ヒーロー』

 それはみずからの危険もいとわず、助けようとする存在。


「……ひーちゃん。ここは私に任せて、あなたは家に戻りなさい」


 力強い母の声が、春先の夕暮れの街に吸い込まれていく。


「でっ、でも……」


 いつもとは違う母の様子。

 それもあり私の声は、怯えのために震えている。


『ヒーロー』

 それは自らを守るすべを知らない、弱者に手を差し伸べる存在。


「よく聞いて、ひーちゃん。あなたは焦らずに、この場から去りなさい。急に走ったりスマホを取り出すなんて行動はもってのほかよ。相手に気づかれたら最後、あなたが狙われることになる。それでは私の行動に、むしろ制限がかかることになるの」


 分かっている。

 それは分かっているのだ。

 私だって足手まといになんてなりたくない。

 隣にいた母が前へ一歩、踏み出したのを見守るように、自分も目線を前へと向ける。


 私達の数メートル前には、ニヤニヤとした顔を隠そうともしない男が二人。

 一人は無造作に伸びた金髪をオールバックにした、体格のいい20代前半くらいの男。

 そしてもう一人は栗色の髪のマッシュ風ショートの男。

 共にスマホを手に握り、周りを必要以上に見渡している。

 その姿はまるで獲物を探す二匹の獣。

 どちらも共通して言えることは『私が苦手なタイプ』ということ。

 

「……今よ。しばらくは後ろを振り返らずに、走らずにそのまま歩いて行くのよ。大丈夫よ。お母さんはあなたを守るヒーローなんだから」


 私の方を見ることもなく、母は男たちに向かって歩いて行く。

 その様子に気付いた男二人は、母を見てにんまりと笑ったように私には映る。


 目の前の二人が母に意識を向けたのをきっかけに、私はくるりと背を向け足早にならないように意識しながら、元来た道を歩いて行く。


 ――良かったのだろうか?

 本当にこれで、良かったのだろうか?


 緩やかな曲がり角を通り過ぎて、彼らから見えない場所にたどり着いた私は、小さく息をつく。

 私の中で意味のない問答が始まる。


 仕方ないじゃない! あそこに私がいたって出来ることはない。

 だからこそ母は、私を逃がしてくれたのだから。


 ――じゃあ、母は?

 母だけに任せて、自分が良ければそれでいいの?


 私の足がピタリと止まる。


「そんなの……、そんなのいいわけがないっ!」


 あんなこわがりで、どうしようもなく不器用で。

 いつも失敗ばかりしては、私に泣きついてばかりの人。

 それなのにこんな時は、自分のことよりも私のことばかり考えて。

 振り返った私は駆け出す。


 ……逃げない!

 そう、私だって!

 

「私だってお母さんのヒーローにっ……!」


 飛び込むように進んだ曲がり角の先。

 その光景は私の予想を遥かに超えるものだった。


「あっ! ひーちゃん、ちょうど良かった! 手伝ってよ!」


 金髪男性二人にギュッと挟まれた母は、満面の笑みで私を見つめてくる。

 そんな彼ら三人は精一杯、腕を伸ばしスマホのシャッターを押そうとしている。


「クラム! チャダ! この子は私の娘なの〜! ひーちゃんよ、よろしくね! というわけでひーちゃん、写真撮って〜!」



◇◇◇◇◇



「いや、これ美味しいわ〜」


 実に流暢な日本語で、クラムさんはそう話すとつくねを豪快にほおばる。

 さらりと揺れる栗色の髪を耳にかきあげ、こちらへと微笑むその姿。

 彫りの深い整った目鼻立ちは、女子中学生にはなかなかに刺激的である。

 ここは、家の近所にある『各詠かくよむ』という焼き鳥屋だ。


「そうでしょ、ここのつくねは軟骨が入っているから、食感もワンダフルなのよ!」

「うん、これはとてもいい歯ごたえですよ!」


 母の言葉にクラムさんの隣に座るチャダさんは、青い瞳をキラキラと輝かせ感無量かんむりょうといった様子で言葉を返す。

 この人も同様に綺麗な日本語を使いこなしている。


「なんかね、隠し味にマヨネーズをインしているんですって! だから柔らかくて噛みしめると、じゅわ~ってなるって店長さんが言ってたわ!」


 はふはふと、こうばしい匂いをさせているネギマをほおばり、母が解説をしている。

 彼ら二人はアメリカ人と日本人のハーフだそうだ。

 それも意識してか、ちょくちょく無意味なところで母は英単語を挟んでくる。


 こんなことなら、最初から普通に接しておけばよかった。

 楽しく会話をしている三人を見つめ、私はため息をつく。


 そう。

 私は英語が苦手であり、外国の人に話しかけられるのに大変な抵抗がある。 

 彼らを見て、動きが止まった私に気づいた母は、だからこそあの行動を取ったというわけだ。


 それにしても。


「いや〜、こうやって綺麗な人と一緒に食べるご飯は美味しいですねぇ」

「もー、クラムったら! そんなティーレントしてもだめよぉ」

「? ティーレント貸す……、あぁ! 茶化ちゃかすですかぁ! そう来るのかぁ!」


 母の言葉に、彼ら二人はけらけらと大笑いをしている。


 ……そう、そうなのだ。

 言うまでもなく、母は私に輪をかけて英語が苦手だ。

 彼女から繰り出されるトンデモ英語を、二人は先程から随分と楽しんでいる様子だ。

 そんな彼らの日本語の読解力に驚きながら、私は小皿で付いてきていた卵黄をつくねに絡めて、パクリと口にする。


 うん、やっぱここのつくねは最高だ。

 思わず一人でニンマリと笑みをこぼし、カウンターの向こうで黙々と仕事をしている店長を眺める。

 ちなみに店長は母に言わせると『ショップボス』と呼ぶらしい、……無茶むちゃ苦茶くちゃだ。

 

 視線をワイワイ騒いでいる三人へと移していく。

 初対面にも関わらず、こうしてすっかり打ち解けているのはすごいと思う。


 母はいつもそうだ。

 へらりと笑って、あっという間に人の心の中に入っていく。

 そうして皆の心をつなぎ、共に笑いあっているのだ。

 ショップボ、……間違えた。

 いつも表情一つ変えず淡々と焼き仕事をしている店長。

 彼もたまにだけれど、母を見るときの目尻が下がっているのを私は知っているのだ。

 こんな事が出来る彼女は、確かにヒーローかもしれない。


「きゃー」という声に再び視線を戻せば。

 肩の部分にタレがついてしまい、しょんぼりしている母と、おしぼりを持ちながらオロオロしているクラムさんたち。


「ひーちゃん、お気に入りの服が汚れちゃったぁ。ううぅ~」


 がばりと抱き着いてくる母を抱きかかえながら、いつも通りに来るのはため息と疲れ。

 この人は私にとっては、ヒーローだけではなく疲れを呼ぶ『疲労ヒーロー』なのかもしれない。

 でも、それでもこの時間を、この瞬間を。

 ――私は嫌いになれないのだ。

  

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