裏切り者の英雄
木元宗
第1話
裏切り者が兵を斬り捨てる。
それに怒号を上げた辺りの兵らが、止まない雨でぬかるんだ土を蹴散らし、裏切り者へ猛進する。
小山のような身を、古めかしくも豪奢な甲冑に包んだ裏切り者へ、矢が放たれ槍が走った。
その一切を浴びた裏切り者は、得物と甲冑が打ち合う火花に包まれながら、眼下の兵らを忌まれし剣で薙ぎ払う。
唸りを上げるその一振りは、羽虫のように兵らを散らし、泥へ打ち落とした。
それに裏切り者は目もくれず、ただどっしりと、剣を構え直す。
決してその一点から動かない。
来る者はその一切を撃砕し、ただ跡形も無く命を
裏切り者の背に建つのは、寂れた教会。隣国との戦争が長引く今となっては、神に祈る者など失せ、
そんながらんどうと成り果てたものの辺りを、どこからともなく現れたこの裏切り者が、徘徊するようになった。がらんどうに近い町や村から、時折人を攫いながら。裏切り者に連れて行かれた者の行方は、誰も知らない。
きっとこの裏切り者とは、廃墟同然となったこの教会に人々を連れ込んで、戦争に紛れて殺しを楽しんでいるのだ。今町や村に残っているのは、子供や老人ぐらいなのだから。
目を疑うような力を持ち、身分ある騎士のような姿もしておきながら、決して戦地には近付かない裏切り者め。
裏切り者に最初に気付いた兵がそう蔑んだ事から、誰も正体を知らないその存在を、裏切り者と呼ぶ事にした。
口を利かず、言葉をかけても身振りですら応じず、教会に近付こうとすれば容赦無く斬り殺すその凄まじさから、
教会の辺りに広がっていた畑は、幾度も繰り返された裏切り者討伐の戦いで、石のように踏み固められた。雨でぬかるみ足を絡め取られようとも、国王は兵を送る事を決して止めない。戦争への勝利の執着も凄まじく、正気を失ったかのようにあらゆるものを投げ打ち続ける。それでも戦争は拮抗状態が続いており、この裏切り者に至っては、傷一つ付けられていない。
ただ民が疲弊し、飢え、巻き込まれ、命を落としていく。最早誰も神を信じなくなった今、教会を根城に殺しを楽しんでいるのなら、戦場に出て好きなだけ敵兵を殺せばいい。それだけの力があればきっと、戦争を終わらせる事が出来るのだから。それをしないお前とは矢張り、裏切り者だ。
「きっと彼の事を、誰しもそう
教会の地下室で縮こまる私は、最後の
もう闇でよく見えなくなってしまったけれど、辺りでは老人や子供が、私と同じように息を殺して小さくなっている。
裏切り者と蔑まれる彼が、辺りの町や村から連れて来た人達だ。食べ物も、逃げる場所も無い人達を助けようと、食糧庫である教会の地下室に匿ったのだ。飢えを覚えて久しい国の兵からの略奪や、暴力から守る為に。
国は認めないけれど、兵もお腹を空かせて民を襲っている。もうこの状況から抜け出すには、戦争に勝つしか無いと思い込んでいる。
人生を振り返るように、思い出が頭に浮かんだ。
病気の所為か、生まれつき喋れなくて気味悪がられ、この教会に流れ着いた傭兵がいた。戦争が始まる前は教会の周りに作った畑を耕す、住み込みの農夫だった。大柄な所為で少し怖かったけれど、貧しい人に作った野菜を配るその姿は、誰よりも優しかった。
だから、国を渡り歩いた傭兵だと渡した紙とペンで名乗りながら、傷みが目立つも豪奢な甲冑に身を包んで現れた彼の事を、一度も追及しなかった。
戦争が長引き、飢えや、兵による略奪が増して来た頃、彼は私を畑へ連れ出すと土に指で、「あたりのひとたちをきょうかいにつれてきてたすけよう。まだたべものもある」と書いた。
人々に忘れ去られ、
「おれがあんたたちをまもる」
彼は私が話している内に、
「すべてをまもることはできないし、まもるためには、ほかのだれかをころすことにもなるけれど。でも、なにもしなかったらみんなしぬ。おれはそれはいやだ。あんたはやさしいから、こんなことはゆるさないだろうし、おれもあんたにこんなことはしてほしくない。だからぜんぶ、しらないふりをしてくれ。おれがぜんぶやるし、おれがかってにしたことにする。よのなかがおれをどういったって、あんたはなにもおこらないでくれ。みんなをささえてくれ」
彼は立ち上がると、書いたばかりの文字を足で消して部屋に戻り、やって来た日以来、置き物になっていた甲冑を着込んだ。
その時から彼は、私が何を言っても応えなくなった。
そうする事が、恩返しとでも言うように。
地上からは、剣が打ち合う音と叫びが漏れ、まだ戦いが続いていると告げている。
地下室で怯える人々は、今日も彼が勝つと信じる事だけを頼りに、固く目を閉じて身を寄せ合う。
それを見るだけで私は胸が痛くて、自分の非力さに押し潰されそうになる。
「……あなたが本当に、どこかの裏切り者でも構わない。私はあなたを蔑んだり、間違ってると否定したりなんか決してしない」
祈るように、両手を組んだ。
所詮私とは、信じるだけで決断出来なかった、シスターなのだから。
一際大きい、言葉を知らないような雄叫びが、お腹まで鳴り渡る中目を伏せる。
「お願い。だからどうか、全てを斬り伏せて」
私だけの
裏切り者の英雄 木元宗 @go-rudennbatto
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