マイ・パーフェクト・プリンス

ささやか

マイ・パーフェクト・プリンス

「人間ってほんとクズい」

「わかる。豊かな悪意と程よい愚劣さが調和した屑さだよな」

「なんかのワインと間違えてませんか?」

 うんうんと同意する茨木先輩を私はジト目で見つめる。それなりに美丈夫なのに興味がないことには適当極まりない性格が彼を結婚から遠ざけているのは間違いない。きっと学生時代はそざかしもてて、なおかつすぐ別れを切り出されていたのだろう。

「間違えていない。愚かで矮小なホモサピエンスの話だろう?」

「どこ目線ですか?」

「第三者目線」

「ホモサピエンスに該当する茨木先輩が第三者目線に足りうることは終生ないと思われますが」

「見解の相違ってやつだな。俺は出来る」

 茨木先輩が自信満々にのたまうので、私はすっかり馬鹿らしくなって「はいそうですね出来ますねすごいですねさすが茨木先輩まじ天才ひゃはあ」と言っておいた。馬鹿らしくなった分だけ毒気が抜かれる。

 ありとあらゆる分野の科学技術を研究している日本、いや世界のトップランナーとも言うべき最塔超科学研究所に私達は所属しており、私は人工知能を研究対象としている。最塔超科学研究所では億万長者が何人も出資しているおかげもあり、研究については驚くべきほど自由にやらせてくれる。

 私は「人間と同じような感情を持つ人工知能」という実に古典的なテーマで研究を進めているのだが、そのためにはまず人間がどのようなものかを知らなくてはならない。そのため脳科学を専門分野とする茨木先輩と共同研究しているのだが、人間を知れば知るほど嫌になっていく。

「ああああ、もうなまの人間が嫌だ! 戦争とか軍事利用でとかそういう話も出てるし、マジでされたらクソ過ぎて死ねる!」

 私が机に突っ伏して頭を抱えると、茨木先輩がそっと私の頭の上に何かを置く。手に取ってみるとそれは栗最中だった。食べる。悔しいが美味い。茨木先輩のお菓子チョイスは信頼できてしまう。

「うーん、そういう現世うつしよにお疲れの婦女子が楽しむ乙女ゲームなるものがあるらしいから、南条さんもやってみれば?」

「何その斜め下に潜った発想」

「あ、妹が乙女ゲーム好きだから初心者向けのやつ訊いてみてあげようか?」

「妹さん、そんなに人生にお疲れなんですか何あったんすかマジ」

「たんまり残業して働いてた会社が倒産して給料三か月未払いに婚約者が浮気して破局を追加」

「地獄かな?」

 納得の理由だった。

 そんなこんなで何故か茨木先輩の妹からおすすめの乙女ゲームを教わりプレイすることになった。最初はなんでこんなことしてるんだろうと思っていたが、結果見事にドはまりした。私の求める人間は三次元の生っぽいホモサピエンスではなく、人間フレーバーのある二次元的存在だったのだ。

 私は人間を再現する人工知能の開発を辞め、プレイヤーごとにカスタマイズされた理想の美丈夫を再現する人工知能の開発を始めた。人間をまるごと再現するのは困難だが、女性にとって好ましいコミュニケーションを取る程度なら可能だ。やりこむことでよりプレイヤー好みにコミュニケーションを進化させることには茨木先輩の研究が役立った。ちなみにサンプリングとして茨木先輩を再現する人工知能も開発してみたが、こいつ駄目だなって感じだったので見事にお蔵入りとなった。うける。

 人工知能に目途が立ったら後は最高の3Dとげろ甘いストーリーを用意すれば、皆にとっての「私だけの理想の王子様マイ・パーフェクト・プリンス」の完成だ。

 この最塔超科学研究所の最先端技術を駆使した理想の王子様は、世界中で爆発的大ヒットを遂げた。上司からは「偶にはこういうあからさまにくだらなくて小金を稼ぐ感じの研究成果もいいよね。平和だし」とのお言葉を賜った。なお、男性用を開発すると上司にもお楽しみ頂けた。

 私と茨木先輩は祝杯をあげた。高級なフレンチレストランでたらふく赤ワインを飲んだ後、二次会はお洒落なバーでバーテンダーに死ぬほどしゃかしゃかさせてカクテルをあおった。終電はとっくの昔にさよならしており、しこたま酔っ払った私達には寝床が必要だと全会一致で可決され、適当なラブホテルに入ってそのまま爆睡した。

 お昼前にようやくお目覚めした際には、見つめ合った後、二人で何やってるんだと爆笑してしまった。笑い過ぎて出た涙をぬぐいながら尋ねる。

「次、何やります?」

「シミュレーションでも作ったら? HOW TO 世界平和」

「それ攻略法あるんですか」

「ない」

「とんでクソ仕様っすね」

 私がまた笑うと、茨木先輩はどこからか抹茶最中を取り出し、私の頭の上に置いた。ころりと落ちる。それをキャッチしようと慌てて手をのばすも虚しく、抹茶最中は床に落下してしまった。

「駄目じゃん」

「どう考えてもあんたのせいでしょうが」

 抹茶最中を拾おうとベットの上にいたまま怠惰に手をのばす私を見て、茨木先輩はおかしそうに笑った。

 ――もしも私の人生で最も美しいシーンを三つ選ぶとしたら、少なくともあの日のラブホテルのワンシーンは間違いなく選出されるだろう。

 それからのことはあまり思い出したくない。

 戦争という人類の愚劣さの極致が現実で再発生し、あれよあれよという間に私達もその狂乱に巻き込まれた。戦火というとびっきりの最悪が最先端技術へひた走る最塔超科学研究所を攻撃目標にすることはやる側から見れば理屈の立つ判断であった。

 ある日何の前触れもなく研究所が爆撃され、私は今血まみれの白衣のまま地下シェルターにいる。ごく少人数での利用を予定している地下シェルターは幸か不幸か私しかいなかった。いや、不幸なことに違いなかった。

 茨木先輩はいない。白衣にべったりとついた血があの人だ。私は膝を抱え、爆撃が終わるのを待った。

 しばらくしてから外に出ようとするがドアが開かない。非常電源は生きているので、どうやらドア自体の駆動系に問題が生じたか、外に障害物があるようだった。私は非常食のカンパンをミネラルウォーターで胃にぶち込んでから、地下シェルターにあるコンピューターを起動させてみる。インターネットこそ死んでいたものの、権限内の内部データにはアクセスすることができた。

 私は自分の研究データから、お蔵入りになった茨木先輩を再現した人工知能を動かす。

『あー、パンダ食べてみたいなあ。味噌味で食べてみたいなあ』

最中もなかってなんで最中さいちゅうって書くか知ってるか? あれは拾遺和歌集の「水の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋の最中なりける」という短歌に由来してるんだぜ』

『大丈夫、大丈夫じゃなくてもそんなもんさ』

 いかにも茨木先輩が言いそうな台詞だ。私が「理想の王子様」に語りかけると、彼はどんどん私に優しい茨木先輩っぽくなってくる。

 でも。その逆説の先に、涙がこらえきれなくなる。私はひとり馬鹿みたいにわんわんと号泣した。

 本当の私だけの王子様は、もういない。

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