出会いエスカレーション

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

彼女はまだ……

 姉貴の車から飛び出してコンビニの自動ドアをくぐる。あたりを見回して、奥の方にトイレを見つける。小走りで書棚を、保冷ケースを通り過ぎ、トイレのドアを開けると一畳ほどの空間の左に男子、右側に男女のマークがあった。

 男子トイレのドアを開けようとするが、開かない。使用中の赤い印も出てないが、ガチャガチャやって諦め、振り向く。共用トイレは取手の銀色部分に、使用してないことを示す青い印——

 ガチャっと、ことのほか大きい音が鳴ってドアを押し開くと、中の女性と目があった。ドアは彼女の脚だかにぶつかり、それ以上進まない。

「ごめんなさいっ!」

「いいから早く閉めて……」

 閉めると、背後で開く音がしてドアが背中にぶち当たった。

「痛ェ!」

「お、すまねえな、あんちゃん。……ちょっとそこどいて。ドア開かねえから」

 奥へ進むと、中年の男はこちらをちらっと見てから肩をすくめ、そして狭い空間を出ていった。

 あ、手を洗いたかったのか、と寄りかかったのが洗面台であることに気づき、それから尿意を思い出して俺は男子トイレに飛び込んだ。

 解放感——

 なぜ男子トイレは外開きで共用トイレは内開きなんだろう?

 そんなことを考えながら用を足し、ドアを開けると洗面台に女性の後ろ姿があった。

 ……気、気まずい。

 そーっと逃げようとしたら、声をかけられた。

「手ぐらい洗いなよ、ばっちぃ……」

 ショートヘアの、エンジ色のニットにタイトスカート。年上だろうか、姉貴ぐらいか?

 敢えて冷静に振る舞ってるのか、それとも細かいことを気にしない性質なのか、彼女は軽く眼を伏せた感じで堂々と俺の前を通り過ぎた。

 勿論、狭い空間だから、俺は壁にひっつくようにして彼女を見送った。

 手を洗ってトイレから出ると、彼女はレジ前にいた。


 これが彼女との第一回接近遭遇だった。



 彼女と二度目の出会いを果たしたのは、そのわずか三日後のことだった。バイト先の書店に彼女がやってきたのだ。

 最初は他人の空似かと思った。チノパンにざっくりしたセーターを着たラフな格好で、けれど前髪にかかる気の強そうな太い眉毛はおそらく彼女で間違いなかった。

 どうしようかなあ、そもそも気づかないかなあ、と悩んでるうちに雑誌を抱えてレジの方へ向かってきたので、思わず逃げた。

「リーダー、急に腹が……」

「ちょっと北斗君……」

 呼び止める声を無視してバックヤードへ駆け込む。

 駅近のそこそこ大きな書店だし、彼女と出くわす可能性は十分あった。けれど普段は立ち寄らないコンビニで出会っただけだし、自分だって彼女のことなんて忘れていた。

 五分ほどうろうろしてから店内へ戻った。

 と、リーダーが明らかにホッとした顔で「すまん、レジ代わって!」

「え」

「腹が痛いの! オヤツのアレがよくなかったのかなあ……」

 冷や汗を浮かべながら小走りするリーダーを呆れて見送ってレジへ——

「あ」

 彼女だった。

 カゴの中には、いわゆる薄い本が十冊ほどファッション誌に挟まれていた。

「あ」

 彼女が少し頬を赤らめた。

 こちらに気づいたのか、肌色多めのBL本ばっかりのカゴを見られたからなのか、まったくわからない。

 が、彼女は咳払いしてから澄ました顔で「お会計、まだですか?」と言った。

 俺の顔を見返したりはしなかった。



 二度あることは三度ある。

 とはいうけれど、それは三度で終わることを意味しない。

 が。ともあれ三度目の出会いは夏休み、姉に荷物持ちとして同行させられた海外資本の大型スーパーでだった。

 大型犬でも運べそうなカートの中に猫や小犬ぐらいの商品をどんどん放りこんでいく姉貴に、犬と猫でラグビーの試合ができそうだね、とボヤいたら、おまえ頭おかしいんじゃねーの、と返ってきた。

「あら、マミヤちゃん!」

 姉を呼ぶ声がする。

「やーん久しぶりィ!」

 抱きつこうとするワンピース姿の女性を宥めるようにどうどうと塩対応する姉に、そのクーデレっぽいとこ好きー、と彼女は続けたが、「クー」はいいとして「デレ」とか見たことないんですけど?

「落ち着いて、ナーミナ先輩」

「えへ、だって五十三日ぶりじゃーん!」

「先々週も会合で会ってるし、どこからでてきたんですかその数字」

「東海道五十三日、なんつって」

 ここに来るのに1号線なんか使いませんよ、と呆れた口調の姉の肩越しにナーミナ先輩とやらを見ながら、俺はため息をついた。

 彼女だった。

 姉貴と知り合いかよッ! というのもさることながら、なんだこの格好。なんだこの口調。多重人格か何かなのか?

 視線に気づいたのか、カートにもたれかかる俺を見たナーミナ先輩は、

「あら年下?」と姉をつついた。

「そりゃ弟が年上だったら大変ですわ」

「あら、弟さん? ……君ぃ、高校生?」

「来年受験ですよ」と姉。「だってのに暇持て余して家でぐうたらしてるから連れ出したんですよ」

 じーっと彼女を見続ける俺に不審を覚えたのか、ナーミナ先輩は眉をひそめた。

 もう二回目の邂逅から五ヶ月が経っている。さすがにもう気づかないだろうと俺は高をくくっていた。

「おーい、アサ! こっち来て!」

 離れたところから男の声がして、彼女は手を振って応えると「じゃね、マミヤちゃんと弟くん」

 なんだよ男いんのかよ、と思った瞬間、声が出ていた。

「BL!」

 バカっ何大声で! と姉に頭を叩かれたが、ナーミナ先輩の肩がほんの少しわなないたように見えた。

 帰りの車中、思い出したような体で姉に訊いた。

「ナーミナ先輩? あの人、学校の人?」

「……南先輩ね。そうよ、あんたウチ来たらあの人の後輩だから。まあ、でも来年卒業だから入れ替わりね。タイプ?」

「いや、そういうんじゃないけど」

「面白い人だけどね。でもさ」

 姉の声が曇った。

「夏でもいつも長袖着てるし、何度か青アザ作ってるの見たことある。眼帯してるときもあったわ」

 それ以上何も言わず運転する姉に、俺は黙って車窓を眺めた。


       *


 ところでその夏、もうひとつ出会いがあったことは言わねばならないだろう。

 夏休みも終盤、課題を片付けるのに疲れて夜の散歩と洒落込んだ。

 悲鳴のようなものが聞こえて、俺はぴたっと立ち止まった。気のせいかもしれない。風が強い。あのビルとビルの間を風が吹き抜けたらいまみたいな——

 気のせいじゃなかった。

 気のせいではなかったが、もしかすると猫の声かもしれない。恐る恐るビルの影から細い路地をのぞいた。

 チンピラみたいな格好のふたりが何かを足蹴にしていた。通り過ぎるヘッドライトが路地を瞬間明るくするが、何が蹴られてるのかまではわからない。

 気づかれないようにそっと近づき、過ぎゆく灯火でようやく判別できたそれは、

「え、カツラ……?」

 思わず出てしまった声にひとりが反応する。「え、これカツラか……?」

「カツラはしゃべらな……ああ、カツラかこれ」

 何がおかしいのかケタケタとふたりが笑い始めたので、

「おにーさん、おにーさん」と声をかけた。「ここらへん、警察巡回してるんでカツラなんかほっといて家に帰ったほうがいいですよ。最近、痴漢騒ぎがこの辺で」

 いま初めて俺の存在に気づいたといった感じで、んあ、そうか? そうだな、とひとりが言って、もうひとりが、おおそうだなあんちゃんありがとな、と続けると肩を組んで唄いながら去っていった。

 それはカツラではなく、猫(?)だった。いや、本当に猫なのかコレ?

 丸まってる姿はまさにカツラそのものだったが、少し待っていると身を起こしてぶるっと体を震わせた。

 やたら毛足の長い黒猫だった。

「僕の名前はヤギュウ。ありがとう、見知らぬ人」

「え、しゃべるの⁉︎」

「でも君が助けたのは僕じゃない。世界の平和だ。なぜなら——ちょ、お兄さん⁉︎」

 何も見なかったことにして、僕は屈めていた腰を伸ばし、カツラみたいな黒猫みたいな奴から離れた。まだ何か言ってるので走った。ついてこられるのもやっかいなので遠回りをして丘を登って降りてスーパーに入って反対口から出てヤギュウ(なんだよ猫なんだか犬なんだかわからない見た目でヤギュウって)がいないことを確認してから帰宅した。


       *


 そのあとも俺は何度も彼女と出会った。最短だと2〜3日の時もあったが、大体三ヶ月から半年ぐらいの間隔で。

 クリスマス間近のショッピングモールで(これはお台場だったから驚いた。この時、初めて彼女に「北斗君」と呼ばれた)、卒業式の日に居酒屋で、大学のサークルで(UMA知覚党という名の変人ばかりのサークルだった)遊びにきたOGとして、以前バイトしてた書店で、コンビニで、そして——


 俺を助けてくれた、魔法少女として。


 何度も顔を合わせて、会話も多少はして、それでもほとんど変わらなかったふたりの関係は、それでもやはり変わらないままだった。

 ただ、そのときは流石に少しは会話も続いた。

 この歳で魔法少女ってねえ、とかお姉ちゃん元気とか、あそこにいる黒猫ずっとこっち見てるねとか、散発的な会話が続いたあと、

「ほんとは北斗君のこと、最初から全部覚えてるよ」と唐突に言った。

「え、最初って……?」

「今日は単なる暴力男だったからなんてことないけど、魔物とか悪鬼とかそういうのと戦うと体も心もずたぼろなことも多くてさ。ご褒美にコンビニスイーツを買ったりBL本を大人買いしたり」

「それって最初からってこと?」

「あなた、ラッキーだったのよ、元気なときなら多分『痴漢〜っ!』て叫んでた」

 ふたりで大笑いした。


 どこからどこまでが出会いと呼べるのか。なかなか難しい問題だ。だが、別れに関してはそうではない。別れを宣言したとき、もしくは死別したとき、——あるいは数ヶ月だったり何年もしてから(ああ、あれが別れだったんだ)と気づくこともないわけではないれども。

 最後に彼女と話をしてから軽く十年が経ち、その間に会社に勤め、恋愛をし、結婚をして子供ができたというのに、それでもまだ俺は、どこかで彼女と出会うんじゃないかという気がしてならない。


 彼女はまだ、魔法少女をやっているのだろうか。

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