次もきっと傑作の予感

佐古間

次もきっと傑作の予感

「ま……待って、待って待って、そんな、私を置いてかないで!?」

 目の前のディスプレイは不穏な音を立てながらぱちぱちと明滅していた。

 マウスもキーボードもノータッチなのに、画面は明滅を繰り返している。むしろ何の操作もできない。悲鳴を上げる私が見守る中、どこからかぶつん、と不穏な音がして、やがてブラックアウトした。完全なる闇。ディスプレイに移り込んだ私の顔面が蒼白である。

「うそ、うそうそ、やめてって!!」

 ディスプレイをがっしり掴んで振ってみるが、どうにも何も起きなさそう。パソコン本体から機動音は聞こえず、ファンの音すら消え失せている。完全に動作が停止した模様。

 本当は、頭の中では、これはまさか、と気が付いていた。ただ現実を直視するのが恐ろしすぎて、そろそろと電源ボタンを押しなおす。最後の望みをかけての行動だったが、押し込んだ電源ボタンは何の手ごたえも得られない。

「うそ……つかない……」

 つい一時間前には軽快に鳴っていた、起動音が聞こえない。ディスプレイも真っ黒なまま。これは、やはり、もしかしなくても、

「えっ、長押しもダメ? なにも……そんな……うそでしょ?」

 何度も何度も「うそだ」と繰り返す。繰り返しつつも徐々に認識せざるをえないと理解していた。

 もしかしなくても。これは、パソコンが、壊れている。

(い、いやああ!!!)

 起動していないのをいいことに、重たい本体をひっくり返してコードを抜き差しして、思いつく限りのことをしてみたけれど、電源ボタンはやはりただの飾りと化していた。ぽちっと感触が良いだけのただのボタン。こいつにもはや何の意味も無い。

 パソコンは死んだ。なんの反応も示さないので、修理で見てもらえるかすらわからない。私は知らず、自分の頬に何かが伝うのを止められなかった。



 と、いうのも。

 この一時間、作成していたデータについて、全く保存をしていなかったことを自覚していたからだ。データそのものはクラウドにある、ので、新しいパソコンを急ぎ買ってきたとして、滞りなく作業は継続できるだろう。だがしかし。この一時間に書いたファイル、それはまるきり消失してしまった。

(こんなことって……こんなことってある!?)

 とにかく気持ちを落ち着かせないと次の行動にも移せそうにない。フラフラのまま財布とスマホと鍵だけ持って駅前のカフェに逃げてきたが、落ち着こうとすればするほど、気持ちはソワソワと忙しなくなるようだった。

(めちゃくちゃ……めちゃくちゃ面白そうな話が出来そうだったのに!!)

 大体にしていつもそうだ。

 趣味で書いているとはいえ、なんとなく“傑作の片鱗”を感じるものほど、どうしたって手元に残らない。

 寝入りに思いついたネタは起きたら忘れてしまっているし。

 出先で急に思いついて、とりあえずメモ、とチラシの裏に書き留めたらうっかり捨ててしまうし。

 今もそうだ。今度こそは形に残すぞと意気込んでいたのに。保存していなかったデータは復旧できないだろう。

(恨めしい……パソコンさえ壊れなければ……)

 ぶつぶつと怨嗟を吐きながらカフェラテを喉に流す。砂糖を足して甘めにしたカフェラテが、少しばかり急いた気持ちを宥めてくれた。

(……まあ、趣味だし。どこかに出すもんでもないし。締切だってあるわけじゃないし)

 本当に、ただの趣味だ。毒にも薬にもならない。

 データが消えても、実際困る人は私だけだ。その私だって、別に本心から困っているわけではない。あの話が書けなくなったところで仕事がなくなるわけではないし、生きていけないわけでもない。

 データが消えても問題のない理由、をつらつら上げていくのは、自分で自分の心臓にちくちくと針を刺すような心地がした。

「すみません、隣空いてますか?」

「え? あ、どうぞ」

 急に何もかもが萎えてしまって、ぼんやりと窓の向こうを眺める。

 学生らしき人がコーヒーを乗せたトレイを持って隣の椅子を引いたので、私は少しばかり横にずれた。

 私が横にずれたことに気が付いて、学生(ということにする)は「ありがとうございます」と軽く会釈をした。

 それで、何気なく彼の事を観察した。といっても、凝視したわけではない。不自然ではない程度にちらりと見たくらいで、あとは窓に映る姿を眺めていた。

 コーヒーの横に置いた鞄の中から出てきたのは、薄いノートパソコンだった。

 このカフェはカウンター席電源無料だ。よく駅前の学生やサラリーマンが電源を利用しているのを見かけた。駅前のカフェなので、使い勝手がいいのだろう。

 学生はノートパソコンに電源ケーブルを差すと、そのまま、何か作業をし始めた。

(いやいや、そこまでは見ちゃダメでしょ)

 何の作業をしているのか、まで、覗くのはマナーとして頂けない。その辺りで私は視線を外に戻して、忙しなく行き交う人の流れを観察することにした。

(あー、あの人、デパートの会員特典のエコバック持ってる……あっちの人の紙袋、バームクーヘン美味しいところの店じゃない?)

 ぼんやりと人の観察をするのは幾らか慰めにもなった。元より人間観察は好きなので、落ち込んでいようが、いなかろうが、無意識にしてしまうことでもある。

(今のお姉さんのブーツとスカートの組合せ、すごい素敵だったな……)

 カタ、と。

 隣からキーボード音が聞こえはじめる。カタカタ、静かな音だが。

 耳に入り込んだ音に、私は思わず横を向いた。学生がまっすぐとノートパソコンに向かって、何かを打ち込んでいる。

(……レポートだろうか)

 思ったが、何か参考図書を持っていそうな雰囲気はない。

 決して煩い音ではないのに、なぜか、目が離せなくなってしまった。

(あー、やっぱ、あの話、書きたかったなあ)

 本当は理解している。消えてしまったのなら、また書き直せばよいのだと。

 ただ、一字一句、同じ言葉で同じ物語を書き直すことは出来ない。あの一時間で書いた話はあの時しか生まれないもので、たった数時間の差だとしても、今の私が書いたら全く違う表現になる。

 それが良い事なのか、どうか。

(趣味、だからなあ)

 私にはわからない。

 夢と共に忘れてしまったあのネタも。間違えて捨ててしまったチラシの裏も。少しばかり形を変えて残してはいる。書き切ってはいた。ただ、それが本当に書きたかったものなのか、確証がない。

「……あの?」

 戸惑った様子の学生が顔を上げて私を見据えていた。視線が合って初めて、彼を見つめていたことに気が付く。

「あっ! ご、ごめんなさい、あんまり熱心に書いてたから、つい」

「いえ……煩かったですか?」

「全然! 最近のはタッチ音静かですよね、私、ついさっき家のパソコン壊れちゃって……新しいパソコン用意しなきゃなあ、と思ってたら、つい見てしまいました。すみません」

 学生の戸惑うような視線が居たたまれなくて、早口でいらぬ話をしてしまう。

 ただ学生は、私の話を聞くと「ああ、そうなんですね」とこちらに向き直った。手を止めて、対話をしてくれるらしい。

「良ければメーカーと機種、教えましょうか? お姉さんが何やるのにパソコン使ってるのか知らないですけど」

「あっ、えっと、その、も、文字書くくらいかな……?」

「じゃ、大丈夫っすね」

 頷くと、学生は鞄の中から手帳を取り出して、後ろの方のページをびりっと破り取った。パソコンのメーカーと機種を書いて、「どうぞ」と渡してくれる。

 まさかそこまでしてくれるとは思わず、戸惑いながら「ありがとう」と礼を言って受け取った。

「あの……何を書いてるんですか?」

 それで、言葉が落ちたのは無意識だった。

 学生が「え?」と私を見上げる。急に不躾な質問をしたのに、怒るでもなく、不審がるでもなく。

 戸惑ったのは私の方で、弁明するように「いや、あの、あんまり一生懸命だったから」と続けた。ほんの少し、期待もあった。

(もしかしたら、同じように、趣味で書いてる人かな、なんて)

 学生は少し考えた後、「これは、学校の課題ですけど」と前置く。

「脚本、書いてます。お姉さん、もしかして同業の人ですか?」

(――脚本、)

 ぱっと気持ちが浮かんで、すぐに沈む。慌てて首を振った。

「いえいえ、私は全然。ただの会社員。その……趣味で、少しだけ、物語を書いてるので。気になってしまって」

「? どこかに出してるんですか?」

「いや、公開はしないで……自分で読んでる……」

 学校の課題、ということは、プロを目指して勉強しているのだろうか。急に自分が恥ずかしくなって視線を落とした。学生が「ふうん」と気のない相槌をする。もっとも、私と彼は初対面で、たまたま席が隣り合っただけなので、そんな態度を取られても何の問題もない。

「勿体ない」

 ただ、ぼそりと。

 彼はそう言うと、少しだけ頬を緩めて笑った。

「どっかに出してみればいいのに」

 急に、心臓がばくばくと脈打ち始めたようだった。学生は、話は終わりだと言わんばかりに目の前のパソコンに向き直った。すごい集中力で、カタカタとキーボードを叩いていく。

(私も、)

 ふと、数時間前の私を思い出す。同じように、一心不乱にキーボードを叩いていた。これは面白い、絶対に傑作になると信じて。

「……うん、」

 随分遅い返事は学生には聞こえなかったようだった。少し冷めたカフェラテをぐっと喉に流し込む。とにかく、新しい作業環境を整えねばなるまい。

(勿体ない、って、言ってくれた。見ず知らずの人が)

 毒にも薬にもならないけれど。私が創作する物語を、私が隠して閉じ込めて私だけのものにしていることに。勿体ない、と。

 他意のない言葉だと理解はしていた。ただ、なんとなく、受け入れられた気がして、それがひどく安堵した。

 趣味でも、なんだって、書いていていいのだと。

(また書くかー!)

 とりあえず駅前の電気屋さんに行こう。それで、教えてもらったメーカーの、ノートパソコンを探してみよう。

 私もあそこで作業をしたら、もしかしたらまた、彼に会えるかもしれないし。

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