永遠の中の一瞬
夢月七海
永遠の中の一瞬
東の海、陸地からほど近いある小さな島。その深い森の真ん中に、小さな村と畑がある。
この村のある家に、イシャイアという女が住んでいた。歳は二十七。同居人は夫と子供が二人。
深夜。イシャイアは自身の寝室で、毛布にくるまり眠っていた。俺は、事前に伝えられた情報通りの容姿を確認する。そして、背負っていた大鎌を下ろす。
大きく、鎌を振りかざす。黒い外套に白い髑髏の仮面という俺の姿は異様だが、霊体であるため、人間には見えていない。
この鎌の刃が直撃すれば、どんな生き物でも、体と魂が切り離される。例外などはない。
躊躇なく、これを落とせば、この仕事は終わる、はずだった。
「くらえっ!」
そんな一言の直後に、光線が直撃し、俺は後ろに吹っ飛んだ。天井近くまで浮き上がりながら、何が起きたのかを整理する。
ベッドを挟んで反対側に立つ、一人の青年が、目に入ったのを覚えている。真っ白な短髪に、緑の瞳をした彼が、歯を食い縛りながら、両手で作った三角の形から真っ白な光を発射し、それが俺に当たった。
空中で、仰向けになった体を半回転させ、右足から床に着地する。左足は、力強く床を蹴った。一気に、ベッドの置かれた壁側へと駆ける。
しかし、今度の狙いはイシャイアではない。まだ、同じ場所に立ち、驚きの表情を浮かべる青年……そのうなじへと、大鎌の刃を入れる。
「――何故、邪魔をする?」
「ぼ、僕は、イシャイアに、死んでほしくなくて……」
泣き出しそうな情けない声で、青年は答える。俺は心底呆れてしまった。
こいつは、俺と同じ霊体をしているが、森の神だ。だが、森の神が人間に肩入れするなんて話、聞いたことがない。
「お前が、この村の人間たちを守っているから、寿命を過ぎても生きている人間が出ているんだな?」
「そ、そう、です」
「だがな、そんなことをしても、俺が人間の体と魂の繋がりを断ち切るぞ」
「そ、そ、それを、辞めてほしいんです」
「断ち切ると言っても、体に傷や痛みはなく、傍から見たら、心臓が勝手に止まったように見えるだけだがな」
「で、でも、村人たちは、僕を、慕い、信仰してくれているんです。う、裏切るわけには、いけません……」
森の神は、きっと真正面からこちらを睨む。俺は、鎌の刃をうなじにさらに近付けた。「ひっ」と声を挙げて、森の神の顔が青くなる。
この鎌は、何でも切る。命のあるものは当然だが、それ以外の森の神にも、死を与える。
「ご立派だがな、死ねないというのも、中々きついぞ。お前は、この村人全員に、不死の重みを背負わせる気か?」
「……わがままのは承知しています。でも、せめて、一日だけ、彼女に時間を与えてくれませんか?」
視線だけを動かして、森の神はイシャイアを見た。ベッドの周りで、神二柱が言い争っていることに気付かず、すやすやと寝入っている。
「イシャイアの子供は、まだ六歳と八歳です。夫とも、両親とも、何も告げずに別れてしまうのは、あまりに理不尽です」
「どんな生命も、その理不尽の中で生きているんだがな」
仮面の下で盛大に顔を顰めながらも、ここが妥協点なのかもしれないと思った。
イシャイアをここで切ったとしても、またこの森の神は、他の村人の寿命を勝手に伸ばすだろう。その度に、今のようにぶつかるのは面倒だった。
「しょうがない。この村だけは、例外にしてやる」
「あああ、ありがとうございます!」
鎌を彼のうなじから自分の手元に戻すと、森の神は深々と頭を下げた。
死神に礼を言う奴なんているかよと、すでにこちらの調子が乱されているのを感じた。
■
東の空が白ばみ始めた頃、イシャイアの家から、「お待たせしました」と、森の神が出てきた。そこら辺の岩に腰掛けていた俺は立ち上がる。
「イシャイアの夢の中に現れて、全て伝えました。彼女は、自分の運命に驚いていましたが、静かに受け入れました。今日一日、村中に挨拶をして、自分の家族と過ごすそうです」
「それはいいんだが、お前、泣いたのか?」
真っ赤に充血した森の神の目を指差すと、彼は苦笑しながら、目尻に残った涙を拭った。
「彼女自身と、残された皆さんのことを考えれると、悲しくて……。ところで、死神さんも、雰囲気変わりましたね」
「仮面を外したからな」
髑髏の仮面は、仕事中にだけ着けると決めているので、今は懐に仕舞っていた。
その時、村の上空から、鴉が鳴きながらこちらへ飛んできた。俺が口笛を吹きながら右手を掲げるとそれに止まり、爪で掴んでいた手紙を差し出した。
「ちょっと、お前のところ鴉、借りてたぞ」
「構いませんよ」
森の神にそう断りながら、手紙を開く。殆どの動物に嫌われている死神だが、死肉を食べる生き物からはむしろ懐かれる。特に、鴉はあの世まで飛ぶことが出来るので、連絡係として重宝していた。
俺の右手から、鴉は森の神の手へと移動していた。甘えてくる鴉を、あやす様に撫でている。
手紙は、俺が上司に対して、今回の件と自分の判断の報告に対する返信だった。内容は、俺の判断を認めるというもので、それは予想できたのだが、最後の一文が意外なものだった。
途端に険しい顔をした俺へ、帰っていった鴉を見送った森の神は、心配そうに「どうしましたか?」と尋ねる。
「いや、今日一日は、お前の見張りも兼ねて、俺に休めと言われてな……」
「いいじゃないですか」
「肉体も精神も疲れることがないから、休む必要はないんだが……。それに、百年働いてきて、初めての休みだからな……」
困り切って頭を掻いていると、森の神の顔が場違いなくらいにぱっと明るくなった。
「僕がもてましますよ。あ、やりたい事とかありますか?」
「やりたい事か……」
「人間がやっているのを見て、興味があるのとかはどうです?」
「強いて言うなら、釣りに興味があるが、そもそも俺に魚が寄ってこないから出来ないんだよ」
「それなら、大丈夫ですよ。僕が、結界を張れば、貴方の気配を隠すことが出来ますよ」
にこにこ笑い掛けながら、森の神は自分の胸に手を当てた。
「僕は、ゲッシュウと言います。このあたりの古い言葉で、『月』と『舟』と書いて『月舟』です。貴方の名前は何ですか?」
「……シッグル・ギュネッシだ」
「シッグルさんですね。ちょっと、釣竿を借りてから行きましょう」
勝手に俺を名前で呼びだした月舟は、これまた勝手に歩き出す。
見張りも頼まれているので、俺はそれを追いかける。気弱な印象があったが、ここまで自由だと、こいつは大物なのかもしれない。
■
森の中を横断し、村のすぐそばまで流れている川で、俺は釣りをしていた。
隣の月舟の結界のお陰で、釣り針が無く、代わりにパンくずを括り付けた竿でも、時々魚が釣れた。ちなみに、パンは彼へ供えられた品で、釣竿は漁師の家から拝借してきた。
「釣りは楽しいですか?」
「思ったよりも。趣味にしたいくらいだ」
「気に入っていただけて、何よりです」
川魚を一匹釣り上げた俺は、俺以上に嬉しそうな月舟にそう返す。魚は何もせずとも、ぱかっと口を開いて、川の中へと帰っていく。
「お前、大分お人好しだな」
「そうでしょうか?」
「自分の村人の命を狙ってきた相手に、ここまでもてなす奴はいない」
「人が死ぬのも、自然の摂理ですから」
「いや、そもそも、森の神が、人間を守ろうとするのが可笑しいのか」
今までも、神が守る土地にも行ったことがあるが、こいつのように邪魔してくるやつはいなかった。神の規則では、全ての生命は絶対平等であるため、特別扱いはしない。
それを指摘すると、月舟は俯いた。落ち込んでいるのかと思ったが、その瞳に、怒りの色が見えて、俺はたじろぐ。
「実は、僕は二代目なんです。先代は、自死しました」
「なんでまた」
「先代は、神にとって最大の禁忌を犯しました――人を喰ったのです」
神が人を喰う。それは、生物が肉を喰うとは別の意味を持つ。魂ごと喰い尽くし、喰われた方は生まれ変わることも出来ない。
「僕は、そんなことをした先代を許せません。会ったことはありませんが。だから、僕は生まれてから三年、村人たちを守り続けていました」
「三歳って、人間でもよちよち歩きじゃないか」
若い神だろうとは思っていたが、想像以上の年齢に驚きつつ、だからこそ、こんな無茶をしていたのだろうと納得していた。
「気持ちは分かったが、あんまり無茶すんなよ。お前まで死んだら、困るのが村人たちだろ」
「そうですね。シッグルさんも、優しいですね」
「優しいのか? 俺が?」
言いつつ、首を傾げた。
思えば、俺は上司と仕事以外の話をしたことがない。他にも死神の同僚はいるが、鎌を使って肉体と魂を斬るという役割を負っているのは俺だけなので、他の同僚から敬遠されている。人間に対しては、言わずもがなだ。
「考えてみると、俺は誰かとこんなに話したのは、初めてだな」
「面白い冗談ですね」
事実を言ってみたが、月舟は取りなさず、くすくす笑うばかりだった。
■
イシャイアの元に集まった人々は泣きすぎて、俺たちが座っているこの家の屋根を揺らしているんじゃないかと思えるほどだった。
満月を見上げて、ぼんやりしている俺の隣でも、月舟は鼻を啜っている。こいつもイシャイアの最後の瞬間に、あれほど泣いていたのに、まだ涙が出るようだ。
「シッグルさん、知っていますか?」
「何を?」
「人間たちにとって、今が世界の終りの時期だそうです」
「初耳だ。いつからだ?」
「悪魔が地上に現れてからですね」
「四百年前の話だろ? 地上では、色々あったが、人間は繫栄している」
「そうですね。……でも、終わらない終わりはありますか?」
「ないだろうな。俺たちは死なないが、人間が滅んだらお役御免だろうし、あんただって、森が無くなったら消える」
「ええ、分かっています」
「その前に、死神が対象以外を殺したら、消滅するんだがな」
「あ、もしかして、あの時、僕を殺すつもりはなかったんですか?」
「当然。あれはただの脅しだ」
「酷いですよ。僕は命がけだったのに」
意地悪く笑いながらそう話した俺に、月舟は頬を膨らませていたが、ふうと息を吐きだした。
月舟は、空を見上げた。目に見えないほどゆっくりと、そして延々と流れる星と月を見上げるその目から、まだ涙が零れる。
「僕は、この終末が続いてほしいと思います。それこそ、永遠に近いほど長く」
「俺も、また釣りがしたいから、まだ終わらないでほしいな」
「ええ……シッグルさん、また、来てください。それまでお元気で」
「ああ。お前も元気でな」
俺たちは、握手を交わす。こんな時でも、月舟は泣き笑いの表情だった。
これが、初めましてとさようならをほぼ同時にこなしてきた俺の、最初の再会の約束となった。
永遠の中の一瞬 夢月七海 @yumetuki-773
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