俺と先輩の独我論

もちもち

 あけましておめでとうございます。好きです。付き合ってください。



 一足飛びに突っ走った俺を、先輩はニヤニヤと面白げに笑った。

 下駄箱を出た先、空はカンと晴れていて太陽の光がまっすぐ降りてくる。そのくせ空気は透明に冷たい。

 もふもふと巻いたマフラーにたわんだ彼女の黒い髪が、吹き抜けた北風にはらりとなびく。セーラー服を濃紺のオーバーサイズダッフルコートに隠したシルエットは、どこかこけしに似ている…… ということを、先日素直に打ち明けたら膝裏に蹴りを入れられた。

 こけしの胴に乗っかった小さな顔の中で、先輩は綺麗な黒い猫目を細め、三日月に嗤ったいつもの不敵な表情を浮かべる。


「やあ、珍しいタイミングで告白してくるものだね」

「新年がちょうどいいと思いまして」

「ほうほう、なるほど。偶然にも、私も誰かに告白するなら新年がいいだろうなとは思っていた。

 まあ、まず君の理由を聞こうか」


 キュッと筒みたいになってる腕を組み、先輩は俺の様子を窺った。

 まさかこの頭の回転が妙な方向に回る先輩と、単純明快な俺の意見が一致するとは思わない。驚きに一言目が詰まったくらいに。


「いや、ただ、三ヶ月したら先輩が卒業してしまうから、それまでに少しくらいは恋人としての高校生活の思い出つくりをと」

「はーーー…… なるほど。今まさに受験を控えている私の都合を全く考慮に入れてないと。入れるに値しないと」


 ひどい方向に訂正を入れられてしまったので、俺は慌てて首を振った。


「いえいえ、受験があるからこそ、受験の前に確約したい感じです。思い出作りはその次でいいです」

「また素直にぶっ飛ばしたいことを言ってくるもんだね。いいですじゃないんだよ。

 君のそういうところ嫌いじゃないがね、好きでもないが」

「振られましたか?」


 なんて聞き返すと、先輩はあははと快活に笑う。怒ってはいないようだ。俺もまた、この先輩だからこその物言い無茶振りで、この先輩が好きなのだ。

 人としての軸の位置が完全に明後日にある。変化球もいいところだ。

 この人との未来なんて予測もつかない。


 まあまあ、と先輩は組んだ腕を解いて両手を僕の方へ向けた。白いミトンの手袋をしているところを見ると、先輩は歩きスマホはしない人なのだろう。


「そこはひとまず置いておこう。私の理由も聞いてくれよ」

「いいでしょう」

「大した態度なんだよなあ君」


 ふむ、とミトンの曖昧な手の輪郭を顎に添えて先輩は言うのだが、この先輩相手に下手に出た瞬間にいい玩具にされることはすでに習得済みだ。

 先輩も、俺の態度にそれほど不快感もなければ言及もなく続けた。

 顎に添えた手と共にパッと腕を広げる。


「なんと君と同じ理由だ。三ヶ月後に卒業するからだよ」

「意外にロマンを求める」

「ロマンかなあ」


 うーん、とマフラーの奥で細い首が傾げるのが分かる。黒いマフラーに隠れているのは、白く、細い首だ。

 俺の視線がそこに釘付けになったのを察したように、先輩は猫目を笑わせる。お前の考えなど全部お見通しだぞと言わんばかりに。


「テセウスの船を知っているかい」


 と、ピンク色の唇がミステリアスに象る。


「先輩の好きそうな言葉だなというくらいには」

「さすが私を好きなだけある」


 うんうん、と先輩は満足気に頷いた。なんとなく悔しい気持ちがあるが、否定しようもない。そのとおり、俺は先輩が好きなのだ。

 テセウスの船とはパラドクスの一つだ。を構成するパーツがすべて新しいものに置き換えられたとき、は置き換えられる前のものと同じと言えるのか。

 先輩に出会う前に聞いていたら、「お前は何を言ってるのだ」と一蹴したであろう。

 だが、この先輩に出会ってからというもの、俺のとしてあったものがことごとく突き崩されていってしまった。

 なぜ人は人を殺してはいけないのか。

 なぜ他人があり自分があるのか。

 なぜ、その誰でもなく「俺」は俺なのか。


「人の血液は三ヶ月ですべて入れ替わる」


 ふふ、と先輩が笑う。突然の話題ではあったが、彼女の言いたいことが分かった。

 彼女が先に何かを言う前に滑り込む。


「三ヶ月後の先輩も好きです」


 身体の一部が変わる。それは今、俺が目の前にしている先輩と同じ人間か。

 俺が好きだと言ったものは何か。

 ふふん、と先輩は嗤う。


「65点だね」

「採点制になってしまった」

「7割は取ってほしいな」

「割といい線いってるってことですか」

「不採用なのは変わらないんじゃない」


 恋って採用不採用の話だったろうか。

 はて、と首を傾けそうになったところで木枯らしが通り抜け、俺はぎゅっと首を竦めた。


「君もだよ」


 風に散らされかけた先輩の言葉は、しかし俺の耳に辛うじて届いた。


「我々を構成する一部が入れ替わる。

 君も三ヶ月後は、今の君ではないのだ。君は君と言えるのかい。どこまでがなのかね。

 今の気持ちを三ヶ月後に再回答するための、今が最後のタイミングだと思ったんだよ、私はね」


 卒業してしまうからね、と半分マフラーに埋もれた小さな口が形どる。


 空気に氷を落とせば、カランと澄んだ音を鳴らしそうな冷たい風だ。

 俺と先輩の帰り道は、校門を出て即座に反対方向を目指す。

 正月早々から受験のための補講があったらしい。その帰りを狙って、下駄箱で声を掛けたのだった。

 三ヶ月もすれば、この季節も変わっていくだろうか。鼻孔の奥を突き刺すような温度も、三ヶ月後の新しい自分は知らないかもしれない。


「三ヶ月待たずとも私たちは常に小さな置き換えをしている。常に変わり続けている。

 高校生という身分から始まり、感情や記憶、細胞の一つまで。

 その中で、変わらないものがあるならば、それは信じて良いと思うよ。

 私が何を言いたいか、私を好きな君は分かるよね」


 先輩は木枯らしに流し込みながら静かに語るのだ。まるで預言者のように、当然のごとく在る世界の真相を見透かしたように。

 俺は深く頷き、先輩の確認に答えた。


「つまり…… 三ヶ月後に再度愛を確認するので、首を洗って待っていろ、と」

「君の中の私のイメージがよく分かったし、私に足を運ばせるつもりなの根性あるね」

「照れますね」


 微笑んで言ってみると、先輩はちょっと引きつった笑いをする。泰然自若を常とする彼女のドン引きした顔なんて、初めて見たのでけっこう嬉しい。

 冗談はさておき、俺は言い直した。


「三ヶ月後に、また来ます」

「ああ、そうしてくれ。

 三ヶ月後、新しい君で三ヶ月前と同じ気持ちを持っておいで」


 いろんな事を言ってはいても、単純に慎重なのかもしれないし、ひたすら受験前に荷物を抱えたくなかっただけかもしれない。あるいは(そうしてこれが一番可能性が高いが)、遊ばれただけかもしれない。

 しかしまあ、俺だって好きで先輩を追いかけているのは、こうして遊ばれるのが楽しいからに他ならない。

 今だって、先輩は「告白するなら今」と言いながら、自分の「告白」を未だ聞いていない。

 だが、彼女は至極満足げに笑っているのだ。これはここで言うつもりが塵ほども無い顔だ。

 ここで俺が金箔ほど薄い期待で尋ねたとしても、


『告白は、何も世界に向かって言わなくても良いとは思わないかい。

 自分が一番身近な他人であることもある』


 なんて言われるのがオチだろう。

 一事が万事、この人はこんな調子なのだ。

 この三年間で、俺以外の他の生徒とまともに話せているのだろうかなんて思ってしまう。

 

 しかし俺は先輩が好きな人間なのだ。

 その回答は、三ヶ月後の俺たちに託そう。


 新しい俺は、きっと今日と同じ言葉を新しい先輩に告げる。


「卒業おめでとうございます。好きです。付き合ってください」


 一足飛びに。

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