荒天の駅
キロール
駅の決闘
出会いと別れ、ですか?
この様な商売をしていると幾らでもありますな。旅の足たる駅馬車の経営ですから。そうですね、出会いと別れと言えば一つ大変心に残った出来事がございました。正確に言えば幾つかの別れと幾つかの出会いと言うべきかもしれませんが。
あの日は天候も荒れ酷い有様でした。私が経営する駅馬車たちも容易に動かす事が危ぶまれる天候、よほど腕に覚えがある御者でも馬を走らせる訳には行きませなんだ。腕の良い御者であればあるほど馬を大事にいたしますれば、それも無理からぬこと。
悪天候と己の腕に対する過信で大事なお客様と相棒である馬に怪我などさせる訳にはまいりません。命よりも時が大事、そう仰せのお客様意外は駅にてお待ちいただいておりました。ええ、休憩所も兼ねてある駅ですから寝泊まりができるようにもしつらえておりますれば。
そうです、あの方は駅馬車をご利用でした。黒い髪に鋭い目、瞳は呪術師の証たる赤土色をもつ若き剣士。そう、呪術師でございますよ、粗野な呪術、洗練された魔術などと申しますがあの方は並の魔術師などより折り目正しい方でございます。どこぞの兵士だったそうですが、何かの折にこちらに来て大呪術師として名高かったラギュワン師に拾われたそうで。
あの方は悪天候ゆえに駅馬車を動かせぬと言う説明にも当然とばかりに頷きを返され、他のお客様と違い素直に寝所でお休みになられておりました。他のお客様がいつになったら馬車を動かせると騒いでおりましたのと比べると、若いのに大した落ち着きようでございました。
ええ、そこにあの親子がやってまいったのです。這う這うの体で赤子を抱いた若い母親が。若い母親の衣服は雨に濡れておりましたが、それ以上に人目を引いたのが滲む赤。顔立ちは良かったように記憶してりますが、殆どの者はその赤に目を奪われました。そしてその親子が厄介事を持ち込んだと瞬時に悟ったのでございますよ。
荒天時に血にまみれた母親が我が子を抱きながら駅に転がり込んでくる、それだけで十分に察せられましょう? 皆一様に押し黙り激しい雨音の身が響く中、母親の必死な叫びが木霊いたしました。
「馬車は! 馬車は出ておりませんか!」
「――お客様、荒天のため馬車は皆止めております」
その叫びに反応してようやく私が言葉を返すと、母親は膝から崩れ落ち掛けましたが気丈にも耐え、私に言いつのりました。
「この子の命に係わる事です、どうか、どうか馬車をお出しください!」
「医者が入用でございましたら、馬車を出すまでもなく」
「遠くへ逃げねばならないのです! さもなくばこの子は――」
話を遮るように駅の扉が激しい物音を伴って開きました。入ってまいりましたのは武装した厳めしい男。扉の外には武装した荒くれ者達が雨に濡れながら居並んでおりました。ええ、野盗の類ではありますまい。特別な訓練を受けた兵士か、規律の厳しい傭兵たちと思われました。
「……ここまでです、お子を渡しなされ」
厳めしい男は私たちをまるで無視して若い母親に声を掛けました。言葉は丁寧ではありましたが、その響きはうすら寒いと思えるほどに冷たさに満ちておりました。表面上のみの丁寧さが感じ取れて……そうですね、反感を抱いたのは間違いございません。
「い、いやです! この子を渡しなどしません!」
「では、お子共々死んで頂かねばなりません」
その厳めしい男はとんでもない言葉を言い放ちました。
異様な状況なれど、私も他のお客様方も御者たちもその言葉には反応したのでございます。
「何と無体な!」
「赤子と母親を殺すなどとっ!」
「それでも人間かっ!」
私どもの言葉に厳めしい男はじろりと視線を向けて。
「死にたくなければ黙れ」
そう冷徹に言い放ったのでございます。それは恐ろしゅうございましたよ。野盗の襲撃に会った事もありますが、彼奴等とは全く違う凄まじいまでの冷たさと殺意に私どもの体も口も凍り付き、押し黙らざる得ませんでした。ただお一人を除いて。
一足先に寝所に入ってお休みになられていたあの方が厳めしい男の殺意に反応してか出て来られたのです。
「やれ、無体な者どもだ」
「黙れ若造。格好つけても命あっての物種、大人しく寝所に籠っておれば良いものを」
「馬鹿を言うな、格好つけるたぁ命張ってこそではないか」
厳めしい男の殺意を意にも介さずにこりと笑みを浮かべたあの方は、軽やかともいえる足取りで母子と厳めしい男の間に立ったのでございます。
「外に出ろ。ここは身を休むる場所、血の匂いなど充満しては休めるはずもない」
「吼えおるわ。だが、多勢で押し掛けた混乱に乗じてまた逃げられても面倒か。……お子と今生の別れを済ませておくことですな、ラスメリア様」
厳めしい男はあの方の言葉を小馬鹿にした風でしたが、思う所があったのか言葉に応じて外へと出ました。そして、あの方も。ええ、正直、立派な若者が無残にも殺されるのだと思いました。あれほどの勇気ある者をむざむざ殺させてしまう私どもの不甲斐なさにも怒りを覚えましたよ。
ですが、それが杞憂だったのでございます。激しい雨音に混じり響く戦いの音はまるで止む気配を見せず、幾人かの断末魔が響き渡ったのでございますよ。一体何が起きているのか、どうなっているのか伺おうにも体は凍り付き動けませなんだ。それほどの怒号と絶叫が響き渡っておりました。
次に扉が開いた時、入ってきたのは厳めしい男でした。先ほどまでの冷静さをかなぐり捨てて、だらりと垂れ下がった右腕からは朱を垂らして必死の表情で母子に迫ったのでございます、が……外より飛来せしめた細身の刃がその身を貫き、母子に届く前に床に倒れ込みました。ええ、そのすぐ後に多少の傷を負ったあの方が寸鉄おびぬ姿で戻って来られたのでございます。その足で厳めしい男に歩み寄り突き立てられた剣を引き抜き、男の衣服で血のりを拭って鞘へと納めたのでございます。何とも見事な所作でございました。
「ば、馬鹿な……」
「いかなる理由ありやとて何も知らぬで赤子を目の前で殺させる訳にはいかぬ、許されよ」
「……ただの一人で……レードウルフの外遊隊を滅ぼした貴殿の名を……」
「姓はカンド、名はセイシロウ。呪術師ラギュワン師の従者」
「さ、流石は名うての大呪術師よ、その従者も……一流か」
「一人として退く者なく、不名誉な仕事も全力で全うしようとしたレードウルフの名は覚えおこう」
二人の会話はおよそそんな所でございました。戦った者同士にしか分からない感情と言う物があるのでございましょう。おおよそ強き剣士が出会うと別れがセットなのかもしれませぬな。
そして新たな出会いもございました。ええ、あの方と赤子の出会いでございます。それには別れも伴いましたが。
あの方は母子に声を掛けましたところ、安堵したのか母親は床に膝をついてしまわれました。そして赤子をあの方に掲げながら言ったのでございます。
「……どうか……どうかこの子をお守りください、強きお方」
「母親が子を手放され……まさか、既に!」
初めて慌てたようにあの方は声をあげました。そうだったのです、ここに転がり込んできた時には既に母親は深手を負っていたようなのです。最後の気力を振り絞って我が身を顧みずに赤子を助けようと足掻き、その一念が生命の女神ルードに届き給うたのでございましょう。
母親の命の火が消えかけていることに気付いたあの方は、逡巡の果てに赤子を受け取り告げました。
「委細承知つかまつった」
その言葉を聞いて安堵したのでございましょう、母親はその場に倒れてしまいました。そして、どうにか医者を連れてきて治療にあたりましたが程なくして黄泉路へと旅立たれました……。
私は母子の別れ、剣士の出会いと別れをその日、その時間に垣間見たのでございます。
ええ、何ゆえにあの方と呼ばわるのか? ですか。無論強いからではありません。あれから四年以上は経ちましたが時折お会いいたします。ええ、馬車を使われますので。その際の料金は常に二人分頂いております、これが答えになりましょうか?
そうです、あの方は今でも立派に父親の役を果たしておりますれば。私としましても尊敬し、友好的な関係を築かせていただいております。ええ、別れと出会いの話やもしれぬと申しましたのは、そう言う事でございます。
血は繋がらずとも父子が出会い、そして私とあの方とが出会った。これが今まで心に残った出会いと別れでございます。老いた身には過ぎたる友でございますよ、あの方は。
荒天の駅 キロール @kiloul
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