第6話 菜穂の一歩

次の日の晩、今度は菜穂の方からおばあちゃんの寝室に向かった。あの話を聞いて、やっぱりもう少し話したくなった。

「明日の昼に帰るから、今日はもうちょっと話したいな。」


おばあちゃんは笑いながらもうネタは切れましたぜと板前みたいな口調で言い出す。

「いいんだ。ネタは私が釣ってくるから。」

菜穂が笑うとおばあちゃんも一緒に笑った。

それからおじいちゃんとの結婚話など、今まで聞いた事のないことをこの際だからと根掘り葉掘り聞いた。寝る前なのにどんどん目は冴えてしまった。

話をつづけているとふとした拍子に菜穂は重大な事に気付いてしまった。

「そういえば、おじいちゃんって名前ヨシヒコさんじゃなかったっけ?」

おばあちゃんはそうね、それがどうしたの?と尋ねた。

「ほら、おばあちゃんの初恋はよっちゃんというんでしょ。ある意味”ヨシヒコ”もよっちゃんじゃない?」

「あら、ホントね。」

「ほら。だから、おばあちゃんはよっちゃんとの初恋は実ってるんだよ。というか、実は本物のよっちゃんだったりして。」

実ってるんだよと菜穂が笑いながら言うとおばあちゃんはまさかとまた笑った。


こっちに帰ってからは笑ってしかないなと菜穂は気付いた。きっと東京に帰った後はまた辛い事もあるだろうけど、この時間が過ごせたのは菜穂にとってすごく救われる時間になった。


「それは予想外過ぎる。」

おばあちゃんがニコニコ笑いながら言った。




旭川空港に着いた。楽しかった日々は泡沫のよう。また明日から頑張るかと決心した途端に愕然とした。なんと搭乗予定の飛行機が遅れると表示があった。近くの係員に聞いたところ機材のトラブルで違う飛行機を手配していて五時間近く遅れるとのことだった。

幸先が悪過ぎると暗い気持ちになった。また今日が新しい一歩になると思ったのにとブツブツ心の中で呟いていた。一旦実家に帰ろうかと思ったが、航空会社から貰った食事券と商品券があるから空港で時間を潰すことにした。



食事券を使ってカフェでバンバーグを食べた。普段読まない本がカバンの中に入っている事に気付いて、こういう時に読むもんだと思い出した。本を読んでいると「あ。」という声が聞こえた。菜穂が顔を上げると男性が立っていた。菜穂と同年代である。菜穂が怪しい顔して彼を見た。

「あ、ごめんなさい。その商品券が目に入って。それにその作家好きなんです。」

彼が菜穂の読んでいる本を指さした。この作家がデビューした頃はあまり話題になってなかったが、いわゆるジャケ買いみたいに衝動的に買ってしまった。読んでみたものの言葉遊びとなんだか洒落てる風の言葉が鼻につき、読んでも読んでも中身のない文章にあまり売れないだろうなと思っていたが最近デビュー十五周年を迎えていた。好きではないのに、何冊か読んでしまいいつの間にか一番読んでしまっている作家になってしまった。

「それは、三回ぐらい読みました。」

断りもせずにと向かいに座ってきたことに少しムカッとしたが、こちらを気にせず彼は目を輝かせながらこの本の感想を述べている。

「ちょっと待った。まだ私は読んでいる途中なの。」

彼は我に返ったのか、すみませんと謝った。

「その商品券を見たのですが、きっと同じ便ですよね。アンラッキーでした。」

彼も私と同じ便かと同情した。

「ああ、これ、商品券もらってもですよね。」

「五時間はビックリですよね。これを貰ったところでなんともならないのですが、きっと渡さないと気が済まないでしょうし貰わないとその気持ちを無駄にしてしまいますからね。」

この期に及んでと彼がまだ航空会社を思っている事が面白かった。

「それに、私の祖母がよく言ってるんです。上手くいかなかったり思い通りにいかなかった時こそ周りを見なさいと。注意深く冷静に物事をみるのが大切だと。そのお陰でその商品券が見えたし好きな作家の本も見えました。」

果たしてそれがいい事なのかと菜穂は頭の中で考えた。

「祖母はよく失敗か成功かなんてのは他人が決められないって言っていて。結局自分次第だなんてよく言っている人で。私の祖母は旭川出身で薬学の勉強するために学校に通う予定だったんですよ。でも、直前で入学辞退したらしいんですよ。」

そういえばおじいちゃんは薬学の勉強の為に旭川に来たと言うのを思い出した。

「なんで入学辞退しちゃったんですか?」

菜穂は考えるよりも前に言葉にしてしまった。うっかり、会話を続けてしまって少し後悔した。

「妊娠したみたい。息子が出来たんだって。私から見ると父親か。まぁ、もともと家柄が医療関係に全員関わっていて祖母もほとんど無理矢理にその学校を受けさせられたみたいです。しかも、結婚前だからもう大変大変。」

「当時は今よりもそういった考えが厳しいでしょうね。」

「そうなんですよね。当時はお見合い結婚しかなかったみたいです。恋愛結婚なんてほとんどなかったようで。」

「私も聞いたことあります。」

その割には私の周りには恋愛結婚しかいないなと考えていた。

「でも、祖母はすごく嬉しかったって言ってました。愛する人の子どもを授かれた事がこの世界の何よりも幸せだって。」

まぁ、そのお陰で今の僕がいるんですどね。と彼は少し照れながら笑った。


結局、時間まで彼と話し込んでしまい時間になったので搭乗口に向かった。さすがに、席は離れていたがなんとなくまた話したいなと思った。


無事に羽田空港に到着し、一瞬彼を探したが見当たらなかった。まぁ、ここまでの縁かと潔く諦めた。そして、いつもの路線に合流した電車は最寄り駅まで菜穂を運んでくれた。

改札を出ようと出口を目指していた時にふと先程の彼の言葉が蘇ったのか周りを見渡してみた。いつも使うこの駅をじっくり見るなんてほとんど初めてに近い。すると、反対側の改札でICカードが通らず焦っている男性がいた。見覚えのある後ろ姿がアタフタしていた。感情のない不正を知らせる電子音が皆の注目を集め更に焦ってしまう。違うカードだっけなとカバンを漁り出した。それが何故か可笑しくなってしまった。今度は私の方から彼に話しかけてみようといつもの改札ではなくて反対側の改札に向かい歩き出した。

その一歩が今までの菜穂を変えた証であり、これからを菜穂を変えていく一歩であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

上手くいかなかったり思い通りにいかなかったり 凪花侑太郎 @itohanaeitaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ