少年海賊ハインリヒ!
鱗青
少年海賊ハインリヒ!
『岬に沈んだ軍艦の
電柱の上の
この景色も見納めか。半世紀前はイギリス本土とカナダを繋ぐ中継地として栄えた、新鮮な魚と乱暴だが優しい漁夫達の行き交う快活な港。夏だけ観光客を呼び寄せる
今日は10月31日。大人も子供も魔物やアニメキャラの仮装をして騒がしく通りを闊歩している。
港から続く目抜き通りの方でギャンギャン喚く声がした。
「だぁから
「
片方はアイスクリーム屋台の店主。もう片方は三種のアイスクリーム容器の入った
ボサボサの
「
少年、腰の鞘から剣を引き抜いた。小道具も出来がいい…が、店主は鼻で笑う。
「大人しくママの所に帰りな。今度は小遣いを貰ってくるんだぞ」
ムキー!と地団駄を踏む少年の姿が可笑しくて、私は店主から
「私がこの
「これは御令嬢!貴女の願いでしたら
黙って店主に札を押し付け、てんこ盛りのコーンを両手に捧げ持つ少年を日当たりのいい道端のベンチに誘う。
「ありがとな姉ちゃん。
そういう設定なのね。ドイツ系の名前といいやはり観光客か。
したり顔で頷く私を尻目に少年はアイスにかぶりつく。と、どんぐり眼が見開かれた。
「
「食べた事ないの?」
「
「ハロウィンだからよ」
キョトンとしている少年に、魔物の姿を借りて帰ってきた先祖を迎える
「若い奴等は物好きだな」
「なあにその
「
スカートのポケットの中で
「どした溜息なんかついて。祭なんだろ」
私にとっては死刑宣告だ。これから街…いや全島を牛耳る社長の婚約者としてお披露目されるのだから。
長距離船の開通で打撃を受けた島の経済。私の父は病魔に倒れた。そこへ現れた
「何だよォ、父親の治療の為に
おろろんおろろんと男泣き。島外の
「やめっちまえそんな結婚!第一、父親の治療費を人質に迫るとか男の風上にも置けねぇ」
「私が我慢すれば済む事だもの。島の皆の
「あのな?
慰めは嬉しいが、これ以上は辛くなる。私は目許の雫を拭い立ち上がった。
「アンタには恩義ができた。望むなら
「期待しないで待ってるわ」
「
少年の叫びを背に受け、笑いながら手を振った。
屋敷(既に抵当に入っている)に戻り、げっそり
「お美しゅうございます…」
長年我が家に仕えてくれた執事はまるで実の娘が嫁がされるように涙を浮かべ、私が脱いだ服を畳み…
と、少年の
「街で子供に貰ったの。玩具だけど綺麗よね」
執事は髭が上に
「お嬢様、これは本物の古銭ですぞ。しかもスペイン金貨の
執事の台詞に被さる遠い
通りで車を拾い、浜辺に着いた頃には日が暮れていた。砂地に組んだ
「君には白がとても似合う。百合の花のようだ。我が国では
公衆の面前でなかったら、張り飛ばしてしまいたい。
「大枚を
その含みに反応した私に、下卑た笑みが返ってくる。
「まさか
「原因不明の
私は反射的に席を立った。が、
「婚約を破棄するなら同時に島の連中の生活の
毒々しい食虫植物の色の舌なめずり。唾液の照り返しに背筋が
「全部
え?
テーブルクロスをはね上げて、あの少年が現れた。手にマイクを構え、クルリとトンボを切ってテーブルに仁王立ち。
『やぁやぁ遠きにあらば耳に聞け、近くば寄って目にも見よ!我こそは大海賊・ハインリヒなるぞ!』
「な、なんだこの茶番は」
『黙れ!』
音楽の止まった浜辺にざわめきと怒気が広がっていく。
「
『よく言った。なら、腕ずくで来い!』
相手が子供でも全く
「
少年は片手で鼻を
ちょび髭から汗を落とすまで体力の萎えた
今度は手下の男達がどこからか湧いて出た。一人二人ではなく数十人はいる。私を背に庇いながら不敵な笑みを浮かべて後退する少年。
「皆様!どうか、お嬢様をお助け申し上げ下さい!」
屋敷から駆けつけたらしい執事の枯れた体から響いた震える懇願に、会場の島民がわっと沸き上がる。舞台に駆け上がり、私達を取り囲んでいた連中を殴り倒し、ひっぺがしていく。
「来い
そして私を引っ張り舞台から駆け降り、そのまま海へ直進。踵から砂を巻き上げて走る私達の前に、夜の真っ黒な波をガバガバと割って巨大な木製の軍艦が浮上してきた。
軍艦は帆布が伸び切るくらい風を受け、高速で突き進んでくる。陸に上がる寸前で舳先がスッと持ち上がり…
そのまま空中へと巨体を浮遊させた。
「上げろーッ」
よぉいとせ!
幾つもの太い声。私は少年に抱えられ、ロープに引かれて甲板の上に引っ張り上げられた。
煌めく浜辺の灯と騒乱が眼下に確認できる。こちらを見上げて安堵なのか惜別なのか涙顔の執事へ向かい、私は手を振った。
「へっ、威勢が良かったなアンタの島の連中。…魚獲りに飽きたらいつでもきなー!歓迎してやるぜー‼︎」
少年が呼びかける。浜辺から皆が叫び返す。さよなら、お嬢、元気で…
島影が遠く消えていく。さらば、私の故郷…
そこで私の疑問に少年が答える。
「どうも
「昔から食い意地が張ってたのね」
「うるせぃ。まぁこれからはアンタも仲間だ。女だからって容赦しねぇぞ、きっちり働いてもらうからな」
船長らしく胸を張って踵を返す低い肩を捕まえた。
「まだお礼が済んでなかったわ」
「はへ?」
相手を振り向かせて鼻の頭にチュ、とキスをしてあげた。本当なら唇にするべきなのだろうが、見た目的にはこちらの方が良いと思って。
「おっ、おま、お前、いきなりよくも」
「やっぱり口の方が良かった?」
ブシーッ!
鼻血の赤い水柱を高々と噴き上げて、少年は背面に転倒した。仲間が笑いながら寄ってくる。
「あーあ。慣れてないから」
「船長、女に免疫つけた方がいいですぜ」
真っ赤になり、うるっせぃ!と喚く少年。
船員達が割れんばかりに爆笑し、船のマストも揺れた。私も笑った。久方ぶりに、お腹の底から。
空飛ぶ海賊船は勇ましく朗らかに、次なる寄港地へと舵を取った。
少年海賊ハインリヒ! 鱗青 @ringsei
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