少年海賊ハインリヒ!

鱗青

少年海賊ハインリヒ!

『岬に沈んだ軍艦の引揚ひきあげ作業は本日の夕方から開催されるハロウィンパレード、及び仮装コンテストまで行われます。その後浜辺の会場でシャン社長と男爵令嬢バロネスの婚約発表、演奏隊ブラスバンドメンバーは日没後に…』

 電柱の上の拡声器メガホンから流れる、人口五千人の島内唯一のコミュニティラジオ。私は内容を聞きながら溜息。自分の婚約だというのにちっとも気分が乗らない。

 この景色も見納めか。半世紀前はイギリス本土とカナダを繋ぐ中継地として栄えた、新鮮な魚と乱暴だが優しい漁夫達の行き交う快活な港。夏だけ観光客を呼び寄せるひいなの砂浜。島のぐるりを囲むコバルトの海…幼い頃から16歳の現在迄過ごした美しい島。先祖が統治し、私の代で途絶える男爵家の領地。

 今日は10月31日。大人も子供も魔物やアニメキャラの仮装をして騒がしく通りを闊歩している。

 港から続く目抜き通りの方でギャンギャン喚く声がした。

「だぁから玩具オモチャ金貨コインなんかじゃなくとうカネを持って来いってんだ」

にゃにおう⁉︎オイラがふざけてるってのか⁉︎そのガラス玉かっ開いてよく見やがれこの老いぼれ!!」

 片方はアイスクリーム屋台の店主。もう片方は三種のアイスクリーム容器の入った冷凍庫ストッカーと同じ背丈の小太りな男の子。

 ボサボサの栗髪ブルネットを後ろに束ね、丸顔に獅子鼻、強情張りなゲジゲジ眉。焦茶のズボンに黒のシャツに真紅のサッシュベルト。まさに海賊の見本といった衣装。わぉ、キマってる!…島外の子だろうか?見覚えがない。

オイラを侮辱するとこのサーベルで一刀両断だぜ」

 少年、腰の鞘から剣を引き抜いた。小道具も出来がいい…が、店主は鼻で笑う。

「大人しくママの所に帰りな。今度は小遣いを貰ってくるんだぞ」

 ムキー!と地団駄を踏む少年の姿が可笑しくて、私は店主から金貨コインを受け取り、代わりに財布からドル札を出した。

「私がこの金貨コインを買うわ。で、代金は店主あなたに。この子に一番大きなコーンで全種類盛ってあげて」

「これは御令嬢!貴女の願いでしたら無料タダで結構ですぜ」

 黙って店主に札を押し付け、てんこ盛りのコーンを両手に捧げ持つ少年を日当たりのいい道端のベンチに誘う。

「ありがとな姉ちゃん。オイラはハインリヒ。世界を股にかけた大海賊さ!気軽にと呼んでいいぜ」

 そういうなのね。ドイツ系の名前といいやはり観光客か。

 したり顔で頷く私を尻目に少年はアイスにかぶりつく。と、どんぐり眼が見開かれた。

美味うんめぇ!何だこれ舌の上で蕩けるぞ⁉︎」

「食べた事ないの?」

おかに上がったのも久しぶりでよ。今時の食いモンは進歩してんのな」キョロキョロ通りを見回して付け加える。「変な格好の浮かれた奴らが矢鱈やたらいるのは何でだ?」

「ハロウィンだからよ」

 キョトンとしている少年に、魔物の姿を借りて帰ってきた先祖を迎えるまつりで、現在では気軽な仮装大会なのだと教えた。

「若い奴等は物好きだな」

「なあにその言種いいぐさ。自分だって子供じゃない」

オイラは充分一人前だ!馬鹿にすんな!」

 スカートのポケットの中で携帯スマフォが鳴った。着信は執事。おめかしの為に帰宅を請うメール。

「どした溜息なんかついて。祭なんだろ」

 私にとっては死刑宣告だ。これから街…いや全島を牛耳る社長の婚約者としてお披露目されるのだから。

 長距離船の開通で打撃を受けた島の経済。私の父は病魔に倒れた。そこへ現れたシャンは救世主かと思われたが、巧妙な負債の罠で港湾の権利を根こそぎ奪い取られ、気がつけば私は婚約を迫られていた…

「何だよォ、父親の治療の為に身代しんだい投げ打って病院に入れてやるとか、いい話じゃねぇかよォ」

 おろろんおろろんと男泣き。島外の余所者よそもの、しかも子供という事もあってつい一切合切を打ち明けてしまった。

「やめっちまえそんな結婚!第一、父親の治療費を人質に迫るとか男の風上にも置けねぇ」

「私が我慢すれば済む事だもの。島の皆の幸福しあわせを思う…男爵家としての最後の責務よ」

「あのな?我慢ガマンって我儘ワガママの裏返しなんだぜ?昔印度インドで坊主が言ってた」

 慰めは嬉しいが、これ以上は辛くなる。私は目許の雫を拭い立ち上がった。

「アンタには恩義ができた。望むならオイラが助けてやる」

「期待しないで待ってるわ」

おかのヘナチョコ共と一緒にすんな。海の男の誓いは絶対だぜ‼︎」

 少年の叫びを背に受け、笑いながら手を振った。

 屋敷(既に抵当に入っている)に戻り、げっそりやつれた執事を元気づけながらドレスに着替える。色は純白。

「お美しゅうございます…」

 長年我が家に仕えてくれた執事はまるで実の娘が嫁がされるように涙を浮かべ、私が脱いだ服を畳み…

 と、少年の金貨コインが落ちた。

「街で子供に貰ったの。玩具だけど綺麗よね」

 執事は髭が上になびく程に鼻息を荒げた。

「お嬢様、これは本物の古銭ですぞ。しかもスペイン金貨の上物じょうもの──」

 執事の台詞に被さる遠い演奏隊ブラスバンドの演奏。私は意を決して裾を翻した。急ごう。これ以上未練を重ねない内に。

 通りで車を拾い、浜辺に着いた頃には日が暮れていた。砂地に組んだ舞台ステージ上のテーブルに、目立つ金色の燕尾服。痩せて頭頂の髪が薄く、ちょび髭を生やしたシャン。私は階段を軽やかに上り彼の隣に腰掛ける。

「君には白がとても似合う。百合の花のようだ。我が国では生娘ヴァージンを表す花嫁に相応しい色だよ」

 公衆の面前でなかったら、張り飛ばしてしまいたい。

「大枚をはたいたが見返りには満足だ。君の父にを打った甲斐もあろうというもの」

 その含みに反応した私に、下卑た笑みが返ってくる。

「まさか貴方あなた…」

「原因不明のやまいって湧いた援助。偶然だとでも思うかね?」

 私は反射的に席を立った。が、シャンの長い蛆虫うじむしのような指が手首を掴んで離さない。

「婚約を破棄するなら同時に島の連中の生活のかても無にすぞ。座りたまえ」

 毒々しい食虫植物の色の舌なめずり。唾液の照り返しに背筋が粟立あわだった。こんな男と初夜を…?

「全部ーちゃった♬」

 え?

 テーブルクロスをはね上げて、あの少年が現れた。手にマイクを構え、クルリとトンボを切ってテーブルに仁王立ち。

『やぁやぁ遠きにあらば耳に聞け、近くば寄って目にも見よ!我こそは大海賊・ハインリヒなるぞ!』

「な、なんだこの茶番は」

『黙れ!』シャンのちょび髭に指を突きつける。『純朴な父親に毒を盛り!騙くらかして借金漬けにし!挙句に親孝行な娘をはずかしめようたぁ海賊も仰天ビックリのふてぇ野郎だ‼︎』

 音楽の止まった浜辺にざわめきと怒気が広がっていく。

かせ小僧!強い者、狡猾こうかつな者がこの世の強者だ。負け犬の泣き言など子守唄にすぎん‼︎」

『よく言った。なら、腕ずくで来い!』

 シャンはゆらりと立ち上がる。その手に部下と思しき目つきの悪い男が青龍刀を運んできて握らせた。

 相手が子供でも全く忖度そんたくせず、シャンは躾の悪い犬を打ち据えるように目にも止まらぬスピードで切先を繰り出した。が。

ユルヌルオソヨッワい」

 少年は片手で鼻を穿ホジりながら自慢のサーベルで相手の攻撃を難なくさばいている。

 ちょび髭から汗を落とすまで体力の萎えたシャンに、少年はテーブルから飛び降りるや股間を蹴り上げた。相手は白眼を剥いて悶絶。

 今度は手下の男達がどこからか湧いて出た。一人二人ではなく数十人はいる。私を背に庇いながら不敵な笑みを浮かべて後退する少年。

「皆様!どうか、お嬢様をお助け申し上げ下さい!」

 屋敷から駆けつけたらしい執事の枯れた体から響いた震える懇願に、会場の島民がわっと沸き上がる。舞台に駆け上がり、私達を取り囲んでいた連中を殴り倒し、ひっぺがしていく。

 演奏隊ブラスバンドが気を取り直し、軽快なジャズを演奏し始める。シャンの手下の男達、それに血気盛んな島の男達の大乱戦。

 まんしたように、少年が音高く指笛を吹いた。

「来い希望号ナディーヌ!」

 そして私を引っ張り舞台から駆け降り、そのまま海へ直進。踵から砂を巻き上げて走る私達の前に、夜の真っ黒な波をガバガバと割って巨大な木製の軍艦が浮上してきた。

 軍艦は帆布が伸び切るくらい風を受け、高速で突き進んでくる。陸に上がる寸前で舳先がスッと持ち上がり…

 そのまま空中へと巨体を浮遊させた。

 船縁ふなべりから太いロープが投げ落とされる。少年は片手でキャッチし、私の腰に残った腕を巻き付ける。

「上げろーッ」

 よぉいとせ!

 幾つもの太い声。私は少年に抱えられ、ロープに引かれて甲板の上に引っ張り上げられた。

 煌めく浜辺の灯と騒乱が眼下に確認できる。こちらを見上げて安堵なのか惜別なのか涙顔の執事へ向かい、私は手を振った。

「へっ、威勢が良かったなアンタの島の連中。…魚獲りに飽きたらいつでもきなー!歓迎してやるぜー‼︎」

 少年が呼びかける。浜辺から皆が叫び返す。さよなら、お嬢、元気で…

 島影が遠く消えていく。さらば、私の故郷…

 鬼火ウィル・オー・ザ・ウィスプに煌々と照らされた甲板にはむくつけき男達が笑顔で並んでいた。中にはどう見ても狼男のようなのや骸骨の神父も混じっている。するとここは彷徨えるオランダ人フライング・ダッチマン、呪われた伝説の幽霊船なのか…

 そこで私の疑問に少年が答える。

「どうもオイラ、知らないで人魚マーメイドの肉を食っちまったらしんだよな。印度の坊主の話を聞いた時だから、1722年かな?そしたらこのザマよ」

「昔から食い意地が張ってたのね」

「うるせぃ。まぁこれからはアンタも仲間だ。女だからって容赦しねぇぞ、きっちり働いてもらうからな」

 船長らしく胸を張って踵を返す低い肩を捕まえた。

「まだお礼が済んでなかったわ」

「はへ?」

 相手を振り向かせて鼻の頭にチュ、とキスをしてあげた。本当なら唇にするべきなのだろうが、見た目的にはこちらの方が良いと思って。

「おっ、おま、お前、いきなりよくも」

「やっぱり口の方が良かった?」

 ブシーッ!

 鼻血の赤い水柱を高々と噴き上げて、少年は背面に転倒した。仲間が笑いながら寄ってくる。

「あーあ。慣れてないから」

「船長、女に免疫つけた方がいいですぜ」

 真っ赤になり、うるっせぃ!と喚く少年。

 船員達が割れんばかりに爆笑し、船のマストも揺れた。私も笑った。久方ぶりに、お腹の底から。

 空飛ぶ海賊船は勇ましく朗らかに、次なる寄港地へと舵を取った。

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