第2話 それがどんなものだって、失くしたなら、取り戻せた方がいいんだ

「すごかったんだよ、花が歌いながら散っていくんだ。きらきら、きらきら。色とりどりの花が一斉に、声高らかに歌いながら」

 楽しそうに話していたサトリは不意に声を低めた。

「……歌いながら、死んでいくんだ」

 サトリの話す情景がククルにはうまく想像できなくて、ふぅん、と小さく相槌を打つ。サトリの視線は彼が淹れた黒くて苦い液体に落ちて、ククルを見ることはない。

「嫌だったのか?」

 ハナが何かは分からなくても、死ならククルも知っている。それが悲しくて、痛くて、苦しいものだということも、ちゃんと分かっている。

「嫌、嫌か、どうだろう、そうだったのかもしれない」

「歌いながら死んでいくのが?」

 ククルはサトリがくれた干した果物を一口かじった。じわりと広がった甘さの奥に苦みがある。これまで食べたどんな物よりもおいしい。思わずもう一欠けら口の中に放り込む。

「いや。それを、美しいと思ったボクが」

 ククルはパチリ、と瞬きをした。美しいと思ったボクが。件のハナのタネだという硬くて小さな物体を奥歯で噛みながら、ククルは首を傾げた。

「お前、嬉しそうだったのに?」

 さっきの表情も。ククルにタネのことを教えてくれたときも。街の住人がハナが散る最中で踊っているのだと、その時の彼らの洋服の裾がひらひらと舞う様が綺麗だったのだと、語っていたときも。

「うれしそう、だったかな」

「うん」

 戸惑うようなサトリの言葉にククルは迷いなく、頷く。さっきとは違う色の干した果物を良く噛んで飲み込む。今度はじっとりと甘かった。

「君はボクをおかしいと思わないのかい?」

「え? うん、なんで?」

「だって、ボクは死にゆくものを美しいと思っているのに」

「さっきの話じゃ、ハナっていうのは、笑いながら、歌いながら、死んでいくんだろ?」

 言いながらククルはまたタネに手を伸ばす。殻の奥にじゅわりと甘い何かが入っていて、癖になる美味しさだった。サトリは「うん」と小さく頷いて、マグカップをきゅ、と握る。

「なら、きっと、それは悲しいことじゃないんだ。お前には悲しまなきゃいけないことに見えたのかもしれないけどさ、きっと、そいつらにとって、それは、悲しい、じゃなかったんだ」

 地下街の子供は怒られると悲しいと言って泣くけれど、ククルは怒号でも嬉しいと思うのと、同じように。

「そいつらにとって悲しいことでも、別にお前が綺麗だって思っちゃいけない理由にはなんないけどさ」

 サトリは目を見開いて、ククルを見る。

「ハナがその死に方を悲しいと思ってないなら、もしかしたら、お前が綺麗だって思ってくれたことを、嬉しいって思うかもしれないぜ?」

 夜明けだった。

 ククルの背から、ゆっくりと太陽が昇る。サトリは目を見開いて、眩しいその光を焼き付ける。生きることは、不思議だ。もう、全てを知った気でいたのに、こんな風に唐突に、知らない見方に救われる時がある。

「もう、朝だ」

 ククルは呟いて、雪に埋もれていない三階の窓から、いつも通り、太陽に照らされてきらきらと光る雪を見つめる。

「うつくしいね」

 いつの間にか隣に立っていたサトリが微笑みながら、窓越しに太陽をなぞる。

「いつも、こうだ」

「そうか」

 深く、遠くへ、落ちていく声。

「君は、君だけが、この景色を独り占めできるんだね」

 ククルは小さく唇を尖らせる。

「どんなに綺麗だって、誰かが居なきゃ、俺には、分からない」

「そうかな」

 サトリはまっすぐにククルと目を合わせて続きを紡いだ。

「君はきっと、一人でも本当に美しいものを知っている、知ることが出来る人だよ。なんたって、こんなに美しい朝が原点なんだから」

 サトリの笑顔から視線を逸らすように、ククルは俯く。胸の中心にぽっかりと空いた穴が、今日も存在を主張する。ひとりぼっちはもう嫌だと喚いている。

「お前が、一緒に居てくれたら、もっと分かるよ」

 甘えるような声になった。じわり、と涙が滲む。格好悪かったけれど、取り繕う余裕はない。

「俺、寂しいのは、もう嫌なんだ」

 サトリはククルの言葉に小さく目を見開いて、灰色に濁り始めた外を見やる。

「そうか、君は、寂しい、を知っているんだね」

「お前は、知らないのか?」

「どうだろう、知っていたような気もするけれど、もう失くしてしまったんだ」

 窓をなぞるサトリの横顔に現れている感情は複雑すぎて、ククルには上手く拾い上げられなかった。それでも、サトリが何かを失くしたのだと、それを悔いているのだということは分かって。

「さよならしよう、サトリ」

 考えるよりも先に言葉を吐いていた。

「え?」

「俺たちは今日、さよならするんだ。それで、お前が寂しさを思い出したら、俺にまた会いに来ればいいよ」

「君は、ボクに行って欲しくないんじゃないの?」

「そうだよ、お前がどっか行くなんてイヤだよ。俺は、寂しいから」

「じゃあ、」

「でも、それがどんな物だって、失くしたなら、取り戻せた方が良いんだ」

 それが、ククルからしたらいい所なんてひとつもない寂しさだとしても。それを失くしたと思うのなら。そこに穴があると感じるのなら。

 それはきっと、取り戻した方が、嬉しいものだ。

「ボク、君と別れたら寂しくなるかな」

 大きな目を潤ませながら、サトリは笑う。だからククルも歯を見せて笑った。

「なるよ。だって俺、結構イイ奴なんだろ」

 サトリの言葉をなぞれば、吹きだすように目の前で笑う。その笑顔を、ククルは嬉しいと思う。そうやって笑い合える誰かが居なくなるのは、悲しいと思う。

「うん、うん。そうだね。君は結構イイ奴だから、ボクもすぐに寂しさを思い出して帰ってくるかもしれないな」

 目じりを伝った涙を拭いながら、サトリはククルの前に小指を差し出した。

「ボクの国じゃ、約束はこうやって交わすんだ」

 言われたとおりに、ククルはそれに自分の小指を絡めて、教えられたとおりの文言を唱える。どうか、この約束が、二人を、ずっと遠くの未来まで繋ぎますように。祈りを込めた声は、深い、深い雪に阻まれて、地下街までは届かない。

 そうして、ククルは荷物をまとめたサトリを遠い国へと送り出した。見えなくなった背中に、ずず、と一度だけ鼻をすすって。サトリが教えてくれた呪文を鼻歌混じりに歌いながら。

 ククルは今日も、雪をかいている。

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君の「ただいま」を待つ 甲池 幸 @k__n_ike

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