君の「ただいま」を待つ
甲池 幸
第1話 お前、人間じゃない、よな?
ククルは今日も、雪をかいている。
銀色のスコップに雪を乗せて、穴まで運んで、地下街に落とす。子供たちが笑いながら駆けよってきて、雪が冷たいとはしゃぐのが見える。ククルは急いで鉄の扉を閉めた。
途端、辺りは雪が音を飲み込んで出来た空白で満ちる。吐いたため息すら、雪の壁が吸い込んでどこにもたどり着けない。ククルは肩に積もった雪を空しく払い落として、スコップを担いだ。
ここは、深い、深い、雪に閉ざされた街。ずっと泣き続ける女神の涙が積もる街。
ククルは今日も、たった一人で地下街の入口の雪をかいている。
時刻は午後七時。今日最後の雪かきを念入りに済ませ、ククルは最後の雪塊を穴の中に落とした。
「へえ、そうやって雪を溶かすんだね」
突然聞こえた高い声に、ククルはびくりと体を震わせて、視線を上にあげた。魔女の尖がりボウシを被った、髪の短い、目のくりくりした、大きなリュックにまるで背負われているみたいな、そんな奴だった。変な奴は、ククルと目が合うとにっこり笑った。
「やあ、初めまして。ボクはサトリ。君は?」
「あ、と、ク、ククル」
「ククルか、良い名前だね。どんな意味なの?」
「え? えぇと、その、門番」
「へえ、職がそのまま名前になっているのか。実はボクもね、サトリは本名じゃなくて、呪いの、あぁ、いや、今となっては祝福かな。ボクに不死身を与えた泉の魔女が、ボクに与えた名前が、サトリ」
「へ、へえ、そうなんだ」
「うん。そうなんだ」
変な奴の鼻は真っ赤で、薄ピンクの髪の毛には湿った雪が絡みついていた。
「てなわけで、自己紹介も済んだし」
変な奴は雪の上から飛び降りて、ククルの近くで、またにっこりと笑った。
「もしよければ、暖炉を貸してくれないかな?」
変な奴、もといサトリの問いかけにククルは勢いよく頷こうとしたけれど、その前に街のオキテが彼の頭を過る。
例えば、不用意に火を焚いてはいけない、とか。
例えば、子供は外に出てはいけない、とか。
例えば──門番は、人間と触れ合ってはいけない、とか。
門番は罪人だ。自分の罪を、家族の罪を、洗い流すために女神と街の人々に奉仕する、贖罪の民だ。父親の罪を洗い流すために門番になったのに、今、さらに罪を重ねるのはマズい。とっても、マズい。
だってそんな事をしたら、この寒くて、辛くて、寂しい仕事の時間が、何年も、何年も伸びてしまうから。
「ダメ、かな?」
サトリが下からククルの顔を覗き込む。知らない匂いがした。雪の匂いじゃない、ククルが遠い昔に忘れてしまった、何かの匂い。促されるように腹がぐう、と鳴った。そう言えば、夕飯の時間をとっくに過ぎている。
「ははっ、お腹空いてるの? ボク、良い物持ってるよ。食べる? 暖炉と交換なら、あげてもいいよ」
サトリがリュックから紙袋を取り出して、ククルの前で左右に振った。
知らない匂い。
知らないもの。
知らない、人。
「お前、さっき、不死身、って言ったよな?」
「言ったね」
「じゃあ、人間じゃ、ない、よな?」
「どうだろう、ボクは確かに不死身だけどもとは人間だし、」
「人間じゃない、よな?」
サトリはパチクリと瞬きをした。
「君、ボクが人間だと何か困るの?」
ククルはサトリの耳元に口を寄せた。こんな会話が万が一にも街の人に聞こえたら困る。
「門番は人間と関わっちゃいけないんだ」
囁くように言うと、サトリはようやく合点がいったとばかりに頷いた。
「なるほどなるほど。そういうことなら、ボクは人間じゃあないよ」
「ふふん、じゃあ、暖炉を貸してやる」
オキテの隙をついて得意げになるククルに、サトリはふふふ、と笑った。
「君、結構イイ奴だね」
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