虹をわたぐ縁

黒いたち

虹をわたぐ縁

「アール……どうか、やすらかに」


 セキセイインコにしては長生きだった。

 小学生の時に家に来て、県外の大学に行く時も一緒だった。

 コバルトブルーの体を、もういちど撫でてひつぎにもどす。

 四角い箱の棺は白く、敷いてある白い布が、ひかえめな照明を反射した。 


「――よろしくおねがいします」


 ひかえていたペット葬儀社の人に頭を下げる。

 アールとは、ここでお別れ。

 こらえていた涙が落下し、靴先くつさきに染みこんだ。






「……これがペットロスか」


 あれから、何もする気が起きない。

 そのうえからのケージを見るのがつらく、アパートにも帰りたくない。


 近所のファストフード店がカフェ仕様にリニューアルしたので、そこに入り浸る毎日だ。

 すこしぐらい長居しても、悪目立ちはしない。

 大学生のお財布にも優しいし、なにより他人の気配で、気がまぎれるのだ。


「コーヒー、買ってこよう」


 食後に財布さいふだけ持って席を立つ。

 視界に入ったカップルが、ポテトの食べさせあいをしていた。

 いつもなら気に留めないが、心に穴があいた今はうらやましい。

 おちこんだときは、いつもアールが肩にのって慰めてくれた。

 その存在は、もういない。


 うつむき、前をよく見ていないのが悪かった。


「――うわっ」

「え?」


 顔をあげると、ドンッと誰かにぶつかった。

 

「マジかよ!」

「すみません!」


 反射的に謝るが、目の前の光景に青くなる。

 ぶつかったのは若い男性で、彼が手にしていたトレイのジュースが倒れて、服にかかっていた。


「あ……本当にすみません!」


 おろおろしていると、男性はとなりの友達らしき人にトレイを手渡した。


「――海翔かいと?」

「帰る」

「え!? これ、どーすんの!?」

「知らん!」


 そういって、男性はきびすをかえす。


「――待ってください!」


 友達らしき人に一礼して、わたしはあわてて男性を追う。


「あの……服とハンバーガー、弁償します」

「いらん」

「じゃあ、お金だけでも――」

「しつこい! ついてくるな!」


 いきなりの大声に、何事かと人目が集まる。

 男性はおおきく舌打ちして、そのまま退店した。




 拒絶されて、外まで追いかける勇気はなかった。

 財布は手にしているが、カバンは席に置いたままだ。

 

「……もう帰ろう」


 重いため息をついて、席に戻り、カバンを手にする。

 窓際の席に、彼の友達らしき人が座っている。テーブルにトレイが二枚あるから、まちがいない。

 一言、おわびを言ってから帰ろう。


「あの……」

「――はい? あ、さっきの」

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

「いいよいいよ。こっちこそ、海翔かいとがごめんね。あいつ、ちょっと落ち込んでて……情緒不安定だから、大目に見てやって」

 

 彼は冗談っぽく笑う。


「お手数をおかけしますが、海翔さんにクリーニング代を渡してもらうことはできますか?」


 親しみやすい人だったので、わたしは財布を取りだす。

 すると、彼があわてて両手を振った。


「だめだめ、仕舞しまって! かつあげと勘違いされちゃう!」


 おもわず吹きだすと、彼がにこりと笑った。


「お姉さん、大学生?」

「はい、そうです」

「俺も。――よかったら、合コンしない?」

「へ?」

「俺も海翔も彼女募集中。俺がちゃんと海翔の機嫌とっとくから、ね?」


 こちらをうかがうように見上げてくる。

 悪い人ではなさそうだ。

 それに――自己満足になるが、ちゃんと海翔さんに謝りたい。

 

「……わかりました」

「やった! 俺、菅原柊すがわらしゅう。お姉さんは?」

後藤陽葵ごとうひまりです」

「ひまりちゃんね。俺のことは柊でいいよ。ID交換しよう」


 そうしてしゅうくんと連絡先を交換して、アパートに帰った。






 明るいうちにアパートに帰るのは久しぶりだ。

 太陽光のなかで見る部屋は――きたない。


「……掃除しよう」


 合コン用の服も、発掘しなくてはならない。

 ゴミを分別し、たまった食器を洗い、掃除機をかけるために窓を開ける。


 雨上がりの空、遠くにうっすらと虹が見えた。

 アールは、あの虹を渡ったのだろうか。

 すこし冷たい風に目をすがめたとき、視界のはしになにかが映った。


「――え?」


 宙を横切るちいさな影は、まっすぐキッチンに消えた。

 それはまるでセキセイインコのようで――。


 私はおもわずキッチンに駆けこむ。

 いつものくせで、アールの指定席――ふきんハンガーに目をやる。

 

「うそ……」


 そこには、緑の体に黄色い羽を持つ、一羽のセキセイインコがいた。




 すぐさま窓を閉め、空のケージにインコを入れる。

 アールとは色違い、すぐに迷いインコだと想像がついた。

 すこし元気がなさそうなのは、疲れているからだろう。

 この子には、新鮮なエサと水、安心できる寝床が必要だ。

 このうちには、そのすべてがそろっている。


「元気になったら、飼い主を探してあげるね」

 

 ゆっくり休めるように、ケージに目隠しの布をかぶせ、物音を立てないように残りの家事をかたづけた。




 インコは、数日で見違えるほど元気になった。

 そしてとても人懐っこい。

 飼い主が、愛情をもってお世話をしていた証だ。

 この子がいなくなって、さぞやがっかりしていることだろう。


「チラシをつくって、電柱に貼ればいいのかな……? とりあえず、写真を撮ろう」


 カゴをあけると、待っていましたとばかりに私の肩に乗ってくる。

 服にくちばしをこすりつける姿がかわいい。

 スマホをカメラモードにして、インコに向ける。


『……かわいいね』


 インコが、初めてしゃべった。

 アールもおしゃべりが上手だったから、この子もしゃべってもおかしくないけど、どうして今?


「もしかして、飼い主がいつもスマホで撮影してたから……?」

『パセリ、おるすばん。パセリ、ハイは? ハイ! パセリ、いいこだねー!』

「――パセリ! 体が緑だから、パセリだ」

『パーセリ、パーセリ、パーセリ』


 ごきげんに歌い出した。


「チラシに、パセリって書くね! あとは保護した住所……浅岡町あさおかまち――」

『あさおかまち……つつみパセリ、さんさいです』

「え?」

『パセリえらいねー! いいこだねー!』

「パセリちゃん、もう一回言って。――あさおかまち?」

『あさおかまち、さんちょうめ。つつみパセリ、さんさいです』

「浅岡町三丁目! となりの町会だ! 三丁目の、つつみさん!!」


 すごい!

 住所を覚えさせた飼い主も偉いけど、おぼえてしゃべれたパセリちゃんは10億点!!


「たしか町内マップが……あった!」


 詳細なマップには、苗字みょうじがすべて載っている。 


「三丁目……つつみさん!」

『つつみパセリ、さんさいです!』


 パセリちゃんと顔を見合わせる。

 心なしか、うれしそうに見えた。






 『パセリ、おるすばん』してもらい、先に私だけ訪問して確認することにした。

 黒い外壁がいへきの一軒家に、つつみと表札がかかっている。

 ドキドキしながらチャイムを押す。


『……はい』


 インターホンから聞こえてきたのは、不機嫌そうな男性の声だった。


「あの、私、近所の者です。先日、パセリちゃんというインコを保護したのですが――」


 バタバタと足音が聞こえて、すぐにドアが開けられた。


「パセリを!? ――どこですか!?」


 若い男性が、はだしで飛び出してきた。

 私の手元にせわしなく目線をやる。


「今日は連れてきていません。確認をしたかったのですが、ここの子で間違いないようですね。パセリちゃんは、うちで元気にしていますよ」


 告げると、男性がいきなりしゃがみこんだ。


「ああーー! よかった! ありがとうございます」


 心底安心したように言って、男性が私を見上げる。

 彼の顔をどこかで見たような気がして、私は記憶をさぐる。


「――海翔かいとくん?」

「え? ……誰だっけ?」

「あの、こないだハンバーガー店でぶつかった……」


 海翔くんがたちあがる。


「ああ、パセリが逃げた日か。あの時は悪かったな」

「ううん。悪いのは私だし――」

「もう時効だ、気にすんな。それよりパセリを迎えに行くわ。靴、はいてくる」


 言うが早いか、海翔くんは家に入り、すぐに鳥かごを持って出てきた。

 こうなれば、案内するしかない。

 徒歩二分の距離を、ふたりでならんで歩く。

 このあいだと違い、海翔くんはにこにことしていた。 


「正直、パセリには二度と会えないと思ってた。感謝する」

「パセリちゃんが、名前と住所をおしゃべりしてくれたからだよ」

「マジか。パセリ偉すぎだろ」


 こうして話してみると、明るい男の子だ。

 パセリちゃんの話をしながら、私のアパートにたどりつく。


「散らかっているけど、どうぞ」

「おじゃまします」


 掃除しといてよかった!!

 強く思いながら、海翔くんを部屋にあげる。

 ピチュチュ、とパセリがさえずり、海翔くんがケージに駆け寄る。


「――パセリ!! うわー、おまえ本当に……よかった」


 ケージのまえに座りこみ、鼻をすすって目をこする。

 な、泣いてる!?


 海翔くんはパセリをそっと両手でつつみ、ケージから鳥かごに移す。パセリはおとなしく、されるがままになっていた。


 振り返った海翔くんは、目がすこしだけ赤い。


「エサ代とか、こんど払うわ」

「いいよ。――うちの子の、残りだから」


 海翔くんが言葉につまる。

 それに気づき、あわてて付け足す。


「開封したばかりだから、賞味期限は大丈夫!」

 

 わざと冗談っぽく言うと、海翔くんが声をあげて笑う。

 感情表現が豊かな人だ。


「おまえ、名前は?」

「後藤、陽葵」

「ひまり。おまえはパセリの恩人だ。なにかお礼がしたい」

「ううん。お礼はパセリちゃんから受け取ったよ。すこしだけど、またセキセイインコと暮らせて楽しかった」


 海翔くんが、首をかしげる。


「じゃあまたパセリに会いにこいよ。近所だろ」

「……いいの?」

「いつでも。あ、ひまり、合コン来るよな?」

「……実は苦手なの、合コン」

「俺がいるから平気だろ? ひまりのインコの話、聞かせろよ」

「うーん、それなら行こうかな」

「決まりだ! じゃ、またな」

「うん。ばいばい、パセリちゃん、海翔くん」

「……パセリが先かよ」


『パセリえらいねー! いいこだねー!』


 得意げなパセリちゃんに、おもわず吹きだす。

 つられたように海翔くんが笑い、ふたりの明るい笑い声が、私の部屋の空白を満たした。

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虹をわたぐ縁 黒いたち @kuro_itati

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