僕と彼女のワンピース
冬野瞠
ある記録
この記録を再生している、どこかの誰かへ。
少し時間を割いて、僕と彼女、ふたりの物語を聞いてはくれないだろうか。
アンドロイドと人間が、このどうしようもない世界で生き、そしてそこに確かに存在した、心を通わせたひとときの物語を。
僕はこのログを、彼女に教わった言葉と感情表現を用いて記している。彼女は僕にあらゆることを教えてくれた。兵器としての運命を背負った僕の中に、彼女の言葉や知識は、粛々と舞い落ちる雪のように積もっていったんだ。
願わくばあなたの心の中にも、彼女という存在が刻まれますように。
だらだらと長く続いた最終戦争はなあなあに終わった。国家も民族も維持できなくなり、既存の世界はいつしか瓦解した。破滅的な戦争に勝者も敗者もない。都市は瓦礫の山になり、自然に侵食され、何千年か続いた人間の文化的営みは儚く無に帰した。
戦争の終盤に生まれた僕らみたいな殺戮兵器たちは、一度も戦場を見ずにお払い箱となった。戦いの知識しか持たない僕らは、存在意義をまるごと失ったのだ。
彼女との出会いは、荒廃した世界を
瓦礫の山から使えるものを物色していると、近くで物音がした気がして、僕ははっと振り返った。人類の抑圧から自由になった野生動物はみんな凶暴化していたから、僕のような兵器といえど用心は必要だ。
近づいてきた影を見て、僕は思わず瞠目した。その際の感情は驚きや、動揺だったのだろう。
相手は可憐な少女だった。長い髪とワンピースの裾をを
反射的にそこらの石を拾って握りこみ硬直する僕に、彼女は「こんにちは」と涼しげな声で朗らかに挨拶した。
話しかけられる想定は微塵もなかった。しかも、友好的に。思考回路は乱れ、狼狽が態度に出る。
「だれ……きみ、なに?」
最低限の言葉しか知らない僕は切れぎれに尋ねた。
「大丈夫、敵じゃないから安心して。あなたと友達になりたいと思って話しかけたの」
「ともだちって?」
訊き返すと、相手は表情を曇らせる。今の僕には分かるが、それは明確に悲しみだった。
彼女は気を取り直したように笑みをつくる。
「意味はこれから知っていけばいいよ。良かったら話し相手になってくれない? もうずっと誰とも喋ってなくて退屈なの」
僕のような存在との会話に何の意味があるか分からないが、敵意も感じられないし、拒絶する理由もない。呆気に取られたまま僕が曖昧に頷くと、何が嬉しいのか、彼女の顔がぱっと華やいだ。
「退屈」との言葉は本当だったらしく、彼女はとにかくよく喋った。そしてあらゆることを知っていた。
「まず拠点を探そう」
出会った直後、そう提案してきた彼女が目をつけたのは、瓦礫となった都市の外れに建つ、ログハウス風の一軒家だった。ガスは使えなかったが庭に井戸があり、自家発電機も備わっていた。荒れ放題の家の外と中を彼女はてきぱきと片付ける。
「雨風を凌ぐために、持ち主が戻ってくるまでここを貸してもらいましょう。私たちは部屋に手を入れたり道具を整えたりしておくの。それでもし、元の家主さんが戻ってくれば」
「攻撃する?」
「あら、そんなの駄目。戦争は終わったんだから、これからは言葉を使わなくちゃ。説明すればきっと分かってくれるはず」
「ことば……」
武器の代わりに言葉を使う、というのがどういうことか、そのときの僕には理解が及ばなかった。
そんな僕に彼女は様々な言葉を教えてくれた。言葉だけじゃない、色々な分野の知識や概念や感情までも。
彼女に出会う前も、僕は別に困っちゃいなかった。空と大地があって、植物が繁り、生物が息づいていて、今は彼女と僕がいる。それで充分だと思っていた。けれど、彼女の傍らで草花や鳥や昆虫や動物の名前を少しずつ教わるほどに、僕が知っている世の中の物事はほんの少しで、この世界は僕の貧弱な想像力に余るほど広いのだという途方もない気持ちになった。
知れば知るほど世界の複雑さを思い知らされる。それは不思議な感覚だった。
彼女は知識を持っているだけでなく、料理上手でもあった。
僕らは森で野生化していた鶏を飼い始め、安定的にタンパク質を摂れるようになった。彼女は卵が手に入ると、火を通してふわふわの料理を作ってくれた。オムレツというらしい。
彼女が皿に手を合わせ「いただきます」と言うのへ「それはなに?」と訊き返す。嫌な顔ひとつせず「いただきますはね、食べ物すべてに感謝を表す意味の言葉なんだよ」と教えてくれた。僕も、彼女の真似をしていただきます、と言ってみた。
オムレツを口に入れると、舌の上の受容器が味を感じ取って、ほわっと胸のあたりが温かくなった。無意識に目を見張り、口元をほころばせてしまう。そんな反応が自分の中から出てくるのは初めてで、うまく言葉にならない。
「美味しいね」
彼女は嬉しそうだ。この気持ちが果たして"おいしい"という感情なのか、僕には判断できない。
僕の体には消化機能は備わっているけれど、彼女と気持ちを共有できないのが少し悲しかった。
そうやって過ごすうち、僕も彼女ほどではないが上手に言葉を使いこなせるようになった。毎日は穏やかで、それでいて新鮮な驚きや発見に満ちていた。
僕は特に、黄昏時に丘の上へ出掛け、彼女の隣で夕日を眺めるのが好きだった。毎日表情を変える夕焼けも綺麗だったけれど、茜色に照らされる彼女の横顔は、それよりもっと荘厳な雰囲気を纏って美しかった。彼女の姿に僕は何度も見とれ、これが憧れなのかな、とどこか切ない気持ちがあふれた。
ある日丘を降りるときに、彼女の指が僕の手に絡んだ。優しげに、思慮深く、自然体に。そうっと握り返すと、僕の手に備わった触覚センサーが、彼女の掌の感触を伝えてくる。
僕が握るべきなのは武器ではなく、彼女の手だったのだと、その瞬間に理解した。
ふたりの充足した日々。それが永くは続かないのでは、という漠然とした疑念が生まれたのはいつだったろう。
違和感があっても最初は気づかないふりをしていた。たまたま調子が悪いのだ、と無理やり自分を納得させて。でも、徐々にそれが無視できないほど顕著になっていった。
彼女が壊れる予兆が、だ。
彼女は長時間無言で遠くを見ることが増えた。会話の文脈が支離滅裂になり、自身も困った顔をする頻度が増した。手足の連携が取れず、物を落としたり転倒したりする回数が増えていった。
でもきっと、昨日もその前も致命的なことは起きなかったのだから、明日もその先も日常は続くはず。そう思いこんだ。思いこもうとした。
僕は愚かにも本質から目を逸らし続けた。別れは突然だった。
その日僕が目覚めると、リビングの椅子に彼女が俯いて座っていた。
「おはよう……?」
ただならぬ雰囲気を感じつつ朝の挨拶を投げかける。答えない相手に歩み寄り、気がついた。
彼女――ヒトの心をエミュレートした完全自律型汎用アンドロイド――は、座った姿勢のまま、全ての機能を停止させていた。
僕は呆然と、微動だにしない彼女を前に、馬鹿みたいに立ち尽くした。
彼女がいつも着ていたワンピースは机の上に畳んで置かれており、隠れていたアンドロイドの無機質な素体表面があらわになっていた。僕は、昨夜交わした最後の会話を思い出した。
「私の全機能が完全停止したら、このワンピースを君にあげるね」
突然切り出されて僕は仰天する。
「え……どうして突然、そんなに悲しいことを言うの?」
「近いうちに必ず起こるから。私たちはやっぱり、人間ほどは長く活動できないみたい。純正の部品なしじゃ余計ね。頑張って自己修復を重ねてきたけれど、もう限界みたいで」
彼女は悲しみを強いて抑え、淡々と話している風に見えた。その姿はどこか痛々しかった。
僕は混乱でどうしていいか分からなくなってしまう。
「でも……でもそのワンピース、お気に入りでしょう? 貰えないよ」
「そう、とってもお気に入り。だからこそ君に貰ってほしいの。丘にいるときとか、よく見ていたでしょう?」
彼女が微笑して僕の顔を覗きこむ。
顔が熱い。そうだ、僕は彼女のワンピース姿に憧れた。それを悟られていたとは。頬から火が出るほどの気恥ずかしさを覚えた。
僕は自分の摩りきれた服の裾を掴む。
「僕には……似合わないよ。着る資格がない。兵器だから」
「そんなことない。君はもう兵器じゃないし、とっても可愛いんだから」
ふわり、とたおやかな腕に抱き締められる。
「君はこれからどんどん可愛くなっていくはず。本当は成長の様子を見守りたかったけれど、その願いは叶わないみたいね。でも、なにかを楽しみに眠るのも悪くない、そう私は思う」
僕らは長らく抱き合っていた。あれは彼女の遺言だったのか。
活動停止前にワンピースを脱いだのは僕の心情を慮ってだろう。彼女からの言葉があっても、彼女の服を脱がすなんて自分にはきっとできなかった。
僕は声をあげてわんわん泣いた。記憶にある限り、初めて流した涙だった。
これが僕と彼女が出会い、別れた顛末だ。
別れた、は正確じゃないかな。彼女の存在は僕の中に息づいている。
彼女のワンピースには袖を通していない。今の自分にはまだ、あの可愛い服は似合わないと思うから。
深層心理で憧れていたような、可愛らしい女の子になれるかは自信がない。でも、僕の中にはお手本がいるから大丈夫だと信じている。彼女に
この世界で、
僕はこのログを、彼女に教わった言葉と感情表現を用いて記してきた。彼女のことを、あなたも覚えていてくれたら嬉しい。
それが僕の、ただひとつの望みだ。
僕と彼女のワンピース 冬野瞠 @HARU_fuyuno
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