フラグメンタル・コメンタリー

@syu_neko

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他人の感情や信念をほんの少し操作できる、それが私の中能力だ。説明するまでもないだろうが「中能力」とは「中途半端な超能力」の略称である。


彼はいつも物静かで、ややもすると必要最低限のことさえ話さなかった。酒が大好きで昼も晩もなく嘘のように大量に飲んだが、それによって口数が増えることはまったくなかった。


なぜ無意識はリアルであるかのようなフィクションなのか。「世界の謎」へと階層的に迫っていく。


中学校?の校舎。アスレチックのような。夢。


心、意識、人格、精神、魂をジャックする。


不可能な脳外科手術。海辺。


痛み。尿道と肛門から現れる骨。


とっくに取り壊されたはずの自宅。その三階にある巨大な書斎。祖父が残した謎の宝物庫。


超高速での飛行。


「世界は壊れてしまったの?」「なぜそんなことを言う?ちゃんとよく見てみろ。ちょっとしたヒビさえ入っていない」


けっきょくのところ「みんな」や「誰もが」といった表現の外延について、哲学的あるいは論理学的ないしいたずらをした子どもにたいする親のように反応すべきではないのだ。それらはすべて修辞なのだから。


「率直に言って金には興味がないんだ。しかし、だからといって、死んだ人間を頼まれるままこれみよがしに次から次へとポンポン生き返らせるわけにもいかないだろ。要するにそれ相応の覚悟を見せろってこと。それがさしあたり十億円なわけさ」


みずからの正当性をまったく主張しない。


ひとつの全体としてよきできたストーリーなどまったく必要ない。そのつど印象的なイメージをうまく積み重ねさえすればそれでいい。


夏休み前の終業式の日が延々と繰り返されたなら───


公共とその反対物。


おそらく歴史的な地震だと予感してまず思ったのは、自宅の本棚が倒れてなければいいなということだった。


卒業というテーマ。


ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』最終節「語りえぬことについては沈黙せねばならない」は、その見た目の強烈さに反して「あんまりくだらないことは言うなよ」程度のコメントにすぎない。ちなみに「くだらないこと」の定義を大幅に拡張して書かれたのが『哲学探求』だ。


「ゼロ記号」とか「対象a」とか「機能的に等価」とか言っておけば収まりがついた時代があったとか。


その機械のような生物のような物体(と言っていいだろう)はみずからを「ハシュミン」と名乗った(と言っていいだろう)


姉は妙に恥ずかしがっていた。


本当に水槽のなかの脳であれたなら、どんなに幸せだろう。


なぞなぞ。汚くておぞましくて許しがたいものってなーんだ?


それは夢であり夢でない。

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