春告草の恋
白里りこ
梅の花のこと
二月の終わりごろになると庭の梅の木の花が咲く。
木の上に鮮やかな和装の女の人が座っている。半透明の姿をしているから、霊とか神仏の類だとすぐに僕は分かった。
僕は窓からじっとその女の人を見ていた。
その人は裸足の足をぶらぶらさせていたが、ふとこちらを見た。
ぱちっと目が合った。
女の人はにこっと笑って僕を手招きした。僕はどきっとした。
急いで玄関に回って、小さな手で上着のボタンをとめて、庭まで駆けて行った。
女の人はまだ梅の木にいた。紅と緑と桃色の重なった着物がとても綺麗だったし、ほんのり赤く色づいた白い顔もとても綺麗な人だった。
僕はどきどきしたまま、話しかけてみた。
「あなたは誰ですか?」
「んー。春の妖精? みたいなもの」
「どうしてうちに来てくれたんですか?」
「楽しそうだったから。梅の花が綺麗で」
「ふーん」
春の妖精さんはしばらく幸せそうに周囲を見渡したり、梅の花に触れたりしていたが、やがてすっと枝の上に立ち上がった。
「そろそろ行かなくちゃ」
もう? と僕は思った。
「また来てくれますか?」
「いいえ、来ないと思うわ。同じ場所には行かない趣味なの」
僕は大変残念に思った。このまま会えなくなるのは寂しい。何とかしてもう一度会いたいと思った。
「じゃあ、来年は? 来年はまた来てみてくれますか?」
妖精さんはにこにこした。
「来年は私じゃないから分からないわ」
「あなたじゃない?」
「同じ春は二度と来ないもの」
「……!」
僕は胸を衝かれたような気持ちになった。
この妖精さんの命は短くて、今年の春にしか存在しないものなのだと悟ったからだ。
「そうですか」
僕はしゅんとした声で言った。
「じゃあ、今年はたくさん楽しんでくださいね」
妖精さんはちょっとびっくりしたように僕を見て、それから更に笑みを深めた。
「ええ、そうするわ」
それからふわっと着物と長い黒髪とをなびかせて、梅の木から宙へと舞い上がった。
「さようなら、坊や」
「さよなら、妖精さん」
妖精さんは風に乗ってどこかへ飛んでいった。
それから毎年二月ごろに、僕は庭の梅の木を気にするようになったけれど、やっぱり春の妖精さんは二度とうちに来ることはなかった。
あの妖精さんだったからこそ僕の家の庭の木を気に入ってくれたのだと思うと、ちょっと嬉しい反面、どうしようもなく悲しい気持ちになる。
多分あれは恋みたいなものだった。唐突に始まって唐突に終わってしまう、春を告げる花のような、儚く美しい恋だった。
今でも僕は、あの鮮やかな衣と華やかな笑みを、鮮明に思い出せる。
おわり
春告草の恋 白里りこ @Tomaten
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