終わりと始まりの出会いⅧ

 「もうちょっとだからな」


 広場に向かっていたはずの蒼羽は緑茂る丘を登っていた。

 絲は蒼羽に手を引かれたまま黙々と坂を登る。

 一度広場に向かったものの、外国人を狙ったスリがあったようで広場は警備隊と野次馬で溢れかえっていた。

 折角のあんぱんだ、落ち着いて味わいたい。

 蒼羽は二つ目のとっておきに絲を案内することにした。


 丘、というよりは緩やかな山の斜面のそこには短く柔らかな草が生い茂っている。


「よし、ついた」


 森に入る手前の大きめの岩の上に登り、蒼羽は腰掛けた。

 隣をポンポンと手で叩いて示し、絲を隣に座らせる。


「いただきます」


 絲が隣に座るのを見届けてから、蒼羽はあんぱんにかぶりついた。


「やっぱり美味い」


 ふんわりしたパンの食感、粒あんの程よい甘さが相変わらず絶妙だ。

 これ以上美味いものを知らないと言うほど、蒼羽の中での大好物なのだ。

 隣を見ると、絲ももぐもぐと口を動かし食べているが、残念ながら何か変わりがあるわけではなかった。

 そう簡単にはいかないか、と呟き蒼羽は残りを平らげる。


 二人があんぱんを食べ終わった頃、前から差す光が眩しくなったのに気づき、蒼羽は悪戯をしかける子供のように絲に声を掛けた。


「見てみろよ」


 蒼羽は前に視線を向ける。絲もつられてそちらに目を向けた。

 絲の目が見開かれる。

 目の前には山に囲まれた街、その先には海に沈みかけた夕日。その夕日が街も、草原も、そこに咲く白い花も輝くオレンジ色に染めていた。


「すげーだろ。この時間が一番綺麗でさ。ここ、俺のとっておきの場所、秘密基地なんだ。兄貴しか連れてきたことないけど、お前には特別に教えてやるよ」


 蒼羽は久々に見たその景色に興奮気味に口を開く。

 絲はそんな蒼羽を見つめた後、視線を再び目の前の景色に移した。


「……きれい……」

「へっ?」


 突如聞こえた華奢な声。

 蒼羽は目を丸くし慌てて絲の方に向き直った。


「お、おまっ、今喋っ……」


 驚きで上手く言葉が出ない蒼羽を絲はまっすぐ見つめた後、首を傾げた。


「お前、喋れるようになったのか?」


 絲は蒼羽の問いを聞いても真顔のまま首を傾げ続けている。しばらくそのままでいたが、やがて首を横に振る。

 その様子に蒼羽は戸惑いの表情を浮かべた。

 反応が返ってくることを待ちわびていたはずなのに、いざその状況になるとどうしていいか分からない。

 絲は何も言わず、じっと蒼羽を見つめたままだ。

 先程の反応は、喋れるようになったのかに対する否定だろうか。


「喋れるようになったわけじゃないのか?」


 蒼羽が尋ねると絲は今度は縦に頷いた。これは返事ということで良いのだろうか。

 もしかするとさっきのはただの聞き間違いで、声ではなく風の音か何かだったのかもしれない。

 絲は急に目を瞬かせた後、辺りを確かめるようにキョロキョロと見回した。そして一点を見つめ動きが止まる。

 蒼羽も自然と彼女の視線の先を辿った。


「鈴蘭?」


 絲の視線の先には白い鈴蘭の花があった。


「欲しいのか?」


 聞こえていないのか絲は花を見つめたまま何も応えない。その表情は何か考えているようにも見える。

 蒼羽は岩を滑り降ると、鈴蘭の茎を刀で切り手に取った。刀を手拭いで拭いてから鞘に納め、岩の上から見下ろしている絲に鈴蘭を差し出す。


「ほら、やるよ」


 その言葉を聞いて絲は鈴蘭を受け取った。

 ここは鈴蘭が育ちやすいらしく、そこら中に白い花が咲いている。一輪くらいもらっても誰も咎めはしないはずだ。


「ただし、帰ったら手をしっかり洗えよ。そいつ綺麗に見えて腹痛起こす毒花だからさ」


 蒼羽の言葉に絲は大きく頷き、両手で大事そうに鈴蘭を持っていた。


 表情が変わったわけじゃないし、喋れるようになったわけじゃない。

 だが、少なくとも意思疎通はできるようになったし、薄っすらとだが感情を感じられるようになった気がして蒼羽は小さく息を吐いた。


「ま、一歩進んだかな」


 視線を景色に戻すと、目の前の夕日は今にも沈みそうだった。

 蒼羽はそこでやっと大事なことを思い出す。


「やべ! 完璧に暗くなる前に帰んねーと」


 亥の刻は蒼羽の所属する四番隊が見回りの当番になっている。

 その前には寮にいなければならない。もう異動は御免だ。

 暗くなると吸血鬼と遭遇する確率も上がる。絲を連れたまま戦闘に入るのは避けたい。


「ほらっ、行くぞっ」


 絲の手を取って岩から降ろす。ふわりと飛ぶように下りてきた彼女の髪が柔らかく揺れ、蒼羽の心臓が鳴った。


「?」


 よく分からない感情に首を傾げながらも蒼羽は絲の手を引き坂を駆け下りていく。


 沈みかける夕日に照らされ、沢山の白い鈴蘭の花が笑うように揺れていた。

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千紫万紅の吸血鬼 @usagi-komatsu

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