トルコ一人旅で出会ったおじいちゃんに予想外のことを言われて泣いちゃった話

四辻さつき

短編エッセイ

 私は約13年ほど前に、トルコに10日間ほど女一人旅をしたことがある。

 トルコは親日国だと聞いていたが、本当に親切で気さくな人が多く、行く先々で素敵な出会いと別れがたくさんあった。


 どれも心温まる思い出だが、その中で1つ、とあるローカルな街での出会いの中で、とても衝撃的な出来事があった。

 先にお伝えしておくが、怖い話とか胸糞話ではないので安心して欲しい。

 ただ、日本の常識からは考えられないようなエピソードで、深い学びとなった出来事だったので、この機に書き記してみたい。



 それは、イズミルという港町を訪ねたときのことだった。

 イズミルは日本人観光客が少ない街で、中でもローカルな通りのゲストハウスに泊まったため、道を歩くだけで珍しがられてじろじろ見られてしまった。でも治安が悪いわけではなかったので、私はローカルな雰囲気を堪能すべく、のんびり散歩を楽しんでいた。


 そして、地元の小さなモスクを見学していたとき、声をかけてきたのが、シュクル・オナルというおじいちゃんだった。


 シュクルはいかにもムスリムらしい長いひげを生やしていて、日本人とは初めて会ったととても喜んでいた。彼は英語が話せなかったため、友人らしい若い男性※に頼んで、片言の英語で通訳してもらっていた。

(※彼の名前は忘れてしまったので、仮にオスマンと表記する)


 私が気ままな一人旅だということが分かると、シュクル達は張り切って、2日間に渡って街を案内してくれた。ローカルな市場、大きなモニュメントのある広場、見晴らしのいい展望台。ちょっとした観光船に乗せてくれたり、おすすめのレストランでおごってくれたりもした。

 私はすべてのことが楽しくて、何でも喜んだし、そんな私を見て、シュクルもとても嬉しそうだった。また、私は現地の人に勧められたものは全部食べることを旅の信条にしていたので、シュクルが勧めてくれる謎のローカルフードを全部残さず食べた。市場の生にんじん100%ジュース、原材料不明の激甘チョコレートケーキ、お肉のヨーグルト和え……などなど。内心ヒエッとなってはいたけど、一人では絶対に経験できないことだし、それはそれでとても楽しかった。


 そんな風にして、とても気に入られた結果――2日目に、シュクルの自宅に招かれた。


 私は気軽な気持ちで、お招きにあずかることにした。今思えば騙される日本人観光客の典型なのだが、結論から言うと、幸いなことに騙されてはいなかったし、危ないことも全くなかった。

 しかし――私にとって完全に予想外の出来事が、そこで起こった。


 シュクルの家は、古い住宅街にあった。小さいが快適そうな部屋だった。

 トルココーヒーをいただいて一息ついたとき、シュクルが、とても真面目な顔で話しだした。


「サツキ、私は君のことをとても気に入った。だから、君にぜひ話さなければいけないことがある。君の幸せのために」


 改まった雰囲気に、私は落ち着かない気持ちになった。一体何の話だろう。


「イスラム教に改宗しなさい」


 え? 今なんて?

 きょとんとしている私に、シュクルは真剣な顔で話しだした。


「君の宗教は仏教やシントーだそうだけど、それは本当の神ではないんだよ。神はアッラーだけなんだ」


 ずっと通訳してくれていたオスマンも深く頷き、机の上にあった置き物を手にとって言った。


「他の神を信じるということは、このただの置き物をありがたがって信じてるのと同じなんだよ。デタラメなんだ」


 話しているうちに、オスマンの言葉にはどんどん熱がこもっていった。


「そんなものを信じていたら、天国へ行けなくなるよ。イスラム教に改宗して正しい神に祈れば、死んでから永遠の時間を天国で過ごせるんだ。今生きている時間よりも、死んでからの時間の方がずっと長いんだよ!」


 ――衝撃だった。

 一神教と多神教の違いは知識として知っていたけれど、私はこのとき、初めて肌で感じた。この、決定的で埋められない感覚の違いを。


 彼らが、善意で改宗を勧めてくれていることは、ひしひしと伝わっていた。

 たとえば新興宗教の勧誘のように、いい想いをさせてから入信させるといった、計算ずくのものではなかったと思う。純粋に、日本人が珍しいから観光案内してたけど、いい子だったから、ちゃんと幸せにしてあげよう、と思ったのだ。

 そのためには、イスラム教への改宗が一番重要だ。彼らにとって、イスラム教以外の宗教は偽物だからだ。

 彼らから見て私は、こんな迷信を信じてるなんて、いい子なのにもったいない、みたいな感じに映っていたのだと思う。


 また、私が衝撃を受けたのが「今生きている時間よりも、死んでからの時間の方がずっと長い」という台詞だった。

 おそらく善良で穏健なイスラム教徒である彼らにしてこの感覚なのであれば、過激派や原理主義者がジハードに参加したり、自爆テロをすることも道理だよな……と、すごく納得してしまった。


 シュクルは、ヒートアップしたオスマンをまあまあとなだめながらも、やはり真剣な顔で言った。


「サツキのためを思って言ってるんだよ。君は大切な友人だから、幸せになって欲しい」


 私は、もうどうしていいのか分からなくて――泣いてしまった。

 気持ちは本当にありがたいけれど、私は日本人で、イスラム教を信じられる素養がなさすぎる。カミは森羅万象どこにでも宿り、死んだら生まれ変わる世界の人間なのだ。


「……宗教が違ったら、友達にはなれないの……?」


 私が泣きながらそう言うと、シュクルは慌てた顔をした。

 そして、そんなことはないよ、君はこれからも大切な友人だよと慰めてくれた。

 きっと、内心は残念だっただろうけど、泣かせては可哀想だと思ってくれたんだと思う。オスマンはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、シュクルがそれ以上はやめてくれたので、本当に助かった。



 翌日――私はイズミルを出発して、次の街へ向かった。

 この出来事があったからというわけではなく、もともと旅行の日程としてそういう予定だったのだ。

 出発前には、シュクルとオスマンがゲストハウスまで来てくれて、記念写真を撮って、笑顔で見送ってくれた。私を説得できなかったことは心残りだったろうに、宗教が違っても友人でいるという約束を守ってくれたのだ。

 本当にお世話になり、たくさん楽しい時間を過ごせたので、私は別れ際に、また少し泣いた。



 その後もたくさんの出会いがあったが、改宗を勧めてきたのはシュクル達だけだった。後で思うに、彼らは大分熱心な教徒だったんだと思う。

 他にも、「私は科学を信じていてビッグバン理論も知っているけど、アッラーが世界を創造したことも信じている。自分の中でもよくわからない」と語る医者のおじさんや、「妻はなるべくハラルフード(イスラムの戒律をきちんと守った食物)の店で買い物しようとするけど、僕はあんまり好きじゃないんだ」と話す二児のお父さんになどにも出会って、一つ一つがとても興味深かった。


 本で知識は知っていても、現地を歩き、人との出会いと別れを繰り返すことでしか学べないものがある。

 あれ以来トルコには行けていないけれど、コロナが収まったら、必ずまた行ってみたいと思っている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トルコ一人旅で出会ったおじいちゃんに予想外のことを言われて泣いちゃった話 四辻さつき @satsuki_y

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ