death愛=別離+月+日

人生

 バタフライエフェクト-タイムリープおじさん-




 不思議なことに、毎日のように人が死んでいっても、人類はなかなかその数を減らそうとしない。

 出生率の低下、少子化……云々かんぬん騒がれているけれど、身の回りの人間の数が減っているようには感じないので、たぶんどこかで採算がとれているのではないだろうか。


 これも、一つの採算。


 ――彼女が死んだ。ごくありふれた、可能性としては誰にでも起こりうる――


 摩耗した神経で、その悲鳴を聞いていた。

 何度目とも知れない離別と――そして、再会。




 ――時を戻そう。




 一人の女の子が歩いてくる。

 僕は彼女のことをよく知っているけれど、彼女は未だ僕についてはほとんど知らないに等しい。

 名前は知っている。確か、同級生であったことも把握していた。そう、僕らはほとんど幼馴染みにも等しい関係性だった。小学校から高校、大学まで一緒。馴染み、というほど馴染んではいないから、結局は赤の他人なのだけど。


 偶然にも同じ道を進みながら――まあ、同じ街に生まれた時点で、大抵の人間は同じ道を進んでいるのだけど――すれ違い続けてきた僕と、彼女。


 その出遭いは、ほとんど事故のようなものだった。

 同じ道を歩いていたつもりが、実は全く異なる進行方向で、そしてその道は、円を描くように終端なく続いていたのである。


 つまり、衝突したのであった。


 なんてことはない、お互いにちょっと急いでいた。それで、曲がり角でぶつかった――よくある、かどうかは分からないが、ありふれたシチュエーションである。


 僕は曲がり角の前で待ち続けていた。

 もうすぐ彼女がやってくる――腕時計でそれを確認し、僕は服を脱いだ。


 そして飛び出した。


 変質者の登場である。


「――――」


 彼女は硬直していた。突然現れた人物に驚き、ぶつかりそうになったことを思わず謝り、それから僕の姿を見て言葉を失ってしまった。


 ――変わらない反応。何度やっても、同じ反応――


「あの、すみません。ちょっと急いでるんで、後にしてもらっていいですか? それと、風邪ひきますよ」


 そして、彼女は去っていった。僕は静かに服を着る。幸い、この辺りに人通りはなく、僕の醜態は誰に知られることもなく――とはいえ、ここから僕と彼女が結ばれるラブストーリーに発展するはずもない……と、誰もが思うだろう。実は、ここから入れる保険があるらしんですよ奥さん。


 それから約一年後、僕は彼女の育ての親と会い、結婚することが決まった――


 そして、終わりがやってくる。



 ――時を戻そう。



 気が付くと、始まりの日。その朝に、僕は再び目覚める。

 何度目とも知れない今日――あの日。


 彼女の死後、僕は彼女と出遭ったあの日に――時を超え、戻ってくる。


 長い長い、悪い夢を見ているような気分――そうであったら、どんなにいいか。

 もしかすると本当に夢の中で、僕はまだ眠っているのかもしれない――これはそんな夢の中の、無限の時間を切り取った物語なのかもしれない――だとしても、とりあえず今の僕にとって、この今は現実なのである。


 彼女が死に、僕は目覚める――それはたぶん、僕が彼女の死を受け入れられないためだろう。


 だから僕は彼女を救うために――何度も、何度も。


 出会わなければいいと思ったから、僕はその出遭いに失敗しようと――いろいろ、試したのだ。服を脱いでみたり、全裸になってみたり、生まれたままの姿で仁王立ちしてみたり――そう、変質者のパターンもだんだん尽きてきたのがお分かりだろう。


 しかし、僕は間違えていた。問題はそこじゃないのだ。あの遭遇は、僕が彼女を意識した――「ああ、あの時の……」と彼女が僕を知るきっかけになっただけで、肝心なのはその後の再会、その後の関わりにあるのだと。


 それにしても、だ。


 ……いや、マジで、どうして第一印象変質者の僕と結婚する未来が実現するんだ?


 何度も、同じ一年を繰り返す。一日や一週間程度なら、まあ同じ展開が続いても不思議じゃない。無意識に、ルーチンで動いていることもあって、自然と同じ一日が、一週間が続くだろう。


 しかし、一年だ。さすがに一年間の出来事全てを覚えているはずもなく、同じ行動をなぞるのにも限度があるし、そもそも僕はその一年の「結末」を変えようと動いている――「同じ一年」といっても細部が確実に「前」とは異なっているはずなのだ。確かに、無意識に「前」をなぞることはあったとしても――


 少なくとも、「前の一年」を記憶していない僕と違って、他の人間は皆、同じ行動を繰り返している――それも、僕の行動によって、何かが変わるはずなのだ。小さな蝶の羽ばたきが、世界のどこかで嵐を引き起こす――バタフライエフェクトとなって、誰かの運命を、その人生の履歴を、世界の調和を、わずかでも変えているはずなのだ。


 にもかかわらず、結末は変わらない。


 僕と彼女は付き合い、そして結婚が決まり――彼女が死ぬ。


 ……なぜ、こうなる?


 僕は、彼女と「出遭わない」選択をした。


 ……彼女が生きてさえいれば――それが彼女の幸福になるのなら、と。


 他の人と付き合ってもいい。その人と結ばれてもいい――それを僕は、赤の他人として、時には友人として、見守る。彼女が幸せに、生き続けてくれるのなら、と。


 だけど、死ぬ。それが運命であるかのように。


 その時は、交通事故だった。


 ……彼女が死んだと、人づてに聞いた。




 ――時が戻る――




 ――世界が殺しにかかっている。彼女の死は止められない。


 まるで僕がその幸福を願うほど――僕が呪ってるみたいじゃないか。


 人は皆、幸福になるために生まれてくる、という人がいる。


「じゃあ、何をしても、ある日必ず死ぬとして――その人は、なんのために生まれてきたと思う?」


 何も成し遂げられないまま――


「幸せになったから、死んだんじゃない? その理屈だと」


「いや――たとえば、夢があったとして」


「どんな?」


「……世界征服するとか。まあ、内容はなんでもいいんだ。その夢を叶えられないまま、死ぬんだよ? だとしたら、その人はなんのために生まれてきたのかなって」


「そんなこと考えるくらいなら、もっと有意義に時間使おうよ。どうすれば楽にお金を稼げるか、とか」


 まったくもって彼女はドライである。


 しかし。


「夢なんて、ただの人生の指針、目標だよ。それを叶えるために頑張る、それが幸せになる。人生の意味とか、どうでもいいよ。生きてさえいれば――」


 ……生きてさえいれば。


「――生きてさえいれば、いろいろ、楽しいこともあるし、幸せだって感じる。それで、じゅうぶん。意味なんて、終わる時に考えればいいというか、自然と分かるんじゃない? それで、『ああ幸せだったな』って思えたらハッピーエンド。でも……人間はいつ死ぬか分からないから、私は毎日楽しくなるように、頑張って生きるの」


 そう、彼女は生き急いでいた。幼くして両親を失ったこと、それが彼女の人生にそういう方針を与えていた。僕との出遭いも、大事な面接に遅刻しないようにと急いでいたこと、それがきっかけだった。


「最悪な死に方は、交通事故かな」


「……どうして?」


「だって、車でぶつかるにしても、ぶつけられるにしても、どこかを目指してた途中、何かをしようとしてた途中ってことでしょ? せめてその何かを終えてから、死にたいよね。あと、私の場合、だいたい信号無視して死にそうだし。それって超めいわく。そんな不名誉な死は嫌だなぁ」


「…………」


「ね、何か悩みでもあるの? 自殺とか考えるレベルの?」


「……そんなことは、考えたことなかったな」


 僕は、必死だったから。彼女を救うことだけを、考えていたから。


「悩みがあるんなら、話してよ。それを解決するために一緒に悩む――それも、今の私の幸せだから」


「何それ、逆プロポーズ?」


「逆って何? ……まあ、なんでもいいけどさ」


「じゃあ、いっこ聞きたいんだけど――なんで、僕があの時の変質者だって分かったのに、こう、付き合おうって気になったの? 出会って半年も経ってないのにお泊りとか」


「え、何それ。私のこと尻軽とか言いたいの?」


「そういう訳ではないけども」


 生き急いでいるのだと、この会話の流れで彼女から聞かされた。何度目とも知れない過去の話。


「初めて家族以外の、男の人の裸を見ちゃったから……責任とってもらおうと思って――とかいうのはどう?」


「いやいや」


「単純にさ――私のこと、すごく気にしてるんだなって、思ったから。私の幸せを願ってる、そういう人を幸せにしてあげたいよね」


「何それ」


「さっきの話に戻るけどさ――もし、私が明日死ぬとしても、それが君と会ったことがきっかけだとしても――出会ったこと、好きになったこと、それを私は後悔しないと思う」


「――――」


 そんな彼女だから、僕は。


「たとえば時が戻って、前と違う選択が出来ても――私はたぶん、君のことをまた好きになると思う。君が私の事を好きでいる限り。……そう、私は自分のことを好いてくれる人間が好きなのです」


「……じゃあ、手詰まりだ」


「そう、君を好きになる運命だったのです」


 だから――私は幸せなのだと。


 いつ死んでもいいなんて、彼女が思っても、僕は認められなくて――




 ――何かが、変わったのだろうか。僕の心が折れたのか、小さな羽ばたきが嵐を起こしたのか。




「もし、私が生きた意味があるとしたら――それは、『この子』のため」




 だから、私がいなくなっても、この子が生きてさえいれば――そう、彼女が言い残したのは、初めてだった。


 まるで自分が明日死ぬのが分かっているかのように、彼女は言ったのだ。


 ――そして、あの出遭いから一年後――僕らはその日を迎えた。


 摩耗した神経で、君の産声を聞いていた。

 何度目とも知れない彼女の死、そして君の誕生。


 僕はそれをずっと、受け入れられなかった。


 だけど――あぁ、心が折れたっていうのは、あまり喜ばしくないな。


 もっと、ポジティブな動機だよ。

 こうして、話して聞かせられるくらいには。



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