お別れは突然に

御角

お別れは突然に

 それは本当に突然だった。小学校6年生の冬休み、こたつで暖まりながらテレビを見ている僕の前に、お父さんが難しい顔をして座り込む。

「お父さん、テレビが見えないよ」

 お父さんはすかさずリモコンを取り、その電源を落とした。僕が驚き残念がっていると、お父さんは溜息を一つついた後、ゆっくりとその重い口を開いた。

「ヒロ、お前に言っとかなきゃならない事がある」

 普段はおちゃらけている父のその真剣な表情に、僕は子供ながらただ事ではないと感じた。思わずゴクリ、と喉が鳴る。

「実はな、父さんの仕事の都合で、その……引越しを、しなくちゃならないんだ」

 引越し、それすなわち転校を意味する。

 一体どこに? 春休みも、中学校に入っても一緒に遊べると思っていた友達はどうなる? もう会えないのか?

 その事実はあまりに唐突で、小学生の僕には残酷すぎた。引越す友達は何度も見てきたがまさか自分が経験するとは夢にも思わなかった。暖めたはずの体が一気に冷えていくのを感じた。


 それから何度も友達と遊ぶ機会はあった。でも、別れることを思うと辛くて、伝えることで友達の態度が変わってしまうのが怖くて、いつも通り振る舞うことしか出来なかった。

 公園で一緒にサッカーをしたり、ブランコを漕いだりすることでとにかく現実から目を逸らし続けた。特に小学校1年生の時からの親友であるユウキには、口が裂けても言えなかった。


 結局ダラダラと冬休みを浪費し、気がつけば最終日、引越し前日となっていた。

 ピンポーン

 ユウキが家のチャイムを押す。

「一緒に宿題を片付けよう」

 そうユウキに言われた僕は、なすすべなく彼を家にあげるしかなかった。本当は引越すから宿題なんてしなくていいのに、ユウキの悲しそうな表情を思い浮かべると、宿題以上に胸がモヤモヤして頭がこんがらがった。

 部屋に入るとユウキは不思議そうな顔をした。

「お前の部屋、滅茶苦茶綺麗になってない?」

 数日前まで汚かった僕の部屋は、既に運び出された段ボールによってほぼ新築と言っていいくらい片付いていた。

「ちょっと片付けたんだ」

「へぇー、やるじゃん」

 嘘ではない。嘘ではないが、部屋を見渡し感嘆の声を上げるユウキを見ていると胸がチクチクと痛んだ。

 唯一残された丸テーブルで二人、宿題をこなしているとトントン、とドアがノックされた。

 お母さんがお茶とお菓子を持ってきてくれたようだった。

「ありがとうございます」

 ユウキは礼儀正しくペコリとお辞儀した後、二人分の差し入れがのったお盆を受け取った。

「こちらこそありがとうね、今まで仲良くしてくれて。離れても、ヒロと仲良くしてあげてね」

 お母さんがさらりと爆弾発言をして部屋を去っていった。部屋の空気が一瞬、凍る。

「……今の、どういう意味?」

 ユウキが真顔でこちらを睨んでいる。その瞳には困惑と悲哀の色が見てとれた。ああ、だから言いたくなかったのに。

「お前、もしかして引越すのか?」

 僕は黙りこくることしか出来ない。

「部屋が片付いてるのもそのせいか?なぁ」

 ユウキの顔がどんどん赤くなっていく。恐れていた事態が起こってしまったのにも関わらず、なんだか林檎みたいだ、と呑気なことを考えてしまう。

「何で黙ってた」

「ごめん」

「いつ引越すんだ?」

「明日」

「……なんで、なんでもっと早く言わねぇんだよ! 馬鹿か! 馬鹿なのか!?」

「……ごめん」

「ごめんじゃねぇよ……! じゃあお前宿題する必要ないじゃん」

「うん、ごめん」

「ずっと嘘、ついてたのか」

「そういうわけじゃ……」

「わかった、もういい」

 そう言うとユウキは立ち上がり宿題をバッグにしまった。

「じゃあな」

 ユウキは乱暴にドアを閉じ、

「お邪魔しました」

と礼儀正しく声をかけ走り去ってしまった。

 テーブルに残されたユウキの分のお茶とお菓子を見つめながら、僕は静かに泣いた。


 引越し当日、本来なら始業式がもう始まっている頃だ。きっとクラスのみんなはびっくりしていることだろう。その顔を見ることが出来ないのだけが心残りだ。あいつは、ユウキは今頃クラスでどうしているのだろう。結局喧嘩したままお別れすることになってしまった。あいつの言う通り、もっと早く伝えていればこんな悲しい別れ方、しなくて済んだのかな……。

「ヒロ、早く乗りなさい」

 お父さんが、余りある思い出を載せたトラックに乗り込む。そうだ、今は過去を振り返って後悔するよりも先の未来を考えるべきだ。もう忘れよう。楽しかった事実だけ新たな土地に持っていって、嫌なことは全部、この家に置いて。それでいいじゃないか。

 僕はお母さんが運転する車に、迷いなく乗り込んだ。シートベルトを閉めてふと窓の外を眺める。

 おーい

 なんだろう、なにか聞こえたような……。

「おーい!」

 今度ははっきりと聞こえる。この声は、まさか。

「ユウキ!? なんで……始業式は?」

 思わず窓を開けて声を張り上げる。

「サボった! 昨日はごめん!! 向こうでも、元気でな……!」

 顔をクシャクシャに、真っ赤にしながら、ユウキは喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。

「僕も……僕もごめん! 絶対、また遊ぼうね!!」

 多分僕の顔も同じくらいグチャグチャだ。親友同士はやはり、シンクロするところがあるのだろうか。窓ガラスに映る僕の顔は、ユウキが怒っていた時以上に林檎に似ていた。


 春、それは出会いの季節。入学式を終えた僕は下駄箱の前に張り出されたクラスをチェックする。結局転校した小学校に馴染めなかった僕は、中学受験を経てそこそこの進学校に入った。今日から心機一転、ユウキに負けないくらい仲の良い友達を作ってやろうと初日から意気込んでいた。早速自分の名前を見つけ、そこから同じクラスの人の名前を一人一人順に辿っていく。

「あ、それ俺の名前!」

 一人の男子生徒が僕に声をかけてきた。これはチャンスだ。そう思い名前を見る。その瞬間、僕は吹き出してしまった。親友というのは、本当に厄介なものだ。

「これからよろしく、ユウキ君」

 桜吹雪の中、新鮮かつ懐かしい表情で彼は笑った。

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