六浦社長は悠々自適に暮らしたい

水涸 木犀

Ⅶ 六浦社長は悠々自適に暮らしたい [theme7:出会いと別れ]

「よし、あと1人……」

 VRの景色が初期のオフィスに戻ったことを確認してから、わたしは小さく呟いた。


 すっかりお馴染みになったVR乙女ゲーム「オフィスでの出会いは突然に」の攻略も、いよいよ大詰めを迎えている。昨日までに5人の攻略キャラをクリアし、残りはあと1人となった。


「ようやく、俺がログアウトできるわけだな」

「全員クリアでログアウト画面が出る保証はないですけど、そう信じて進めていますからね」

 感慨深げに呟く伍代ごだいに、一応のくぎを刺したがわたしも同じ気持ちだ。

 システムトラブルのため、伍代は開発者用端末から安全にログアウトできなくなってしまう。プレイヤーモードでログインしているわたしが攻略を進めることで、彼がログアウトできることを信じて、ここまでプレイしてきたのだ。今さら前提が覆されたらかなりモチベーションが下がる自信がある。


「怖いことを言うなよ。もしログアウトできなかったら、また原因を一から洗い直しだろう?」

『そうなります。……申し訳ありません。こちらの不手際で』

 開発チームの一人であるわたしの同期、橋元弥生はしもとやよいがチャットで謝罪文を打ち込んでくる。

「いや今更言っても仕方ない。橋元さんは、引き続き原因究明を頼む」

『はい。最後のエンドロールが流れれば、ログアウト画面に遷移できるはずです。宇賀うがさんの攻略を見守りましょう』

「了解。頑張るよ」


 改めて、開発者モードでプレイ中もわたしの後ろにくっついてくる伍代と、システム管理者としてわたしたちのプレイ画面を遠隔でチェックしている弥生と意思疎通を図ってから、わたしは最後の攻略対象者へと歩を進めた。



   ・・・


 6人目の攻略キャラは、なんと主人公サツキが勤める会社の社長だ。六浦むつうらという名の彼はベンチャー企業の社長ゆえ、まだ30台前半と若い。1周目では攻略できず、2週目以降で、かつ社長秘書の四倉を攻略することではじめてルートが解放される、いわゆる「隠し攻略キャラ」だ。


 若い社長とはいえ、秘書がいるので序盤のやり取りは秘書を介してのものとなる。会議の準備やゲームの開発経過の報告――主人公サツキはゲームの開発会社で、開発担当をしている設定だ――をこなしていくことで次第に社長の目に留まり、直接声をかけられるようになる。


 1対1で会話する機会が増え、好感度も上がってきたところでイベントが発生しそうな「バレンタインデー」が近づいてきた。

 部署の男性社員に義理チョコを配るため、主人公サツキは他の女性社員と協力してお金を集め、同じデザインの義理チョコを買い求める。主人公サツキは迷った挙句に、社長へも別でチョコレートを用意することに決める。


『六浦社長にはお世話になっているし、チョコレートを渡しても変じゃない、よね』

 主人公サツキは独自ののちに、どんなチョコレートを渡すかを考える。

『手作りだと重いかもしれないけど、想いは伝わるかも。どうしようかな

 ①高級チョコセット ②他の社員と同じ義理チョコ ③手作りチョコ』

「うーん?」


 前振りを含めた選択肢に、わたしは首を傾げる。

 社長を攻略すると決めている以上、②は無しだ。こちらに気が無いと言っているようなものだ。相手も義理として受け取っておしまいだろう。①は職業柄他の場所でも貰っていそうなので、個人的には③にしたい。しかし前振り通り、③を選んだら社長は引いてしまうのだろうか。そう考えると逆に②もありな気がしてくる。義理チョコを渡しつつ、“気持ちは義理じゃないです”的なセリフが入るのかもしれない。

 ――開発者の意図をくみ取る必要があるな、この択は――


 過去最高クラスに悩み、結局③を選択した。文脈通りに取るならば、主人公サツキの想いが伝わる手作りが一番いいと判断した次第だ。結果、主人公サツキはチョコレートショップを後にし、自宅でお菓子づくりに励む。ほどなくして見た目が美味しそうなチョコレートクッキーが出来上がり、ラッピングを施す。


 ――前から思ってたけど、このゲーム、食べ物がやたらと美味しそうなんだよね――

 乙女ゲームとして力を入れるべきところなのかは謎だが、とにかく食欲がそそられる。主人公サツキはラッピングしたクッキーを袋にしまってから、社長が喜んでくれるかどうか、思いをはせるのだった。


   ・・・


 いよいよバレンタイン当日、主人公サツキは部署の同僚たちに義理チョコを配りながらも、六浦社長に声をかけるタイミングをうかがいそわそわしている。しかし中々いいタイミングは訪れない。夕方、社長が帰ろうとしているのをようやく見つけ、走って後を追いかける。


『六浦社長!』

『サツキさん。どうした?』

 薄手のコートに手持ち鞄、反対側の手には紙袋――義理チョコをかなりもらったらしい――といういで立ちの社長は、小さく首を傾げて見せる。若いという設定はあれど、そんな仕草がわたしにはややあざとく感じられる。

 わたしの思いには構わず、主人公サツキは持っていた袋を六浦社長に向けて差し出した。

『①これ、わたしからです ②これ、糖分補給にどうぞ ③いつもありがとうございます』

「台詞、選べるのか……」


 ②はちょっと面白いが、さすがにふざけすぎ感がある。あるいは緊張しすぎか。①だと本命チョコ感があり、③だと義理チョコ感がある。一応チョコ選びの時点から本命の動きをしていたので、ここは一貫性を持たせるために①を選ぶ。

『お疲れ様です。これ、わたしからです』

 主人公サツキが持っている包みをみて、六浦社長はわずかに目を見開いた。


『え、手作り? 僕に?』

『はい……クッキーです。昨日作ってみました』

『ありがとう……サツキさん、もう帰る? 途中まで一緒に帰ろうか』

『はい』


 クッキーを渡したタイミングで好感度が上がらなかった。その時点でわたしは嫌な予感がしているが、主人公サツキは自動テロップに従い帰り支度を済ませ、六浦社長の後についていく。


『サツキさん、ありがとう。わざわざ手間をかけてくれて、嬉しいよ』

 帰り道、街灯が灯る歩道を歩きながら、六浦社長が口を開いた。

『でも、サツキさんたちは部署の人たちにも既製品のチョコを配っていたよね。……僕が貰ったものは、それとは意味が違うと思っていいのかな』

『①はい ②誰よりもお世話になっているので ③社長ですから』

「ここも分岐……?」


 ③はちょっと嫌味っぽい。社長には平社員と同じものを渡せませんよ的な意図を感じる。②も悪くないが、やはり義理チョコの延長ともとられかねない。誤解なく主人公サツキの想いが伝わるのはシンプルに①だろう。

 ――よし、ここは①で――


『はい』

『……まいったな』

 主人公サツキのストレートな返答を受け、六浦社長は立ち止まって天を仰ぐ。

『サツキさんは、魅力的な人だと思うよ。仕事もしっかりこなしてくれるし、周りの人に気を配れるし、こうして、その、特別な相手には贈り物をくれたりする』

 六浦社長はなかなか主人公サツキを見ようとはしない。なおも上がらない好感度に、わたしは嫌な予感が強まってきた。


『でもね。僕はいまの生活が、今まで生きてきた中で一番気に入っているんだ。仕事に精を出して、休みの日は自分の好きなことにだけ時間を使えて、ちょっと生々しい話だけどお給料も十分に貰える。だから、今の生活スタイルを崩したくないんだ』

『それは、クッキーへの返事、ということでしょうか』

『うん。……あ、もちろん、一生懸命作ってくれたクッキーは大切に頂くよ。でも、これ以上職場以外での関係を進展させることは、僕は考えていないかな。だからきみも、僕にはあくまで頼りになる職場の人として、接してくれると嬉しいな』

 できそうかな? と首を傾げられ、主人公サツキは反射的に頷く。

 ――わたしは、六浦社長にフラれてしまった。しばらく、この思いは引きずるだろう。でも、これからも社長の目に留まるよう、しっかり仕事に励むのだと心に誓った――


 自動テロップの後に、エンドロールが流れ始めてわたしは我に返る。

「あれ、これって……いわゆるバッドエンド?」

「告白成功をハッピーエンドと定義づけるならば、そうだろうな」

『はい。ハッピーエンドではありませんが、六浦社長ルートはこれで終了です』

 伍代と弥生のレスポンスを受け、わたしはがっくりと脱力する。


 6周目にして、バッドエンド――告白イベントの失敗――だったのは初めてだ。バレンタインデーのイベント前後から好感度が上がらなかったから、おそらくあの辺りで選択肢を間違えたのだろう。


『いま、最後のエンドロールが流れていますが。伍代さん、画面の状況は如何ですか』

「まだ、最後の宇賀さんが振られている場面で止まっている。エンドロールが終わった段階でどうなるか、だな」

「振られているのは主人公のサツキであってわたしじゃないですから。……では、タイトル画面に戻りますね」

 一応伍代に訂正を入れつつ、今は言い争っている場合ではないとさっさとスキップの選択をとる。するとわたしは見慣れたタイトル画面に遷移した。


「……橋元さん」

『……はい』

「どうしたんですか、二人とも」

 会話が続かない二人の様子を不審に思い、問いかけるもなかなか返答が無い。わたしの声が聞こえていないのかと思い再度呼びかけようとした瞬間、伍代が絞り出すように声を出した。


「ログアウト画面は出ていないが、先ほどまでと明らかに画面表示が違う。……俺の画面に、好感度を示すバーが表示された」

「えっ?」

『つまり、全ルートをクリアしたことで……伍代さんが攻略対象キャラクターに格上げされたのだと思います』


 弥生の返答に、わたしは一瞬思考がフリーズした。

「ということは……伍代さんのログアウトのためには、わたしが伍代さんを攻略しないといけない?」

『おそらく、そうなります』

 ただでさえ現実が受け入れがたいのに、弥生は更に追い打ちをかけてくる。


 ようやくこのゲームとも、堅物眼鏡伍代さんのツッコミともお別れだと思っていたが。どうやらこのシステムのバグは、わたしと堅物眼鏡伍代さんをゲーム内で出会わせるまで終わらせる気がないようだ。

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