【KAC出会いと別れ】輪廻

結月 花

彼と私

 彼と出会ったのは、私が七つの時のことでした。

 私の家は代々蒔絵師の職人をしております。父も立派な工房を持っており、何人ものお弟子さんを抱えておりました。彼は父のお弟子さんの一人でした。

 彼が父の工房に弟子入りしたのは、確か彼が十三の時だったと記憶しています。背は高く、涼やかな目元をしていましたが、とても無口な人でした。

 正直なことを言うと、私は最初彼が苦手だったかもしれません。ですが、彼が作る蒔絵は、無骨な見た目に反してとても繊細で美しく、見るものを惹きつけてやまない程でした。

 蒔絵とは、漆器に漆で線を描き、その上から金粉を振り掛けて仕上げる伝統工芸のことです。父は虎や獅子をモチーフとした力強い、躍動感のある図案を得意としていましたが、彼が描く絵は花や鳥など柔らかく繊細なものが多かったように思います。私は彼自身のことはそれほど好いてはおりませんでしたが、彼の描く蒔絵の工芸品は大好きでした。


「お嬢さんはお花がお好きですか」


 あまりにも私が彼の元をうろついていたからか、ある時彼が私に話しかけてきました。作業の手をとめて、じっとこちらを見つめています。当時の私はまだ恋など知らぬ少女でしたから、その黒い精悍な瞳に見つめられても全く動じませんでした。


「うん、好きよ。だってとっても綺麗なんですもの」

「私なんてまだまだですよ。お父上の足元にも及ばない」

「でもおとうさんが描く絵は可愛くないわ。私は宗介さんの描く絵の方が好きよ」


 私がそう言うと、彼はちょっとだけ笑いました。一流の職人である父より、見習いの自分の作品が好きという言葉がおかしかったかもしれません。けれども、彼は少しだけ躊躇いの様子を見せた後、おもむろに小ぶりの漆器を取り出しました。お弟子さん達は、こうやって売り物にならない商品などに絵を描いて練習をするそうです。器の側面にサラサラと小さな桜の絵を描くと、彼はそれを渡してくれました。


「今はまだこんなものしか描けないけれど……」


 そう言いながら彼が渡してくれた桜の絵は、私には十分に素敵なものに思えました。

 それからも、相変わらず彼は口下手で無口でしたが、少しずつ会話は増えていきました。

 彼との別れが来たのは、私が十七で彼が二十三の時でした。優秀な腕前を持つ彼は、より技術を磨ける別の工房に引き抜かれ、父の元を離れることになりました。初めは彼も渋っておりましたが、父の説得もあり工房を離れることを決めたようです。

 私はとても悲しい気持ちになりました。ですが、彼の将来を考えると父の後押しも無理はないことだなと思いました。

 別れの日、彼は父に丁重に挨拶をした後、私に小さな蒔絵の紅入れを渡してくれました。カスミソウが散らしてある、上品な意匠の紅入れです。

 彼との別れがヒシヒシと私にのしかかってきたのは、彼が工房を去った後でした。いつも座っていた場所に彼の姿が無いのが途方もなく寂しく、そしてもっと話す機会を設ければ良かったと後悔の念にさいなまれました。まるで置き去りにされたかのように、桜の漆器とカスミソウの紅入れがポツンと机に置いてあるのを見た時に、私は初めて自分の心を自覚したのかもしれません。


 その後数年して私の縁談が持ち上がりました。相手は父のお弟子さんの一人でした。誰かの元へ嫁ぐと意識した途端、私は彼と一緒になりたかったと強く思いました。

 そのことで私は度々父と喧嘩をしました。ある日、父が私を勘当すると声を荒げ、利かん気だった私は桜の器と紅入れを持って家を飛び出しました。その時は単純に父を困らせてやろうと思っただけなのです。ですが、お手伝いさんに追いかけられてはたまるかとばかりに無我夢中で走った為か、私はいつの間にか隣町まで来てしまいました。気がつくと、見知らぬ街で帰り方もわからぬ小娘がぽつんと往来にただずんでいるだけでした。

 私は困りました。勢いに任せて家を飛び出したので、財布も持っておりません。持っているのは漆器と紅入れだけ。店の行灯がポツポツと灯りをつけ始め、空は黄昏時を迎え始めております。私が途方にくれて立ち尽くした時でした。


「もしかして、桜お嬢さんでいらっしゃいますか?」


 落ち着いた声色に振り向くと、そこには見慣れた彼の顔がありました。別れた時よりも少しだけ大人びて、逞しくなっておりましたが、間違いなく宗介さんその人でした。


「こんな夜道をお一人で歩いてどうされたのです。共の者は?」

「おりません。父と喧嘩をしてしまって……」


 そう言うと、彼は合点したように頷き、一先ず自分の工房に寄るように言ってくれました。その後、彼は父と連絡を取ってくれ、私は無事に家へ帰りました。彼との二度目の出会いを果たしたのは、私が十九の時でした。



 彼はあの後独立し、自分の工房を持っていました。再会以来、私はことあるごとに用事を作り、彼の工房へ通いました。幼い心に芽生えた恋の萌芽は花開き、私を恋する乙女に変えていました。

 彼も相変わらず口下手でしたが、昔よりは口数が多くなり時折笑顔を見せるようになりました。

 逢瀬の真似事もしました。やれ私も買い物をしたいだと言って彼の買い出しに着いていきました。ある時、出来心で彼の着物の袖口からぶらぶらと揺れている手をぎゅっと握ってみました。彼はこちらを見ませんでしたが、そっと拳を開いて私の手を包み込んでくれました。あんなに美しく繊細な工芸品を生み出す手は、マメとコブだらけで骨ばっていたことは今でも覚えています。


 ですが、私にとっては嬉しい再会もすぐに終わりを告げることとなりました。日本の蒔絵を海外にも広めたいという動きが始まり、彼もその役を担う一人となりました。彼はあと数ヶ月後には海の向こうにいるということでした。

 私は泣きました。折角また会えたのに別れるのは嫌だと父にも泣きつきました。父もなんだかんだ愛娘には甘く、最終的には彼との交際を認めていたようですが、こうなってはどうすることもできません。

 彼が渡航する当日は、船着き場に見送りに行きました。彼は父にも長年の大恩を忘れないと挨拶をし、私に彼岸花を描いた蒔絵の鏡をくれました。私はそれを泣きながら受け取りました。船に乗るとき、彼も泣きそうな顔をしていました。

 こうして、私達は二度目の別れを経験することになったのでした。


 その後も何度か縁談は持ち上がりました。ですが、私はそれをすべて突っぱねました。私にはもう彼の気持ちがわかっていました。

 最初の別れに貰ったカスミソウは「あなたの幸せを願う」。

 二度目の別れの時にもらった彼岸花は「再会」。

 彼はまた会いましょうというメッセージを蒔絵に託したのです。それがわかっていたので、私は彼の帰りを何年も何年も待ちました。


 彼が日本へ帰ってきたのは、私が二十五の時でした。当時の年齢から考えると行き遅れに片足を突っ込んでいた私でしたが、彼は日本の地を踏んだ瞬間に真っ直ぐに私の元へやってきました。

 そうして美しく咲き誇った大輪の薔薇が描かれた蒔絵のかんざしと共に私に求婚をしたのでした。


 三度目の再会を果たしてから、私達は無事に夫婦めおととなりました。これからはずっと一緒です。四人の子宝にも恵まれ、たくさんの孫にかこまれて私達は幸せな人生を送っていました。


 ですが、出会いに別れはつきものです。生を持つものの宿命、それは死です。最大の別れが私達を待ち受けていました。

 先に逝ったのは彼の方でした。死の床に伏せる直前まで絵筆を握っていた彼は、ある日突然倒れ、そのまま起き上がれなくなってしまいました。二度と再会の叶わぬ別離に怯える私を、彼は優しく撫でてくれました。数々の美麗な工芸品を生み出した逞しい腕は今や枯れ木のようにやせ細り、骨のようになっていました。私もまた、血管や骨が浮き出た皮のような手で彼の両手を握っていると、彼が今までにないくらいに柔らかく微笑みました。


「出会いがあれば別れがある。だが、また逆もしかりだ。きっとまたいつか私達は会えるだろう。あなたに最後の贈り物があるから受け取って欲しい」


 そう言って彼は小さな小箱を渡してくれました。小箱にはそれはそれは美しいバラの花がいくつもいくつも描いてありました。私は一目見た瞬間に彼の意図がわかりました。皺だらけになった彼の顔を見ながら頷くと、彼は満足そうに微笑み、そのまま息を引き取りました。


 小箱に描いてあったバラは全部で九九九本。これが意味することは一つしかありません。

 私はこの小箱を生涯大切にしました。私がこの世を去る前に、小箱を棺に入れてほしいと子供達に言い遺しておいたのは言うまでもありません。


 こうして私達二人の人生は幕を閉じたのです。







──────



「萌ー! なんで最近俺と一緒に学校行ってくれないのさ。薄情だなぁ」

「なんで家が隣通しだからってあんたと一緒に高校に行かないといけないのよ! 友達に誤解されるでしょ! いいから離れて!」

「えー俺は別に誤解されてもいいんだけどなぁ」

「私が嫌なの!」


 桜がひらひらと舞い落ちる中を、制服を着た二人の男女が言い争いながら歩いている。ぷりぷりとしながらずんずんと前を歩く女の子に、背の高い男の子が笑いながら駆け寄り、その手を掴んだ。


「いいじゃん。俺が萌のこと好きなんだからさ。俺、なんでか昔からずっと萌が可愛くて仕方ないんだよ。多分俺達前世で恋人か夫婦だったと思うんだよね」

「は、はぁ? あんた、ばっかじゃないの!? 今時そんなの信じる人いないでしょ!」

「あれ? でもいつも手握っても離さないじゃん。萌も俺のこと好きなんでしょ?」

「意味分かんない。うぬぼれんな、バカ」


 と言いつつも、彼女も握った手を離さない。言い合いながらも手を繋ぐ二人の男女は、並んで歩きながら桜並木の中へと消えていった。



 出会いがあれば別れあり。

 そして、またその逆もしかり──





 九九九本のバラ「何度生まれ変わってもあなたを愛する」

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