ガールズ・心中・ヤキトリ

海沈生物

第1話

 神聖トリ王国は息苦しい国だ。人々は豚肉を食べる行為以外の食事を禁じられており、野菜や果物はおろか、同じ肉である牛や鳥を食べることすら禁じられている。貧しき者は栄養失調に苦しみ、されど子や肉親、大切な恋人のために有無を言わずに従っている。

 もちろん、その禁を破って他の食材を食べる者もいた。しかし彼らは数日以内に姿を消し、翌日には広場で豚肉と一緒に吊し上げられた。その姿はとてもむごく、皮を剥ぎ、内臓を抉り、目があったであろう場所には空洞しかなかった。そのまま一週間ほど放置され、やがて人々から忘れさられた頃に、ゴミと一緒に焼却されてしまうのだ。その行為はまさに残虐そのものであり、委縮した多くの人々は余計に豚肉だけを食べるように徹底し、やがて闇市が潰されると、闇での食材の取引もめっきり見なくなった。


 でも、私たちはその程度で委縮しない。たとえ多くの人々が唯々諾々と従うことを決めたとしても、私たちは「人々」ではない。彼らと違い、確かな「理由」があるのだ。あのキスをした日、私と彼女……ダック・スペルは誓い合ったのだった。二人で禁忌を犯して、その末に残酷な兵士どもの前で炎上してやろう。燃えた肉体のまま、塵一つ残さずに二人で心中するのだ。


 そして今日、真夜中の2:35。城にいる巡回の兵士たちが入れ替わる時間の隙をついて、二人で宝物庫に忍び込んだ。ここのセキュリティがとても低いので、兵士にさえバレなければ忍び込むこと自体は容易だ。その理由は簡単である。

 一つは入る分には問題ないが、帰る時には耐寒装備がない人間はおおよそ死んでいるからだ。もう一つは宝物庫と一口に言うが実際の宝石などの宝物は別の場所に保管されており、ここにあるのは禁止された食材だけであるからだ。

 今の王は臆病で愚かな独裁者なので、わざわざ命を賭してまで食材を盗む者ような者などおらん、と高をくくっているらしい。だからこそ、私たちはその隙をついた。


 耐寒対策自体は考える必要はない。実はこの宝物庫の中には温度調整機が入口近くについており、これを調整すれば、簡単に中の温度を上げることができる。これは王が臆病が故に、自分が万が一この中へ放り込まれた時に助かるための緊急手段らしい。だが、問題は別にある。

 それは調理方法だった。私もダックも生まれた頃から加熱済みの冷めた、パサパサの豚肉しか食べたことがない。それが故に、調理のやり方がわからないのだ。太古の文献を漁ろうにも図書館は既に検閲済みであり、豚肉を称える文章以外のありとあらゆる食材の出てくる本・CD等のメディアは処分されていた。そのため、もはや私たちに思い付く手は一つしかなかった。


 温度の上がったポカポカ宝物庫を歩いてくと、やがて目的の品である鳥が見えてきた。箱の中にあって鍵がかけられていたが、そこは腐ってもスラム育ちの私たちである。予め持ってきていた針金でピッキングを行い、鍵を開けた。

 軋んだ音を鳴らしながら、開く宝箱。その中にある鶏肉を取り出すと、お互いの胸が高鳴る音が聞こえてきた。その高鳴りが重なり、互いに理性が堕ちていく音がしたかと思うと、鶏肉をそっちのけにして、その激しい情熱をキスと行為によっておさめる。濡れた下半身、とろりとしていく肉体。いつもその指先は陰部を激しく揺さぶり、されどイく寸前で留め、ケタケタと笑う。その笑いはこれで三回目だというのに染まる顔を隠したがる私の様子に対してのものなのか、この異様なシチュエーションでおかしくなった精神が故に漏れたものであるのか。あるいは、両方か。


 数分後には、ついにイかされてしまった。激しく腰を揺らして液体を漏らす生き物のようになった私に、彼女は微笑む。


「楽しいね、チキン」


「楽しいけど……これ……いつもフワフワするけど」


「フワフワじゃない。のセックス、だよ。信頼できる相手同士しかできない。親密で眩しい行いなんだよ」


わざとらしく右の乳首にキスすると、イったはずの肉体がまた震える。その姿に彼女はまたケタケタと笑みを漏らす。


 落ち着いた所で行為休題、そろそろ鶏肉を調理しなければならない。シンプルに鳥を焼く。料理の名称はよく知らないが、焼いた豚が「焼き豚」なのだし、命名法則に従って「焼き鳥」だろうか。昨日の内に通りの店から盗んだカセットコンロにスイッチを入れると、郊外にある木を折って作った棒に刺していく。一つの棒だけではいまいち安定しなかったが、四本の棒をその塊の鶏肉に刺すと安定する。その肉を火の上でじっくりと焼いていく。


 ぽたぽたと落ちていく油。それはまるで私の股から滴り落ちる液体のようであり、あるいは、知らない人たちと会った後に彼女のふとともに垂れていた、白い液体のようでもあった。

 じわじわと焼かれる。過去も未来も、ただ今という瞬間のために焼かれていく。私はその香ばしい匂いに、久しぶりに生きている感触を覚えた。これが新鮮さ、息が止まったみたいな社会の中で、確かに生きているという証拠。何かを不可逆的な行為を施し、もう取替えしのつかない禁忌を犯す、喜び。


 数分後、最後の粒が火に落ちると、ついに肉は完成した。私たちはその輝きに未知の味を想像し、空っぽの胃腸からの叫びを聞いて、ただその肉にかじりつく。お互いがお互いの肉をかじるように、二人が一つになって喰らい付く。これが原始回帰なのか、あるいは野生化しているのか。そんなことはどうでも良かった。ただこの瞬間に生きているのだという実感があり、塩もコショウもしていないその味気ない筈の肉に、素朴で感動的な「味」を感じていた。


 いつしか、私たちはその肉塊を全て喰らった。この国で最も禁忌とされている行為を犯し、二人だけの共犯者となったのだ。その時、外から数人の兵士たちが入ってくる。私たちはひとまず食材たちの物陰に入ったが、匂いは残ってしまう。息遣いがバレたのか分からないが、いとも容易く、私たちの隠れていた場所はバレた。この場で死のう。こんな奴等に捕まるわけにはいかない。決心は固まった。


 そう思って懐から取り出した特殊な油をお互いに掛け合うと、ガスコンロの火に近付いた。次の瞬間、強烈な痛みが私たちに走る。これが痛み、これが苦しみ。もはやこの世のありとあらゆることを考えることは不能となり、されど、私たちはお互いの手を繋いだ。

 それこそがそれこそが繋がりであり、肉を喰らい、愛を喰らった、ただ空へかけ落ちるような関係性であった。そんなをしたかった。そのまま、私たちは意識を失った。


 それで私たちの人生のエピローグは終わりを告げるはずだった。しかし、生き残ってしまった。それも、私だけが。身体中包帯まみれで、痛くて、身体なんて動かなくて。状況が掴めないまま、隣には彼女の姿がない。

 その代わりにいたのは、誰か分からない人たちだった。私が目を覚ましたことに気付くと、その三人は次々に「チキンが目を覚ました!」「やっと」「お姉ちゃん!」とキラキラと目を輝かせ、泣いていた。その中でも一番頭をぼさぼさにしていた人間が、その中で涙を流しながら笑っていた。


「本当に、あなたは心配をかけて。分かっているんですが? どれだけ心配をかけたのか、どれだけ……」


「そうだぞ、チキン。お前が一人で自殺未遂を図ったと聞いて、父さん、とても心配したんだ。それにナゲットだって……」


「お姉ちゃん! なんでこんな身体になるまで相談してくれなかったの? 私が……」


 声は空虚だった。口も喉も焼けて上手く声が出せなかった。それでも、その声は耳から耳を通りすぎるだけで、私の心の中にはダックの姿しかなかった。死ねなかった。私は死ぬことができなかった。心中に失敗したのだ。愛の証明に失敗して、ただ無残にも、こんな場所で呑気なハッピーエンドを送っている。一人、これほどまでに世界に生きてしまっている。罪悪感とは違う、もっと強い衝動が胸の奥から突いてきていた。


 されど、今更死んでどうなるというのだろう。もう彼女はいない。分からないが、その確信があった。彼女は私を置いて、先に消えてしまった。彼女を孤独のまま、地獄へ送ってしまった。その自己に対する悪意が、嫌悪が、殺意が、衝動が、首絞めが、自殺が、混同が、謎が、未知が、不明が、汗が、油が、肉が。鶏肉が、胃の中で疼く。

 空っぽの幸福に、頬を粒で濡らしていた。 

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