BLなのかこれは?

刈田狼藉

第1話:どう見ても中学生な管理会社社員・桃瀬くんの場合


最初、

中学生なんだと思った。

だって、

背も小さくて骨格は華奢で、

まるい頬、

赤いくちびる、

とがった小さなあごに、

よく光る大きな眼。

まるでこどもみたい・・


**


海老ケ谷にある商業ビルに点検に来ていた。

午前九時十一分、――

約束の時間を十一分も過ぎているのにカモシマ建物総合管理(株)の社員はまだ来ていなかった。


「おせえよ、ったく・・」


オレは独り言ちながら点検の準備を始める。十時になると一階にテナントとして入っているモバイル通信機器の販売店――COCOMOショップが開店してしまう。その前に火災受信機を停止し、店内の点検を済ませ、さらにビル全体の非常ベルの鳴動試験までを完了させる必要があった。通常だと、まず現地で管理会社の担当者と落ち合い、その場で簡単な打ち合せをし、それからその管理会社の担当者からテナントさんに挨拶してもらって、然る後にようやく点検業務を開始できるのであるが、このまま管理会社が来るのを待ってたら、十時の開店に間に合わなくなってしまう。独断で、すぐに始めてしまう必要があった。


どうせまた二日酔いなんだろ・・そう思う。岸根、という三十代の男が管理会社の担当者なのだが、大手の堅い会社に勤めている、というそのストレスなのか何なのか、会うと、いつも酒臭かった。こちらの業務の性格上、どうしても会う時間帯が朝イチになりがちなのも、その理由の一つなのかも知れなかった。ちなみにオレは、酒は飲まない。本当は好きで毎日飲みたいのであるが、この仕事(消防設備点検業)は夜間の緊急対応が多く、夜中の起き抜けに独りクルマに飛び乗って現場に急行することが度々であるため、この仕事に就いて二十年、たまの付き合い以外は一滴も飲まない習慣になってしまったのだ。やれやれ・・


四段の脚立を肩に掛け、手に感知器試験棒を握り、建物の裏側に回り込む。


と、


建物の裏、屋上駐車場へのスロープ下のキュービクル式変電設備の横で、

オレはとても奇妙なモノを目撃した。


カモシマ建物の作業着である黒のブルゾンを着た、――


そこにいたのだ。


書類でも捜しているのか、そのはキュービクルの横でしゃがみ、黒のビジネスバッグの中を両手で何やらまさぐっていた。


意味不明だったが、無視することは出来なかった。だって、カモシマの制服を着ているのだ。オレから見ると、仕事の発注元、つまり元請けである。点検代金を払ってくれる会社の人、要するに「お客さん」だ。


しかし、

相手はである。

というか、にしか見えない。


背も、なんだか小さいし、

肩幅とか頚すじなんかも細くて小さくて、

白くて無垢な印象の、しみひとつない肌、

こどもにしか見えない、やっぱし。


小学生ではない、そんなに幼くない。

だけど高校生では断じて有り得ない。

ローティーン・・中学生だ、間違いない。


しかし、

か?か?か?

それを見た眼からハッキリと判別することは出来なかった。

でも、黒のスラックスを履いているし、

まあ、男子なのだろう。


しかし何故こんな場所、こんな場面に中学生がいるのだろう?それも、大手管理会社の上着を着て、だ。


すべての表情を保留して立ち尽くすオレに、やがて気付いたその子は、少し慌てた様子で、軽い身のこなしで「ぴょこっ」と立ち上がり、


「あっ、おはようございますっ」


と言って「ぺこっ」とあたまを下げた。


その時にオレが見舞われた混乱を、一体どんな言葉で表現するべきだろう?この、筆舌に尽くしがたい混乱の、せめて一端でも何らかの形で書き残したい、というのが本稿を書き起こした動機のすべて、と言っていい。


最初、あ、違った、と思った。やっぱり女の子だ。


身長は、たぶん一六〇センチくらい。細いからだは「痩せている」のではなく「未完成」という印象。白くてやわらかそうな頬。ふわっと揺れる前髪。その間からのぞく、きらきらと光るきれいな眼と、透きとおるとび色の瞳。ちいさな花のように淡く色づく、可愛らしいくちびる。やっぱり女の子だ。


「あの、ぼ、防災屋さん・・・ですか?」


声も、やっぱり女の子の声。だけど、少しおどおどした表情としぐさから、オレは逆説的に、


いや、こいつ男子かも・・・

と思い直した。


女性は男性に対し、こんなふうな遠慮がちなとまどいは見せない。昔は知らないが、女の子は基本的に、まわりの大人から可愛がられて育つ。オレみたいな四十絡みのオヤジに対して、女子中学生がこんな気後れを抱くなど、考えづらいと感じたのだ。これは、そう考えたのではなく、直感である。男の子にしては長い髪、でも、女の子にしては短めのその髪形も、その直感を後押しした。


「ああ、カモシマ建物さんですか?どうも、点検業者の刈田です」


念の為、一人前の、大人の担当者である前提で挨拶する。が、オレの中でまだ混乱は収まらない。だって、なんで、なんで中学生が、担当者として現場に、しかも単独で派遣されてるワケ?


「おっ、お世話になりますっ。あのっ、わたくし、カモシマ建物の・・・」


そう言って、内ポケットから名刺入れを出そうとしている。なんで中学生が普通に挨拶してるワケ?しかも、どうやら名刺交換までしようとしている、解せない。下を向いて伏せられたまぶたの先に震えるまつ毛が長くて、はっとさせられる。きれい、可愛い、やっぱり女の子みたい。


「管理一課の営業担当、桃瀬と言います」


そう言って名刺を出し、その男の子は、再度「ぺこっ」とあたまを下げる。細くて柔らかそうな髪が揺れる。触りたくなるくらい柔らかそう。それに、寝ぐせ、だろうか?髪の毛の小さな束が、何箇所かで、ぴょん、ぴょん、という感じではねている。やっぱり男の子なのかなあ・・・と考える一方で、


――反則だろ?


そんなことも同時に考える。

繰り返しになるが、混乱しているのだ。


反則だろ?

その寝ぐせ、反則だろ?

だって、そんなの可愛すぎる!!!


「深沢防災テックの刈田です」


そう言ってこちらも名刺を切りながら、


いやいや、

これはやはり女の子だろうか?


そんなことを思ってみたりする。なんだろう、そのきれいな眼といい、小さなこどもみたいな鼻といい、微かに赤みの差すまあるい頬といい、とがった小さなあごといい、清楚かつ華やかなくちびるといい、「まるで花のような・・・」と形容したくなる美しさなのだ。


ここで一度、確認して置きたいのであるが、本稿はショタ系おとこの娘モノの娯楽小説などでは断じてなく、実話をそのまま書いている。謂わばエッセイだ。この子の眼がくらむほどの美貌も、こどものような可愛らしさも、創作ではなく実際に受けた印象をそのまま描写しているに過ぎない。


その日は結局すべてが謎のまま過ぎ去った。いや、今だって厳密にはその謎が解けた、とは言いがたい。といか、まんま謎だ。眼の前に立ち現れたこの現象に慣れただけだ。取引先の担当者が完全に、年齢不詳かつ性別不詳で、ことによると中学生かも知れない、という事実に。


相手の名刺をよく見てみる。「桃瀬達人」とある。男だ。良かった。・・・って!! 本当に良かったのか??? オレ的に、本当に、大丈夫なのか?????


オレは、その日、桃瀬くんを、単に管理会社の一社員として遇した。業者として桃瀬くん礼を尽くし、過不足なく説明・相談・そして最後に報告を行った。


「可愛かったな・・・」


しかし帰りの軽四ワンボックス・サンバーの運転席で、思わずオレはそう呟いていた。


「本当にいるんだな・・・」


当時、オレはカクヨムという小説投稿サイトにオリジナル小説を連載・投稿中で、その小説の登場人物としてトランスジェンダーの美少年を造形していた。


少女と見紛う美しい少年・・・


それはマンガ・アニメ・ラノベにしか存在しない、虚構世界の住人のハズだった。というか、所謂「おとこの娘」は、オレのごくごく個人的なカテゴライズに従えば「美少女キャラ」の最終形態のひとつに過ぎなかった。美少女を全力で造形し、それに「実はおとこの子だよ」という注釈を付けるのだ。よくある「実はロボットだよ」という注釈と同じように。するとどうだろう、単に少女を造形しているだけなのに、その女性としての魅力、子供としての可愛いらしさが、よりいっそう際立つのだ。


それが、そのマーケットの欲望が生み出した虚構空間の、美と愛と、そして性との狭間に生息する、妖精のごとき生き物を、この現実世界で目撃することがあるなんて、驚きを禁じ得ない。それもまさかこの、この日本の社会の実相そのものと言っても過言ではない建築・ビルメンテナンス業界においてである!!!


**


桃瀬くんとの再会を果たしたのは、その半年後だった。何の事はない、消防用設備点検は六ヶ月毎に実施する法定点検なのだ。


その日の朝、その海老名のモバイル機器の販売店に到着すると、今度は駐車場で待ったりせずに試験用具を掴み、真っ直ぐに裏手のキュービクル式変電設備に足を向けた。前回もそうだったのだが、消防用設備点検の他に、自動ドアの定期点検と、電気主任技術者による法定点検も同日実施だったのだ。


この日も桃瀬くんは、キュービクルの前で膝を折ってしゃがみ、黒いビジネスバッグの中から作業安全管理か何かの書類を捜し出そうとしているようだった。


相変わらず年齢不詳で、こどものような可愛さだった。何だろう、オレはそんな彼の姿を見て、少し安心に似た気持ちを覚えた。今日、改めて見てみたら、別に、普通に、二十台の真ん中くらいの、ちょっと色が白くてスリムなだけの、ただの若者かも知れない、そう思っていたのだ。ありがちな話だ、じゃないか? 半年前の、あの少女のような、儚くもいとけない美しさは、単なるオレの、間抜けなカン違い、そう覚悟していた。


今日も、ちゃんと綺麗だ。

今日も、ちゃんと可愛い。

今日も、しっかり年齢不詳で、

本当は、

やっぱり女の子なのかも知れない・・


素敵だ。

こんな奇跡がある。

だから人生には、やはり苦労して生きてみるだけの価値があるのだ。

って、ちょっと大袈裟だな、やっぱりどうかしてる・・


桃瀬くんの、

その不思議なおとこの子の横顔を、

オレは凝視する。


シルクのような光沢の、

細くてなめらかな髪。

所どころ寝ぐせに小さく跳ねて、

こどものような可愛さだ。

そして、

おとこの子にしては長いその髪に、

護られるようにくるみ込まれた、

花のような・・

ほんとうに花のような横顔。


綺麗に咲いた眼ざし、

可憐に咲いた口もと、

白くかがやく頬肌ほほと、

思わずキスしたくなる可愛いおでこ。


綻びだしたつぼみのような、

控えめに開く花弁に護られた、

雌しべと雄しべのような、

そんな、

控えめな、儚い美しさだった。


怖らくはボンヤリした間抜けな顔で立ち尽くすオレの視線に気付き、桃瀬くんは伏せたまぶたを開いてこちらを見た。


ぱっちりと開いた大きな眼。

漫画みたい、

アニメの美少女キャラみたい、

やっぱりきれい、

まるでこどもみたいな可愛さ・・


見たのは、しかし一瞬だけだった。オレはすぐに目を逸らし、そして、唐突に、何の脈絡もなく、決意したのだ。



仕事でここに来ている。

仕事で彼と会っている。

そしてオレは、

コトによると恋に落ちている。

眼差しから、

瞳の色から、

表情に差す僅かな影から、

きっと気付かれてしまう。


異性として、

彼のことを意識してしまっている、という事実に。


まあ、同性なワケだが。

でも、おんなの子にしか見えないのだ。


それから、

オレは注意した。

彼のことをジロジロ見ないように、

そして決して、

視線を合わせないように、

しかし何より、

しかし何より笑顔を絶やさないように、

オレは最大限に留意した。


このときめきに、気付かれてはいけない。

だけど、

感じの悪い業者だな、となったらマズイ。


その日、

帰りの軽四の運転席で、

オレは訳もなく、

ヤケにヘコんでしまって、

何だか久し振りに、

無性にタバコが吸いたかった。


ため息ばかり出た。

何だか疲れ切ってしまった。


**


今、ここまで読み返してみて、何なんだこれは?という思いを禁じ得ない。どう考えても、どう読んで見ても、これは幼なじみの女の子に恋ごころを抱く十一歳の男の子の物語じゃないか? しかも相手は取引先の営業担当だし、紛らわしいがどうやら男だ。そしてオレはオレで、不惑の坂もとうに登り切った、長い年月に亘って世の風雪に晒され耐え続けた、草臥れたおっさんだ。目尻に、口角に、そしておでこにも、深くシワが刻まれている。


何が起こったオレに?

どうしてこうなった?


その後、一年間、桃瀬くんの姿を見ることは無かった。なんの事はない、半年に一度の点検を二回続けて、別の社員が点検に赴いていたのだ。これといった意図はない、たまたまだ、特に避けていたとか、そういう訳じゃない。


**


最初にカクヨムに投稿した小説は「ショタ系BLおとこの娘モノの同人漫画をネットで見たおっさんが、自分が変態になってしまったと死ぬほど悩む」という話だった。悩めるおっさんを面白おかしく語りたい、という意図で書いた作品だった。すべてを達観した視点から飄々と書かれた、面白クダラナイ小説を目指したものだったが、この小説のヒロイン、というか主要な登場人物である十四歳女装男子かつ超絶美少年を描くことにより、なんだろう、美しいものだったり、切なく儚い物語であったり、そういう作品をもっともっと書いてみたくて、そんな時に出会ったのが性別・年齢どちらも不詳の桃瀬くんだったのだ。


少年?

少女?

こども?

おとな?

トランスジェンダー・・・なのかも知れない。

女の子になりたい男の子、なのかも知れない。

逆に男性になりたい女性、なのかも知れない。

しかし実際には、

どうやら単なるベビーフェイスの成人男性らしかった。


まあ、それも予想に過ぎないのだけれど。


いや、だって、「桃瀬くんって、本当は女の子なの? いや、だって、あんまり可愛い顔してるから」なんて、そんなこと訊けるワケない。「きれいな肌だよね、こどもみたい、最初、中学生なのかと思ったよ、ところで桃瀬くんって、いま何歳いくつなの?」いやいや、無理だ。失礼にも程がある。っていうか、口説いてんのかよ、ってハナシだよマジで。


ゆえに、すべてが未確認のまま、今に至っているのだ。具体的に、確認のしようがないのだ、ではないか?


一年が経過した。別に桃瀬くんを避けていた訳じゃない、たまたまだ。でも気にはなっていた。ときどき思い出しては、あんなに可愛らしく見えたのはきっと気のせいに違いない、そんなことを考えたり、カラダは女性でココロは男性のそういうバージョンのトランスジェンダーもあり得るぞ、とか考えたりした。もう本人に訊いちゃえよ・・


そしてまたまた、早朝のビル裏手のキュービクル式変電設備の白い筐体の前で、一年の歳月を経て、オレは、桃瀬くんを目撃するのだった。


ああ、


オレは思う。


だよな、そうか・・


またまた、

何だか安心したのを、今でも憶えてる。


こないだとは、逆の意味で。


スラックスにワイシャツの上から黒の作業用のジャケットを身に着けた桃瀬くんは、白皙の、そして眼鏡の似合う、二十代半ばの、大人の男性になっていた。


以前と変わらない綺麗な顔、子供みたいな紅いくちびるなんだけど、眼鏡に縁取られるその眼には、力と自信とが漲り、可愛く清潔感のある口元には、精神的に安定した大人らしい笑みが浮かんでいた。


おとこの子、じゃない。


桃瀬くんは、一人前の社会人になっていた。魅力的な、大人の男性だ。まあ背は、ちょっと小さいけど・・


寝ぐせが可愛いかったあの、女の子みたいな男の子は、いなくなった。


でも、それでいい。世の中、そんなもんだ。境界にいた者は、やがてその境界線を跨ぎ、何者かになる。当たり前のことだ、なんか泣きそう・・


**


こうして、この完全にナンセンスな物語は、終わりを告げるのであるが、この直後に実際に起こった「怒涛の急展開」の、そのさわりだけ軽く告知することで、このダラダラ意味もなく七〇〇〇字にも亘って書き綴った駄文の、その結びとしたいと思う。


オレは移動式粉末消火設備(よく駐車場とかにある赤くて四角い箱に収まった消火器の親分みたいなヤツ)の点検をすべく作業ズボンで路面にひざまずきパッケージの扉を開けると、そのオレのすぐ横にピタッと身体を寄せて、同じく桃瀬くんがしゃがんで来たのだ。


「あの、すっ、すみません刈田さん、この点検の作業報告書を、そのっ、ぼくの方でも作らなきゃいけないんですが、そのっ、どう書けばいいのか・・・おっ、教えて下さいっ!」


路面にヒザを突いたオレの太腿部だいたいぶに、桃瀬くんのやわ大腿部ふとももがピタッと密着する。オレは、息を呑む。そして、桃瀬くんの方を見ないように注意する。しかし視界の端に映り込む、——


上気した頬肌ほほの紅さと、

雪白の肌から立ち昇るその、

意外なほどの熱量。

そして少女のような口元から漂う、

微かにミントを含んだ、あまい香り・・・


桃瀬くんの、

キラめく瞳と、

その凝視とを感じる。


すべてを諦めたハズだった。

そして、

現実に還ってきたハズだった。

なのに今、

現実離れしたこの、

ご都合主義の安っぽいBL漫画のようなこの展開・・・


桃瀬くんと視線が会う。

潤んだ光沢に揺れる瞳と、

はっとした表情、

ばら色に血色を浮かべた頬肌ほほと、

小さな、こどもみたいなくちびる・・・


どうするオレ?

どうすればいい?


自問するも、

約四十年を闘い抜いてきた人生経験に於いてすら、

その答えは風にはためく文字のように、

読むことは出来ないのであった。





――「どう見ても中学生な管理会社社員・桃瀬くんの場合」 了



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