おやじとねぎま

千賀春里

第1話

 日が傾き始め、大通りの車が多くなる頃に大きな欠伸をしてのそのそと動き出す小さな影がある。

 屋根の上から地上を見下ろせば、手提げや大きな袋を持つ人間が大勢歩いている。

 もくもくと煙が上がり、風に乗ってやってくる匂いに身体を伸ばした。 

  

 クンクンと鼻を鳴らすと香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。


(ほうほう、今日も美味そうな鳥の匂いがするな)

 

 大通りに背を向けて車や人間の少ない方向へと歩き出す。

 軽い足取りで屋根から屋根へと飛び移り、壁や塀をつたって地面に降り立つ。

 余所さまのお家の庭を失敬して、柵を潜り抜けて強烈な匂いのするいつもの場所までやって来た。


(よう、おやじ。今日も景気は悪そうだな)


 古びた小さいスーパーの前でもくもくと煙を立ているのは人間のおやじだ。

 薄い頭に、邪魔そうに出っ張った腹、いつもと変わらない薄着で肉を焼いている。


「こら! また来たのか! お前にやる鳥はねぇ!」


(まぁまぁ、そう言うな、おやじよ。どうせ客など来た例がないだろう)


「これから忙しくなるんだ。邪魔するなよ」


(いつも客などいないではないか)


「そのうち駅の向こうに大きなショッピングセンターやら、大型のスーパーを立てるなんて言ってるが立ってしまえばこの商店街も錆びれちまうなぁ」


(俺はあそこは嫌いだ。車も多いし、人も多い。おまけに色んな音がして頭がおかしくなりそうだ)


「おじいちゃん、焼き鳥一つちょうだい」

「あいよ」

 

 人間の雌が一人、親父の焼いた鳥を買っていく。

 この人間はよく来る。

 俺とこの人間しか客はいない。


「いつも来てくれてありがとね」

 

 何故かいつもそう言って俺を撫でまわそうとするのだ。

(おい、勝手に触るな! 触るならその鳥をよこせ)


「はいよ、美味しいとこ!」 


 おやじは嬉しそうに焼きたての鳥を人間に渡す。

 おやじはいつも楽しそうに鳥を焼く。

 毎日生き生きと鳥を焼いている。

 

 おやじの脇には既に焼き上がり、パックに詰められた焼き鳥がいくつも積まれていた。


(なぁ、おやじ。俺にもくれよ。俺も腹が減っているんだ)


「何だ? ダメだ、ダメだ。おい、こら、爪を立てるんじゃないっ……あぁ、分かった! 分ったから待ってろ!」


(ふん、それでいいのだ。だいたい、こんなに毎日来ている客も俺ぐらいのものだろうに)


 爪を引っ込めてほどなくして目の前に小さな皿が置かれた。


(おい、おやじ。これはどういうつもりだ?)


 目の前に置かれたのはねぎまである。


(おい! おやじ! 俺はねぎが嫌いだ! 前にも言ったはずだ!)


「あぁ、お前はねぎがダメのなのか」


(そうだ! これ以外なら何でも美味しく頂いてやるがこいつはダメだ!)


 おやじは一度出した皿を引っ込めて、別のものに取り換える。


「そらよ。もも肉だ。これなら食えるだろ?」


(これよ、これ。うむ、美味いではないか)


「店の連中には内緒だからな、怒られちまう。早く食べて行けよ」


(店にも人などいないではないか。まぁ……俺はこの美味い肉が食えれば何でもいいがな)


 しゃがんだおやじが俺の頭を優しく撫でる。

 いつものおやじよりも少しだけ距離が近くなった。


(おい、食べてる時はやめろ!)


「何だ、いっちょ前に威嚇か?」


 がはは、と豪快に笑う親父は俺が食べ終わるまで椅子に座ってにこにこしながらこちらを見ていた。

 木製の古い椅子に座布団を敷き、鳥を焼く合間に座っていた。

 おやじが座る度に椅子はギシギシと音を立てる。

 


(おい、おやじ。また来るからな)


 そう言い残して俺は遠回りをして自分のねぐらへと戻った。






(おかしい。おやじがいないではないか)


 いつもと同じ頃にいつもの場所に来たがおやじの姿も香ばしい匂いも、もくもくの煙も上がっていないではないか。


(どういうことだ? おい、おやじ! どこだ!)


 店の前をくまなく探すがおやじの姿はない。


(そのうち姿を現すだろう)


 おやじがいつも座っている椅子に登り、休んで待つことにした。

 

 しかしその日はおやじは現れなかった。


 次の日も、その次の日も、店の前でおやじの椅子に座っておやじが鳥を焼くのを待っていた。

 しかし、いくら待ち続けてもおやじは現れない。




おやじが消えて数日経った頃。


(ない! ない! どこに行った!?)


 おやじの椅子がないではないか!


 道すがら見つけた蛙に夢中になってしまい、いつもよりも遅れて来たのだ。

 すると椅子も鳥を焼く大きな道具も煙を仰ぐ内輪も、何もかもなくなっていた。


(このままではおやじが鳥を焼けないではないか!)


「あぁ! いたいた!」


 不意打ちを喰らい身体がいきなり浮き上がった。


(誰だ! おやじじゃないな!?)


「ごめんね、猫ちゃん。おじいちゃんね、もう焼き鳥屋さん出来なくなっちゃったの」


 (何だと!?)


 よく見れば、おやじの所によく鳥を買いに来ていた人間の雌ではないか。


「おじいちゃんね、ここスーパーの前でずっと焼き鳥屋さんしていたの。でも駅の向こうに大きなスパーやショッピングセンター出来て随分まえにこのスーパーも潰れちゃった。焼き鳥屋さんもやめちゃったの」


 悲しそうな声で人間は言う。


「でも認知症になっちゃって……焼き鳥を焼きに行くって聞かないから……」


(何だそれは? 病気か? おやじはどこだ?)


「家族で話し合って、焼き鳥屋さんをさせてあげてたのよ。でも施設に入ることになったの。たまに家にも帰って来るんだけどね。もう、焼き鳥屋さんは終わりにしようねって言ったら、今度は猫が焼き鳥を食べにくるから。焼きに行かなきゃっていけないって言い出してもう大変よ」


(何だ? おやじは俺の心配をしているのか? また鳥を焼いてくれるのか?)


「おじいちゃんはもう焼き鳥屋さんはできないわ。ごめんね」


 人間はそう言って俺の頭を撫でる。

 

(やめろ。俺の頭を撫でていいのはおやじだけなんだぞ。おやじは美味い鳥を焼いてくれるから特別に撫でて良いんだ)


「おじいちゃんが、猫が来るから、猫が来るからって。毎日のようにいうのよ。焼きに行くんだって」


 そう言ってまた俺の頭を撫でる。


「昔のことはよく覚えているのよ。でも最近のことは全然覚えられないの。さっき食べたご飯のことだって覚えてないのよ。でもね、貴方のことは凄くよく覚えているのよ。よっぽどあなたのことが好きなのだわ。貴方がお腹を空かせていないかきっと心配なのよ」


(おやじは毎日、俺のために鳥を焼いていたのか? 馬鹿だな、おやじ。俺は好き嫌いは少ないから何だって食べれるんだ。ねぎは苦手だがな)


「おじいちゃんの焼き鳥、美味しかった?」


(あぁ、美味かったとも。どんな残飯よりも、新鮮なねずみや蛙よりも最高に美味いのだ。おやじの鳥は最高だ。もう食べれないのか、おやじ……)







「本当にその椅子が好きね」


 祖父が焼き鳥を焼くときに使っていた木製の椅子と古い座布団はこの猫のお気に入りだ。

 椅子は古いし、座布団は焼き鳥の油やタレのシミがついていて綺麗とは言えないがこの猫が気に入っていると思うと捨てるのも忍びない。


「ねぎま~」


(誰が『ねぎま』だ!)


 尻尾でべしっと近づく手を払い除ける。

 すると人間は大袈裟に嘆息した。 


「ママ、ねぎまは全然懐かないね。おじいちゃんじゃないとだめか」


(この俺に忌々しい名前をつけおって!)


「尻尾をばバシバシって打ち付けるように動かすのはイライラしてるサインらしいわよ」


 人間の雌二匹は本を広げて笑い合っている。

 この二人はいつも騒がしい。騒がしくて昼寝もままならない。


 俺は起き上がり、身体を伸ばし、椅子の上から外の景色を眺めた。

 窓の外に白い大きな車が止まれば、おやじが帰って来た合図だ。

 白い車はまだ来ていない。

 

「今日はおじいちゃんが帰って来る日だから外が気になるのね」

「もう少しで来るからね~」


 おやじは施設という場所にいて、たまにこの場所に帰って来る。

 おやじが鳥を焼いて俺を待っていたように、今度は俺がこの椅子の上でおやじを待っていてやるとしよう。


 おやじの焼き鳥はもう食えない。

 だが、この椅子と座布団からは美味そうなおやじの鳥の匂いをいつも感じることができるのだ。



 
















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