【6】主役と主役

池田春哉

主役と主役

 まだ水曜日だというのに店内は入った瞬間から賑わっていた。たくさんの人の笑い声。じゅうじゅう、と脂の焼ける音。

 岩のような顔をした店主の見つめる金網からは橙の炎が立ち上り、薄い色の煙は芳ばしい香りだけを残して換気扇に吸い込まれていく。

 それらを見ていると、かた、と音を立てて目の前に皿が置かれた。その艶やかで美しい焼き目を一目見るだけで食欲がそそられる。早速僕は手を合わせた。

「いただきます」

「いただきます、じゃないでしょ。なにこれ」

 隣に座った楠谷くすたにさんは鋭い口調で突っ込みを入れた。カウンター席に座る僕たちの前に置かれた長方形の皿を指差す。

「ねぎまだよ」

「そうじゃない」

 彼女の細い人差し指の先には六本のねぎまはずらりと整列していた。どうしたんだろう。彼女は何を怒ってるんだ。

「……あー、砂肝のほうが良かった?」

「好みの問題じゃないのよ」

「そっか、砂肝は亜鉛が多く含まれてるから肌や髪の毛にも良いもんね。ごめんごめん、でもねぎまもすごいんだよ。タンパク質豊富な鶏肉に、アリシンやβカロチンの摂れるネギの組み合わせは最強なんだ。低カロリーながら免疫力もアップするし」

「栄養素の話でも、ない!」

 短く叫んだ楠谷さんは右手でねぎまを一本奪い取って、がぶりと食いついた。なんだ、焼き鳥好きじゃん。

「問題はなんで私たちが焼き鳥屋さんにいるのかってことよ!」

 もぐもぐと頬いっぱいにねぎまを詰め込みながら彼女は主張した。彼女の声はよく響くので周りに座っていた数人の客がこちらを向く。しかし店主だけは微動だにしなかった。

佐伯さえきくん教室で言ってたよね。みんなのいない場所で話がしたいって」

 確かに僕はそう言って彼女をここに呼び出した。先週末に東京で彼女に告白されてから三日が経ち、そろそろ返事をしなければいけないと思ったのだ。しかし、それを周りに聞かれるのは少々気恥ずかしい。

「ここに学校のみんなはいないでしょ」

「そりゃ居酒屋だからね。てか私たち未成年なのに入っていいの?」

「大丈夫だよ。昔から家族でよく来てるから」

 僕は店主のほうを向く。

 強面の店主は焼けている串から目を離さないまま、こちらに向けてぐっと親指を立てた。

「ほらね」

 言いながら彼女のほうを向き直ると、楠谷さんは呆れたような諦めたような顔をしていた。

「……まあいいや。焼き鳥美味しいし」

 彼女は次のねぎまを手に取る。「なんでねぎまばっかなのよ」とぼやきながらも口に運んだ。このままじゃ僕の分まで食べられてしまいそうだ。慌てて僕も端の一本に手を伸ばす。

 そして口ではなく、目の前に掲げた。

「こうなりたいんだ」

「ん?」

 口を動かす彼女はその大きな瞳をこちらに向ける。

「ねぎまってさ、ネギじゃなくても鶏肉じゃなくても、ねぎまじゃなくなる」

「そりゃ鶏肉の間にネギが入って、ねぎまだもん」

「そうなりたいんだよ」

「どういうこと?」

 楠谷さんは首を傾げる。彼女は鶏肉とネギを別々に食べるタイプらしく、食べかけの串の一番上にはネギがいた。

「正直、片方ずつだって十分美味しいんだよね。鶏肉だけはもちろんだし、ネギだけでも一本としてやっていける」

「ネギ串とかあるもんね」

「そうそう。一人でも全然やっていけるんだ。でも、そんな二人が並ぶことに決めた」

 僕はねぎまを口に運び、前歯で鶏肉とネギを串から外した。噛み締めるたびにジューシーな脂と程よい酸味が口に広がり、次から次へと食べたくなる。美味しい。

「そうしたら『ねぎま』って名前がついた。互いが互いを補い合って、どちらが欠けても成り立たない。二人並んで、最強の一人になった」

 僕は最強に生きたい。

 どんな輝きの隣に立っても恥ずかしくないように。

「僕はそんな風になりたい。でもそのためには、どちらか片方だけが主役級じゃ駄目なんだと思う」

 入試当日の、あの青天を思い出す。まるで彼女を引き立たせるような青色。

 僕の目にそう見えたのは、きっと彼女自身が輝いていたからだろう。

 美しい青空が霞むほどに強く光輝いていたからだ。

「今日は告白の返事をしようと思ってここに来てもらったんだ」

 その台詞を聞いて、彼女は少し緊張したように表情を強張らせる。

 僕も知らず、拳を握っていた。

「楠谷さんの告白は嬉しかったよ」

 彼女の顔を見られない。

 その光に遠く及ばない、自分が情けなくて。

「でも、僕は楠谷さんと並べない。僕はまだその場所に相応しくないから」

 鷄にもネギにもなれてない僕は、まだ串に刺さることは許されない。

 僕にはまだ、彼女の隣に立つ資格がない。

「私より半年も先に名門高校の合格もらってるやつが何言ってんだか」

 一際大きく響いた声が、僕の顔を上げさせた。彼女はがぶりとねぎまに喰らいつき、そのまま何度か咀嚼して飲み込む。

「ねえ見てたでしょ? 私の頑張り」

 彼女は自分の涙袋を指で示す。かなり色は薄まってきたが、まだしっかりと努力の跡は残っていた。

「なんで私が目の下にこんなおっきいクマ作って、遊びとか旅行とか漫画の新刊とか全部我慢して必死に勉強してたかわかる?」

 そうだ。僕はずっと見てきた。彼女の頑張っている姿を。

 その瞳の奥の燃えるような灯を。

「私が佐伯くんの隣に立ちたかったからだよ」

 彼女は鷄とネギが刺さった串を持ったままそう言った。

 しかしそれからすぐに考えこむように黙って「いや、もっと欲張りだった」とこちらを向き直る。


「佐伯くんの隣は誰にも渡したくないし、私の隣は佐伯くんがいい」


 そして彼女は手に持ったねぎまを再び口に運ぶ。今度はネギと鶏肉を一緒に食べた。

「……なんだよ」

 僕は動けなかった。

「なんでそんなに」

 なんでそんなに強いんだ。そう言おうとするも、僕の口から続きは出なかった。

 瞼の裏に熱が滲んで、彼女の輝きが乱反射する。

「眩しすぎるよ、楠谷さん」

「知ってる」

 食べきった串を串入れに入れながら、楠谷さんは優しく微笑んだ。

「私の目にも、そう見えてるから」

 たくさんの人の笑い声。じゅうじゅう、と焼ける脂の音。

 それら全てを背景にして。


「……好きです」

「それも知ってる」


 歪んだ視界の中には、僕のぐしゃぐしゃの声と、くしゃりと笑う彼女だけがいた。



(了)

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