焼き鶏が先か、卵が先か

鯨ヶ岬勇士

焼き鶏が先か、卵が先か

「これ、なんだと思う?」


 父はそう言って、僕の目の前に白くて丸いものを置いた。


「生卵じゃない?」


「そう見えるだろ、それが問題なんだ」


 父はその卵を突き回しながら、僕に問う。明日は土曜日、こんなことをしている暇があるならテレビで映画も観たいし、友達と電話だってしたい。それにもかかわらず、僕はリビングで机を挟み、父親と卵を眺めていた。


「これはバロットなんだ」


「バロット?」


 その名前自体は聞いたことはある。東南アジアで滋養強壮に良いとされ、屋台で食べられるポピュラーな食べ物だ。しかし、その最大の特徴は——


「あの孵化直前のアヒルの卵でつくる料理のバロット?」


「そうだ。会社の帰りに珍しく売っていたから買ってきたんだ」


 父はそれをひょいとつまみ上げると、じっと見ている。それから僕を見て聞いてきた。


「これって焼き鳥の一種か? それとも焼いた卵?」


「そりゃ——」


 当たり前だと言わんばかりに答えようとしたが、僕は口籠もってしまった。孵化直前のアヒルの卵。確かに殻に入っているが、中身はほとんどアヒルの雛そのものだ。


「なあ、どこからが雛で、どこまでが卵なんだ?」


 そう聞かれ、僕は何も言い返せなかった。そのとき、頭の中では受精卵を用いた研究を行う際に起きた「これは人体実験にあたるのか。そもそもどこからが卵子で、受精したらそれは人間なのか」という倫理問題や、アメリカの福音派の保守団体が中絶クリニックの前で抗議デモをしている姿が浮かび上がってきた。


 今、僕の目の前に確かにバロットはある。存在しているし、触れることもできる。匂いを嗅ぐことはもちろん、それこそ食べることもできる。五感を持ってしてその存在を証明できる。それなのに、これが何かを定義できない。


「父さんな、それを考えはじめたら食べられなくなってしまってな」


 人間の五感が信用できないものになっていく。今、僕たち親子は世界の存在証明に挑もうとしているのかも知れない。そう思うと、僕もバロットを食べてこの問題を有耶無耶にすることが非常に無責任かつ哲学的に不謹慎なように思えてきた。


「バロットは、その、蛹みたいな中間形態だと思えば良いんじゃないかな」


「アヒルなのに?」


「やっぱり違うか」


 これが焼き鳥なのか、それとも焼いた卵なのか。この白い殻の中に、人類が今も挑み続けている哲学的問題の答えが、宇宙の真理が潜んでいると確信してしまっていた。


 そんなとき、風呂上がりの母が何をしているのかと話しかけてきた。


「母さん、これ何に見える?」


 父が母に問う。


「ゆで卵」


 これは焼き鳥か、焼いた卵か、それとも茹で鳥か、茹で卵か——新たな疑問が生まれた。

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