幸福
夏生 夕
第1話
わたしの名前はハナではない。
と、ばあさんに言いたいが言えない。別にかまわないけど、何だって。
今日が誕生日と聞いた。おめでとう。ばあさんいくつになったんだ?わたしの誕生日は覚えているか?来月だから、いつものケーキをよろしく。
家族がそわそわしている。今日はこの後、ばあさんの誕生日会だ。
昨年はどうしたっけ。ここまで盛大だったかな。
なんだか金ぴかの服がばあさんの席にかけてある。昨日、孫二人がドンキで買ってきた。わたしは普段と違う時間に連れ出された上に散歩コースを外れ、店前でずいぶん待たされた。その間に体の大きいやつにめちゃくちゃ吠えられたんだぞ。まぁ相手になんかしちゃいないがな。
ばあさん、またばあさんと散歩がしたい。じいさんもついでに。
じいさんがいなくなってからもう三年経ったのか。
わたしはまだこの家に来て日が浅かったが、じいさんとばあさんはずいぶん長い付き合いだったらしい。
ばあさん、たくさん泣いてたな。家族の誰よりも。当たり前だ。
わたしはどうすることも出来ず、何も言えず、ただ足元をうろうろするしかなかった。
その頃から、ばあさんはわたしを「ハナ」と呼ぶことが増えた。初めはわたしを呼んでいるということにさえ気づかなかった。無視したわけじゃないぞ。
やっぱり違う名前で呼ばれるのは、びっくりするんだ。孫を間違えたときなんか大声出されて大変だったろう。許してやってほしい。
ばあさんだって、きっと驚いたよな。
ばあさんはわたしを抱えてまた泣いていたのに。
わたしはまたどうすることも出来ず、何も言えず、舌でその涙を掬うしかなかった。
ん、誰か来た。そろそろ散歩の時間か。
ばあさん、せんせいが来たみたいだ。
せっかくの誕生日に会えてよかったな。
せんせいがわたしの散歩を手伝うようになって、ばあさんは少し変わった。家族も。
ばあさん最初っからせんせいのこと、じいさんの名前で呼ぶもんだから。そんなに似てるか?ひょろ長いとこだけじゃないか?皆慌てたんだぞ。
でも、せんせいは「はい」と答えた。
否定せずに、返事をし、ばあさんの話を聞いていた。
ばあさんがわたしをハナと呼んでも、いやそいつはマメです、とも言わなかった。
それがいいことなのかは分からない。
でも、ばあさんは泣かなくなった。また以前みたいに、笑ってくれるようになった。
「おばあさんも87歳ですからね、間違えちゃうことだって、ありますよねぇ。」
謝る家族に、のほんとした笑顔で言った。
「マメ、マメはマメだけど、ハナでもあるんですねぇ。たくさん呼んでもらえて、素敵ですね。」
初めて奴に連れられた散歩は、悪くなかった。
お、ばあさん来たな。
・・・やっぱりその金ぴか、着るのか。おい袖がないぞ。寒くないか?変な帽子だな、それも金ぴかなのか。
ほら、せんせいも固まってるぞ。
やっぱりその服、微妙なんじゃないか。
「お誕生日なんですか!?というか、べいじゅなんですか!?ど、どうしよう・・・!」
いや、べーじゅ、じゃなくて金だろ。
おいせんせいどこへ行く。待て、散歩は。
行ってしまった。なんなんだ。
家族全員が揃って食卓にいるのは久しぶりだな。
テーブルの上が華やかだ。
せんせい戻ってきたな。散歩はやく連れてけ。
「こ、これ頂き物で申し訳ないのですが!また後日改めて・・・。あの、米寿、あの88歳のお誕生日!おめでとうございます!!」
家族の誰より先に言いやがった、せんせい。
しかも米?それ米か?なんで米もってきたんだ?
相変わらず変わった奴だ。
でもこいつのおかげで、今日のこの明るい食卓があるのかもしれない。
ばあさん、誕生日おめでとう。
ごめんな、言えなくて。
いつも大切なときに何も言えなくてごめん。
「あらいいわねぇ、ハナ。お散歩連れてってもらうの。」
ばあさん、あなたが呼んでくれるならハナでもマメでも何でもいい。何だってかまわない。せいぜいたくさん呼んでくれ。
何も言えない代わりに、こうして頭を撫でられよう。
あなたがわたしを呼び続ける限り。
それは出来るだけ長い方が嬉しい。
では散歩に行ってくる。
幸福 夏生 夕 @KNA
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