88歳の肖像

藤光

88歳の肖像

 壁に掛けられた大きな黒い染み。

 それは顔だった。

 モノクロ写真が大きく引き伸ばされ、細部がぼやけるほど拡大されている。壁に巣くった黒黴が描いている模様に見えたのは、モデルとなった女性の顔で、黒い瞳がぽっかりとこちらに向けて開いていた。じっと見ていると、その深いほら穴に吸い込まれそうだ。


 市役所に隣接する多目的ホールで、ぼくは「顔」と向き合っていた。顔、人物、顔、人物。ホールの壁にはたくさんの顔と人物が掛けられている。正しくいうと、掛けられているのはモデルの顔や全身を撮影した写真だ。大きいのや、小さいの。モノクロであったり、カラーであったり。展示してある写真はさまざまだが、被写体となっているモデルはたったひとりの女性だった。


 ――よっぽど、このモデルのことが気に入ったんだろうか?


 女性は、とりたてて美人というわけではない。それどころか、美人、不美人以前にモデルとしては、歳を取り過ぎているように思うのだ。現に、いまぼくの目の前にある、女性が笑顔で写っている写真には「87歳」というタイトルが掛けられていて、パネルの中では皺と染みに覆われた顔をくしゃくしゃに歪めて女性が笑っている。日曜日の午後、ぼくのほか、写真展が開かれているホールに人の姿はなかったが、それも納得だ。


「つまらない休日の使い方になっちゃったな」


 ぼくは写真事務所で働いている。企業、自治体、個人、法人、さまざまな顧客から依頼を受けて、写真を撮影するのが事務所の仕事だ。そんな事務所の同期、同僚が写真専門学校や芸術系大学で写真を勉強してきた人ばかりのなか、ぼくはまったく写真を撮った経験がなかった。


 写真を撮るのは、契約カメラマンたちなので、ぼくたちが撮ることはない。でも、いずれプロのカメラマンとして独立するため、撮影技術と経営ノウハウを身につける――という事務所の空気の中で、完全に浮き上がっていたぼくは、だんだんと写真が嫌いになっていた。


「ちょっと勉強だと思って行ってこいよ」


 事務所の社長が渡してくれたチラシにあったのがこの「蜥蜴谷愛子とかげだにあいこ セルフポートレート展」だった。


 社長じきじきのご指名だったので、どんな写真展かと思って日曜日の午後にきてみたら――入場無料。市民ホールの一角を借りて、アマチュア写真家の写真を展示してあるだけだった。


 いま注目されているフォトグラファーの個展であったり、過去の著名な写真家の展覧会のために、わざわざ東京まで出かける同僚がいることを思えば、ごくささやかな写真展だった。パーティションで仕切られて静かなホールいっぱいに、老女の写真が掛けられている――。


「よっぽど、この人のことが好きなんだな」

「そうでもなかったのよ」


 ひとり言のつもりだった呟きに答えが返ってきて、ぼくは飛び上がった。振り向くと、いつのまにかぼくの後ろに小さなおばあさんが立っていた。相当な高齢だ。後ろ手にやや背を丸め、にこにこと微笑んでいる。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 ひと目見て「あれ」と思った。知らない人のはずなのに見たことがある。ああ。いまこのホールに飾られているすべての写真のモデルになっているおばあさんだ。


「ここの写真はわたしが撮ったの」


 全部? 自分で自分のことを?


「自分で自分の姿を写真に撮ったものを『セルフポートレート』っていうの。ここにあるのは、全部わたしのセルフポートレート。湯秋さんでしょ、社長からは伺ってます。ゆっくり見ていって」


 真っ白な髪の毛を後ろで無造作に束ねた皺だらけのおばあさんだった。この人が蜥蜴谷愛子さん?


「社長を知ってるんですか」

「むかし、セルフポートレートの撮り方を教わったの。あなたも写真を撮るんでしょう?」

「あ……いや」


 写真事務所で働いていながら、ぼくはほとんど写真を撮ったことがない。専門的な写真の勉強をしてきた同僚の前で下手くそな写真を撮っていると、馬鹿にされそうで怖かったからだ。


 仕事柄、プロの撮った写真に接することは多く、素晴らしい写真と出会ったときなどは、「ぼくも撮ってみたい」と思うことはある。でも、写真を見たり、撮ったりする訓練を積んできた同期、同僚の視線が怖くてじっさいに撮ることはしなかった。


「ちょっと話が長くなってもいい?」

「はあ」


 なんだろう。日曜日の午後三時は、いまからどこかへ出かけるには中途半端な時間だ。長くなって構わなかった。これを観たら、どこかで夕食を買って帰ろう。


 蜥蜴谷さんは、ホールを入ったところ、来場者を迎える位置に大きく引き伸ばされたモノクロ写真を指差した。


「70歳のとき、夫が死んだの」


 急になに話し出すんだと思ったけれど、穏やかな蜥蜴谷さんの表情に、ぼくは口をつぐんだ。


「その時わたしも死んだ。なにをしたらいいか分からなくて。手につかなくて。わたしずっと夫の指図どおり、彼の顔色を伺いながら暮らしてきたから。ご近所の評判を気にしながら、みんなに合わせて生きてきたから。


 夫が亡くなってしまうと、それが全部まっさらになっちゃって。それから思い出すのは夫のお葬式のことばかり。これは、わたしのお葬式の写真にできるかなと思って、自分で撮ったの」


 写真から離れて全体を眺めると、たしかに蜥蜴谷さんの顔だった。やはりおばあさんだけど、いまの彼女よりずっと若い。


「わたし自分のことが好きじゃなかった。でも、この写真を見て、自分のことかわいそうだなって」


 そのなにも映さないふたつ瞳に、やっぱりぼくは吸い込まれて行きそうになる。


「がんばったねって言ってあげたくなって、ちょっと自分のこと好きになったの。ゆっくり自分のこと好きになっていこうと思った。これは、その記念写真」

「ぜんぶ……ですか」

「そう。ぜんぶ」


 さして大きくはないホールの壁に掛けられた大小さまざまな写真パネル。その一枚一枚は蜥蜴谷さんのセルフポートレート。自分に向かい合った時間を収めた記念写真。パネルには、ひとつひとつタイトルが付けられている。ここにあるのは「70歳」。向こうの全身像は「78歳」。そちらのしゃがんだ姿勢の写真は「85歳」。順に歩いてみていくと、写真もタイトルも、とてもシンプルだ。写真は全部で19枚。


 最後のパネルは横顔だった。モノクロ写真で、蜥蜴谷さんの横顔が大写しになっている。真っ白な髪。浅黒い肌。深く刻まれた皺。まっすぐ前を見つめる目。画面から浮き上がってくるような、くっきりと明快な写真だった。タイトルは「88歳」。


「どうだった?」

「とても……きれいです」


 最後のパネル、蜥蜴谷さんの視線の先を追いながらぼくは答えた。


「やあねえ。そういうのは若い女の子に言ってあげなさいよ」

「いやそういう意味ではなくて……、あ……」


 蜥蜴谷さんは、その小さな身体を揺らしてころころと笑った。


 ぼくは、もう一度すべての写真を見て歩いてからホールを出た。

 決して上手な写真であるとは思わない。特別な技術が使われているわけでもない、ありきたりのアマチュア写真だ。でも、つまらないとは思えなかった。でも――


 家には帰る前に、写真事務所に立ち寄った。無性にカメラに触れてみたくなったからだ。

 今日は仕事のない日のはずだたったのに、オフィスでは社長がひとり、作業用PCで写真の編集作業をしていた。


「あ」

「おう。いってきたみたいだな。どうだった蜥蜴谷さん」


 ぼくのことを待っていたのだろうか。


「え、なんというか……いいもの見たなっていうか……」

「そうか。写真が好きなやつには蜥蜴谷さんの写真がわかるんだ。あの人、撮るたびにどんどん写真のことが好きになってくんだよな。自分のことが好きになっていくのさ」

「……」

「おれも、仕事が嫌になったら、ときどき蜥蜴谷さんの写真を見せてもらうんだ」


 社長は、元気が出るからなといいながら、写真の編集作業に戻った。


湯秋おまえも元気出たみたいじゃないか。明日からまた頼むぞ」

「はい……あの……」

「ん?」

「蜥蜴谷さんに、セルフポートレートの撮り方を教えたんですか?」

「そうだよ。湯秋も知りたいのか? じゃあ教えてやるよ――スタジオへいこうか」


 うれしそうに社長がいって立ち上がった。

 そうしたら、ぼくも自分のことが好きになれるだろうか。


 ――それは撮ってみないとわからないわ。


(了)

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88歳の肖像 藤光 @gigan_280614

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