末永く、末広がりに

今福シノ

とある訪問

 高良たから香織かおりにとって、木曜の午後は憂鬱な時間だった。

 無論、一週間も後半戦で、近づきつつある休日が近くて遠いから、という理由も少なからずあったが、目下もっか高良の悩みの種は別にあった。


「高良さん、そろそろ行かなくていいんですか?」

「わかってる、わかってるってばー」


 課の後輩に指摘されるも、高良の腰は椅子いすとの別れを惜しんでいる。


「今日も柿坂かきさかさんには会えなさそうですか?」

「たぶんね。先週も玄関で門前払いだったし」


 村に住むひとりぐらしの高齢者に訪問して体調などを聞き取る。それが村役場地域福祉課に勤務する高良に与えられた木曜午後の仕事だった。

 小さな村とはいえ、ひとりで住む高齢者の家をすべてまわらないといけない。それは言うまでもなく大変だが、複雑なものではない。問題なのは、会って顔を合わせてくれない人がいるということ。柿坂哲司てつじもそのひとりで、気難しい性格なのか、玄関先で二、三言葉を交わすことしかできていなかった。


「でも課長はそれでいい、って言ってるんですよね?」


 後輩はひそひそ声に変えて訊いてくる。ちらりと見るその先には、なにやらけわしそうにパソコンの画面とにらめっこしている顔があった。


「まあね。家にいるのはわかってるんだからいいじゃないか、って」

「じゃあしょうがなくないですか?」

「いやまあ、そうなんだけどね」


 高齢者の孤独死は今や社会問題。その対策として始まったひとりぐらしの高齢者への訪問。究極的には課長の言うとおり、会えなくても玄関先で生存確認ができればいい。だけどそれではあまりにも事務的すぎる。

 それに課長はめんどくさがっているだけなのだ。今だって真面目に仕事をしているように装っているけど、どうせネットサーフィンをしているに違いない。


「よし」


 ま、四の五の言っていても始まらないもんね。高良はそう思って重い腰を上げる。すると、向かいのデスクでせっせと作業にいそしんでいる同僚の姿が目に入った。


「それってなに?」

「あ、これですか?」


 少し年下の彼は顔を上げて、丁寧に説明をしてくれる。それを聞いた高良の脳裏に、ひとつの考えが浮かんできて、

「ねえ」と同僚に、ひとつのお願いをすることにした。



 ◇◆◇



「柿坂さーん、こんにちはー」


 村役場から車で走ること二十分。高良は山あいにぽつんとたたずむ古びた一軒家――柿坂哲司の家へと到着した。


「地域福祉課の高良ですー。今週も来ましたよー」


 玄関でインターホンを鳴らし、役場で話すときよりも声を張り上げて言う。


「今日はおはなし、しませんかー?」

「……またあんたか」


 何度か声をかけて待っていると、引き戸の向こうで足音がして、すりガラスに人影が映った。


「前から言ってるが、俺は誰とも話はせん。玄関ここも開けるつもりはない」

「そこをなんとか。お顔だけでも見せてくれませんか? ほら、今日はいい天気ですし」

「知らん。あんたも仕事で仕方なく来てるんだろう。俺のことは放っておいて、他の仕事をしてくれ」


 柿坂がそう言うと、すりガラスの影が薄く小さくなる。家の奥に戻ってしまう、その前に。


「あ、ちょっと待ってください。今日はお渡しするものもあるんです」

「渡すもの?」


 影の動きが止まる。


「えっと、柿坂さん今月八十八歳、米寿ですよね? お誕生日おめでとうござます」

「それがなんだっていうんだね」

「村からお祝いの品を持ってきました。受け取っていただけますか?」

「なんだそれは。そんなものはいらん。それかポストにでも入れといてくれ」

「ですが、村内で使える商品券ですので。直接お渡しさせていただいた方がいいかと思いまして」

「……」


 しばらく続く無言。やっぱり今日もダメか。高良が諦めて引き返そうとしたとき。

 カラカラ、と引き戸の乾いた音が聞こえてきて。


「……入りなさい」



 ◇◆◇



 高良が案内されたのは縁側だった。


「散らかってるから、この辺しか座るところがなくてね」

「あ、いえ」


 差し出されたお茶を受け取る。たしかに部屋の中は開いたダンボールがいくつも置かれていたりした。掃除中だったのだろうか。


「これ、村からのお祝い品です」

「ああ。悪いね」


 熨斗のしのついた包みを渡す。長寿祝いは本来であれば郵送で該当する人にそれぞれ贈られるのだが、高良は会う口実にするため、同僚から柿坂の分だけ渡してもらったのだ。


「あんた、真面目だね」

「え?」


 お茶をいただいていると、柿坂はひとりごとのようにこぼす。


「役場の職員なんて所詮しょせん公務員だ。給料のために淡々と自分の仕事をするだけで、俺のところに来るのも仕方なく、俺がぽっくりっちまってないか確認するためだけだって思ってたんだが……あんたは違うみたいだな」

「いえ……」


 そんな大層なことを言われるほどではない、と高良は思った。


「私、そんな真面目な人間じゃないです。このお祝いの品だって、持ってきたら柿坂さんがお話させてくれるかなって思っただけで」

「だけどあんたは言ってくれたじゃないか。『誕生日おめでとう』ってな」

「は、はい。たしかに言いましたけど……」

「そんな言葉を言ってもらったのは久しぶりだったよ」


 もうそんなこと、言ってもらえるとは思ってなかったからな、と柿坂は言う。


「実はな、俺は終活の準備をしていたんだ」


 柿坂の視線が部屋の中を向く。いくつもあるダンボールは掃除ではなく、身辺整理だったのだ。


「都会で暮らす息子も、こんないつ死ぬかわからない俺のところに来ることはない。カミさんだってもう何年も前に旅立っちまった」


 部屋の奥にたたずむ、閉じられた仏壇。そこにはきっと、彼の奥さんもいるのだろう。


「俺ももうすぐだなあ、なんて思ってたところに、あんたは来てくれたんだ。ちゃんと『おめでとう』っていう言葉を持ってな」


 柿坂は言う。そういう言葉が大事なんだ、この年になって、若いあんたに気づかされたよ、と。


「だから俺もちゃんと言うことにするよ。今日は来てくれて、ありがとうな」



 ◇◆◇



「また、来週に来ます」

「ああ。そのときはもう少し、部屋を片付けておくよ。あんたが座れる場所をつくっとかんといかんからな」

「はい、楽しみにしてます」


 そう言葉を交わし、高良は柿坂の家をあとにする。


 高良にとって、木曜の午後に抱く感情は変わっていた。これからやってくるその時間に、少しの楽しみを見出していた。


 聞けば、彼は明日、八十八歳になるらしい。まだまだこれからだ、と高良は思う。

 だって彼は米寿なのだから。つまりは末広がりだ。

 では末とはなにか?


 末とは、いつかくる終わりのことではない。私たちがむかえる、未来だ。それは誰であろうと、何歳になろうと同じこと。


 私たちの未来はいつだって、どこまでだって、広がっている。

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